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たった一言で世界は救えないけど



息を吐いた。つんとする鼻の奥を気づかぬふりをしながら俺はベージュのドアを見つめた。片手にぶら下がる半透明な袋の中には申し訳程度に入ったコンビニスイーツとあの人が好きな午後ティーのミルクティー。甘ったるすぎて顔をしかめた俺を笑いながら、美味しそうにペットボトルを取り上げて飲んでいた。間接キスだとどぎまぎする自分の横で、何も気にしない風に飲む彼女の横顔が綺麗で、少し悔しかった。


握りすぎて生温かくなった銀色の固い鍵を差し込んでゆっくりと回す。かちりと静かな音がして玄関を開けた。
散らばるヒールとサンダルとパンプス。だいぶ小さいそれらで占領されてしまっている場所をぐいと広げて自分のハイカットを脱ぎ捨てた。慣れることのない空間を歩いて目的の部屋へ行く。呼吸するたびに匂いがとめどない安心と不安を交互に肺に送り込まれる。
唯一明るいその場所に足を踏み入れたら、乱雑に物が散乱した床のその奥にこじんまりとした背中が見えた。かさりと、不可抗力に出てしまう音に諦めながらゆっくりと近づく。パソコンを開きっぱなしにして机の前に座っていた彼女の顔を覗けば、横を向いて無防備に傾げた閉じた瞳があった。カフェオレのように俺より濃いブラウンの髪が輪郭を縁取る。手を伸ばして触れたら、染めているようには思えない柔らかな髪がするりと俺の手から離れた。
スウェットを着た、彼女の耳にはピアスホールが微かに見える。自分と違うものを見つける度、惹きつけられては焦燥感が心臓を過ぎった。
立ったまま、顔を近づける。重力に負けた自分の乾いた髪が恨めしい。桃色の唇に静かに自分のそれを合わせた。


「きよ、しくん?」


しゃぼん玉のように、浮遊した透明な声が掠れて聞こえた。未だ近かった顔を反射的に離せば、目を擦りながら、眼鏡を探している。家でしか見たことない黒い眼鏡をかけて焦点を合わした。


「来ちゃったの?」


困ったように笑う彼女の顔が、どこか遠いところにあるような錯覚に陥った。


「お茶、持ってくるね」


黙ったままの俺を少しだけ見つめて、彼女は立ち上がった。後ろを向く背中をみて、唐突に彼女の腕を掴む。


「どうしたの」


顔を伏せたまま聞こえるのは彼女の戸惑うような声音。
いてもたってもいられなくて、俺はその腕ごと引っ張ってしゃがみ込んだ。体勢を崩した彼女はうわ、っと声をあげて俺に倒れ込む。
ぎゅうと、力一杯抱き締めれば、むせかえるくらいの彼女の匂いと柔らかさ。
どれくらいたったろう。久しぶりの空洞を埋めるように、首もとの窪みに顔をうずめた。


「……きよしくーん。離してくれないかな」


苦しい、と困ったように耳元でいうから、渋々離した。
しゃがみ込んだせいでほぼ同じ高さになった目線を、無理矢理あげられる。細い手が俺の両頬に触れた。


「名前さん、」
「なに?」
「名前さん」
「なーに」


両手はそのままで微笑む彼女に、俺は溢れそうになっているのに、心臓は痛いのに、言葉となっては出てこない。


「きよしくん」


眼鏡越しに見える彼女の瞳は相変わらず、奥底が青くて、どれだけ俺が大きくて男であろうとも、追い付けない感情の遠さがある。年齢だけが原因ではなくて、何かが決定的に違う。


「大丈夫だよ。きよしくん、大丈夫」


俺に言い聞かせるように、自分にも言い聞かせるように、囁くように、祈るように、それでいて確かなように、そんな声で言った。


「君が、頑張ってきたのは、私がちゃんと知ってるよ」


だから、大丈夫。そう何度も何度も目を瞑りながら、微笑みながら、彼女の体温が混ざる。


「名前さん、全部終わったら、」


ひゅう、と喉が鳴った。


「うん」


頭をゆるりと撫でられる。さらに目を細める彼女。


白いビニール袋が不規則な音を立てて、空間を取り戻す。俺が言った言葉は聞こえていたのだろうか。掠れてしまった稚拙な単語は風に溶けてしまったように感じた。震える喉を隠して、彼女を見つめる。
おでこをこつりとぶつけられた。首に回された腕は緩やかで、それでいて離さない強さを持っている。


「……名前さん、痩せました?」
「ほんと?最近忙しかったからかな」
「……体壊さないでくださいよ」
「あはは、きよしくんが優しい」


そういって笑うからむすっと眉根を寄せてぎゅうと力を込めた。


「…笑わないでください轢きますよ」
「きよしくんなら轢かれてもいいもんね」
「なっ、」


押し殺すように肩を震わせているのに気づいて、くしゅくしゅと首元に顔をうずめる。


「く、くすぐったいよ」
「……テスト、終わったんすか」


動くのを止めたが、顎を彼女の肩に乗せて話す。人肌が相変わらず気持ちいい。


「うん、なんとかレポートが出来て送った」


今更だけど、こんな格好だしこんなに汚い部屋でごめんね、と呟く。


「別に、名前さんがどんな格好でも気にしねえし」


大学のテストの大変さは聞いて理解していたつもりだし、だからこそ彼女は来ないでね、とちゃんと連絡していた。
ただ自分の会いたいという感情だけで、動いてしまった結果だ。何も彼女は悪くない。


「きよしくん」
「……なんすか」
「ありきたりな言葉しか、私には思いつかないけど」


彼女の細い手が俺の髪を撫でた。


「頑張れ」


小さく部屋に沈殿したそれに包み込まれながら、俺は顔を離して彼女と向き合った。情けない顔をしているだろう。でも、そんなことはどうでもいい。
無意識に移動した右手が彼女の手をとらえる。柔らかく指の隙間に自分のそれを絡めながら、ゆっくりと触れるだけの、キスをした。



なるみさんへ。
20140201
title by メルヘン