年季の入ったソファが浮かび上がりそこにだらりと凭れかかっていた。簡単な家具しかない殺風景な部屋には、私以外の人の気配がなく、余計に虚しい。
私は一日寝ていたようだ。寝ていたはずなのに体が重いのは何故だろう。もうこの部屋で一人過ごしたのは一週間になる。私がふらりと訪れたら誰もいなくて、待っていた時にきた長髪攘夷志士に聞いたら、どうやら大きな案件でいつ戻るか分からないという。
そして一週間。掃除をして、久しぶりに布団を干して、足りなくなっていた日用品の買い物をして、余分に夕飯を作っては次の日の自分の朝ご飯になり、一人予備の布団を引っ張り出して寝た。
あの人は、いつもそうだ。
へらりへらりと笑みを浮かべて、死んだような目をしているくせにその赤い瞳で鋭く人の心を掬って安堵させる。ぼりぼりとふわふわな銀髪を掻いてはめんどくさいと寝転がるのに、いつの間にか他人より一足先に行動を起こしている。だから彼の周りには人が集まる。
そしてそんな彼は私の男だ。正確に言うならば私が彼の女、であるはずである。この言葉は逆にしただけではない。意味が天と地ほどに違う。
恋人、だと信じているがそんな契りなどあてにならない。私が知る限りそういう女は知らないが、もしかしたら他にもいるのかもしれない。もしかしたら私が「他の女」なのかもしれない。そんなことは知ろうとも思わないし、一生知りたくもない。
いい意味でも悪い意味でも囚われない人だから、きっと私が今繋がっているだけで、私から離れたら彼が引き留めることもないのだろう。そう割り切っているが、それは酷く虚しい。それでも離れられないほど彼に依存している私が悪いのだから。
私は神楽ちゃんのように、お妙ちゃんのように、新八くんのように、月詠ちゃんのように、真選組のように、強くない。だから、私を連れて行くことはない。私が無理矢理くっついていっても足手纏いになることは分かっている。けれどもついていきたいと、自分勝手な嫉妬と独占欲の塊を抱えて、そんな自分を殺したくなる。
私は待つことしかできない。それでいいと言ってくれたが、それを素直に受け入れられるほど私は人間ができていない。いつもなにも、なにも、私には知らされない。どれだけ傷つこうともどれだけ離れようとも、彼はへらりと笑って「腹ァ減った」と言って帰ってくるだけなのだ。その表情はいつもと変わらないのに、なにも聞かせない鋭さを持っている。そしてそれを破ることができない自分が、どうしようもなく憎かった。
年下蜂蜜色警察官に貰った500mlのペットボトルが転がる。もうあと少ししかない黒い液体は炭酸が抜けきり、気持ち悪いほどに喉に貼り付く甘さになっているだろう。
甘党な彼は、本当に極めた甘党だ。これも立派な糖だらけの飲み物だが、彼が好むのはいちご牛乳とか蜂蜜ミルクとか、チョコパフェとか、本当の砂糖だ。
甘くて、ふわふわして、パステルカラーがよく似合う。
彼の髪の毛を思い出して、泣きそうになった。
がちゃり、と音がする。まさか、と思いつつも動かない。動けない。どんな顔で会えばいい。今の私は酷く余裕のない表情をしているだろう。いっそのこと狸寝入りをしてしまおうか。
ぺたぺたと靴下を放り出して裸足で歩く音が聞こえる。久しぶりのその気配に、ふいに涙がでそうになり、慌てて目に力を入れた。
「……寝てんのか」
誰に言うともなく呟いた。私がここにいることには驚かないらしい。変わっていない彼の声に酷く安心した。
ふわりと、彼の香りが鼻を掠めた。どうやら近くにいるらしい。視界がないせいで、動悸が早くなる。
彼は、今どんな表情をしているのだろう。
そっと、頬に触れた。思わずぴくりと動きそうになる。彼の、手だ。ちゃんと血の通った、大きな、冷たい手。さらりと撫ぜるその動作をやめることはなく、ゆっくりと私の頬に触れ続ける。
「……ごめんな」
小さく呟かれた。そしてくしゃりと頬にあった手は私の頭を撫でた。
その手を、私は不意に掴んでしまった。そしてゆっくりと瞼を開けば思いの外近いところに彼の顔がある。
「……起きてたのかよ」
瞬時に開かれた赤い瞳はすぐにいつもの眼に戻り罰が悪そうに目を逸らし、私から離れようとする。それを彼の何倍も弱い力で手首を掴み続けた。縋るように見つめる私から逃げられないと悟ったのか、私の前でしゃがんで目を合わせた。
「ねえ、今の言葉、なに」
単語をつらつらと並べる。小さな小さな声は私と彼以外に聞こえるはずがないのに、蚊が泣くようにきりきりと引っ掻く。
「……なんのことだよ」
「ごめん、って、なんなの」
眉を少しだけ寄せて下げる彼は私から目を逸らして空を見つめる。
