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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

いつか海に帰るために



心地よい風が吹く。つんと潮の匂いがして、傷みきった髪の毛をさらさらと揺らす。いつもぐわぐわと揺らして笑っていた人も、時々会えばその空いた時間などないかのように背中を痛いぐらい叩いて笑っていた懐かしき親友も、いなくなってしまった。いつも私は狡くて、今回も狡くて、どちらかの味方にもならない、言えばどちらにとっても敵の様な厄介な存在分子である私は、今回の戦争を大きな節目だと頭では理解していたつもりだった。それでも、失くしたものは自分の想像を超えて、あまりにも大きく、あまりにも信じたくないものだった。くしゃりと地面に生えた苔がくぐもった音を響かせる。情報というある意味一番価値のあるものを商品として売り捌く私にとって、いろんな人に恨まれることは必至。それでも、そんな私でもいつでも行けば快く歓迎してくれた。それどころかお前は俺の娘だなんてことまで言ってくれて、その息子たちも本当に私を仲間のように扱ってくれて、どれだけ心が救われただろう。どれだけ、安堵しただろう。どこにも属さず、時によっては裏切ることもいとわない仕事だからこそ、そんな風に温かいものが新鮮で嬉しかった。


なんで。


そんな疑問を投げかけても帰ってくる声などありはしない。わかっていたはずだ、どれだけの被害が出るかなんて。知っていたはずだ、確率にしたらどれだけ低いかなんて。それでもこの世界は理屈だけで存在しない。もしかしたら、もしかしたら。そんな甘えは今の私には残酷なだけだった。からりと晴れた空が恨めしい。まるで笑っているようで。自分の心にあるどす黒くて、悲しい程青くて、痛い程に重いそんな感情をどうやって吐き出すのかも、どうやって消化するのかもわからなかった。
あまりにも偉大な存在は、背中に逃げ傷一切なく立って死んだ。何度も何度も死にかけた、というか一度死んだ弟に助けられた兄は、その弟を守って焼かれた。あまりにも非情で、言葉さえも出なかった。


なんで。


悔しそうな顔一つせず、感謝の言葉を託していった彼にできることはもうすでになく、息が消えてゆくのをただ黙って見つめることしかできなかった自分がどれほど憎らしかったろう。彼の背中を触ってついた爛れた後がいまだ自分の手に残る。けれど、この赤い赤いあとはいずれいつか消えてしまうのだろう。もっと叫べばよかったのに。もっと諦めなければ良かったのに。それは私の醜いエゴだ。立派に戦って、胸を張って、私には到底まねできないような死に方をした彼らを私がとやかく言える資格はない。それでも、あてのない煤けた感情を手持無沙汰にして突っ立っていた。


「名前」


しっとりとした声に泣きそうになる。死んだ後もどれだけ泣きそうになったろう。けれど、ただ張り裂けるんじゃないかという胸の痛みだけが消えないまま涙は出ない。いっそ呼吸困難になってしまおうかと思うのに、ひゅうひゅうと喉は音を鳴らしながら肺に空気を送り続ける。いつの間にか自分の横に来ていた彼は、太陽の光で染めたみたいな鮮やかな金色の髪に、今現在も太陽の光を集めて金よりも透明に近い光を反射させている。頭二つ分高い位置にあるそれは、私の目線では肩しか視界に入らなくて、がっしりとした筋肉が布から覗いた。無数に残る傷跡も、今は古びている。彼が隣にいることで温かくなったように感じたのは、彼自身が青黄色い炎を生み出すからだろうか。


「ねえ、マルコ。どうしよう」


私はどうすればいい。彼らは死んだのに、私は生き残って。
数にしてみればたった二人という中心人物が死んだだけだというのに、あまりにも世界は傷ついてしまった。何を前に見据えればいい。私はどこにいればいい。何も、わからない。
大きく作られた墓は、たくさんの植物の蔓に巻きつかれ、溢れんばかりの花や葉で埋め尽くされている。緑、黄色、オレンジ、赤、そのどれもが彼が背負っていた白によく映えて目に痛かった。


「死んじゃった。白ひげも、エースも。」


掠れた自分の声が、五月蠅い。くるりくるりと舞う尾が長い鳥は何を想って、今空を飛んでいるのだろうか。黒く影になるたび、私の頬に鋭く闇を投げかける。
いっそのこと、消えていなくなりたい。こんな辛い思いをしてまで、この世界で薄汚く生きている価値なんて、あるのだろうか。
ぎらぎらと照らす太陽は、いつもと変わらずに私の肌を灼いてゆく。痛い、痛い。


「いくな」


その時、私の手首に鋭い痛みが走る。見れば、彼が私の手首をきつくきつく握っていた。男の容赦のない力に私は声をあげることすらできずにただ彼の顔を見た。私の方なんか見向きもせず、ただ墓を見つめる横顔には綺麗に金色に照らされる透明な涙が伝っていた。一筋の流れを、静かに落ちてゆく。
当たり前だ。私以上に彼は傷ついている。
彼には私の考えていることが分かったのだろうか。弱弱しく吐き出されたその言葉に何も聞き返すことが出来なかった。
見たことがなかった彼の涙に、憎くて、悔しくて、愛おしくて、綺麗で、寂しくて、切なくて、悲しくて、甘くて、苦くて、苦しくて。
あれほど、溢れることのなかった涙が、彼のせいで堰を切るとはどういうことだろう。
手首を掴まれたその拍動は、彼の叫びが込められているようで、ただ静かに流れる滴と二つの心臓の音以外聞こえることは無かった。



title by 東の僕とサーカス