あなたのそんな顔を見たいわけじゃないのに、困らせたいわけじゃないのに、お帰りなさいって何も言わず微笑んで待っていたいと思うのに、私の感情はその逆をいく。
「ねえ、ごめんって、なに」
縋るように目を逸らし続ける彼を見る。逃げないだけが彼の優しさか。私の手などいとも簡単にふりほどけるはずなのに、放そうともせずにそのままだ。
ごめん、と、言わせてしまっているのは私なのだ。もっと私が強ければ、彼の重荷になどならなくてすむのかもしれない。
ああ、もう。もう、痛すぎる。心臓が痛い。
ぽろりぽろりと滴が溢れて着物を濡らす。それを見て驚いたように彼が瞳をこちらに向けた。
「おい、なに泣いてんだよ」
慌てたように私の頬を自分の袖でふく。その手が弱くて優しくて悲しくなった。
「ぎん、とき。ごめんね」
「何謝ってんだ。お前謝るようなことしたのか?」
もしかして浮気?!とか一人で慌て始めるからそれにぶんぶんと首を振る。
「違うの、銀時。違うの」
「ならなんだよ」
ほら、言ってみ?と小さな子供に尋ねるように私の顔をのぞき込む。
「……私何も出来ない。私強くなれない。銀時の重荷にしかなれない。ごめん」
俯けば重力に従って余計ぽたぽたと着物に落ちる。どんどんと暗くなっていく様を見ながら私は震えながら彼の手首に未だ手をあてていた。
「それでいいって言ったろーが」
少しだけ眉間に皺を寄せて、私を抱き寄せた。頬にあたる胸板は熱くて、大きくて、分厚い。この彼の体にはどれだけの人の想いが染み込んでいるのだろう。自分の非力さとその裏側で私だけを見ていればいいのにという我儘な独占欲がある。そんな、女なのだ。何か彼のためにしている、という大義名分を他人に見せびらかせたいがために、私はもやもやと悩み続けるのだろう。
「……それでも、私がこのままじゃいやなの。もっと我が儘言ってよ。私を頼ってよ」
涙とともになけなしの理性は流れ去る。自分でも何を言っているかよく分からないけど、思いの丈が溢れ出る。
「すごく、こわいの」
もう、最後の言葉ができきってしまった。
あなたがいつかいなくなるんじゃないか、私を捨てて行くんじゃないか、忘れてしまうんじゃないか。私があなたの後ろの方で待つといいながら、彼は一生戻ってこないのかもしれない。そう、過ぎる心が苦しくて仕方ない。
彼は困ったように私を見つめるから、私はその赤い瞳から目を逸らした。私を強く抱き締めながら、彼は話し始めた。
「お前なあ、なんか買い被りすぎてねえか」
「……え?」
「お前をここに縛り付けてるのは俺の立派な我が儘だ」
「それは…私がいたいから勝手に」
「仕事に連れてかねェのも、何も言わねェのも、俺がお前が傷つくのが嫌だからつれてかねェ。真選組に会わせるのも嫌なくれェ俺だけ見てればいいと思ってる。それを必死で押し殺してんだよ、俺は。そんな汚え感情の塊なんだよ。そもそもなあ、お前はもっと重荷になってくれればいんだよ。何も言わずに受け入れるから分かんねえだろ。こうやってもっと言えよ。寂しいって言えよ。俺がいつでも抱き締めてやっから。」
白い髪の毛から覗く真っ赤な耳が可愛くて、自分自身も熱を持つ。
ああ、なんだ。あなたも私と一緒なのか。
「へへっ」
「……何笑ってんだよ」
「いや、愛されてんだなと思って」
そこでいつもならばかじゃねーのとか言ってくるのに、今日はさらにぎゅっと腕に力を入れられて頭をわしゃわしゃされた。
「あったりめーだろうが。俺はお前にべたぼれだわ」
その言葉でかあっと全身が熱くなった。こいつは確信していっているのか。もう、ずるい。
「……ぎんとき」
「ん?」
「好きだばか!!」
ぽこんと胸板をたたいた。
「うわっなんのパクりだ!てか叩かなくていーだろ」
「銀時が悪いんだからね!」
「いつも拗ねてるのはどこのどいつだ。あーお前照れてんの、可愛いな」
またそう言ってにやにやしながら頭を撫でるから手を払う。
「からかわないでよ!」
「からかってねーもーんほんとのことだもーん」
「……っ、むかつく!」
「はいはい、俺のことが大好きなんでちゅねー」
「銀時のばか!」
そう言って抜け出した。するりとほどけた腕から逃げて立ち上がる。そしてちらりと後ろを振り向くとまだにやにやと口角をあげているから、さっと前を向いた。
こんな彼でも大好きで仕方ないのだから、私も大概なんだろう。
「銀時、」
「あ?」
「…おかえりなさい」
「……ただいま」
また後ろを振り返れば、にかりと笑って優しい瞳をしている彼がいた。
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