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わたしがうまれたひ



※降谷殉職描写有













今日は、人を殺した。
初めて、人を殺した。

渡された密輸入品の拳銃で、猿轡を咬まされ後手で腕を拘束された人間に向かって、心臓に一発、次に頭に一発。久々に撃った肩に酷く衝撃が響いた。硝煙の臭いが黒の服につくのが嫌だった。海に近い廃倉庫。少し前からちょろまかと周りを嗅ぎ回っていた名前も知らない男の顔は恐怖で歪み、私の足元に縋りつき諂おうとするその瞳には一縷の希望の光が見えた。命乞いをこんな人間にまでするのかと、少し嬉しく、同時に心底憐れだった。


「何故頭も撃った」
「確実に息の音を止めるためだけど、口に咥えさせた方が良かった?」
「ふん」


男は海に捨てられるらしい。海になんてすぐ見つかってしまうのではないかと、最初は思っていたが、この組織は確かに手際が良く痕跡を残さない。その綺麗さが、過去の死体の数を想像させた。
午睡の光が差し込んでいた。草臥れたコンクリートと鉄に浸みこむ光は濁った黄色をしていた。
あげるわ、と言われた黒の拳銃は、今は机の上に転がっていた。用意された私の家は、数年前からの『私』の物しかなくて味気がない。殺風景というよりも詰まらない部屋だ。意図的に物を増やさなかった訳ではない。ただ必要なものが思い浮かばなかったのだ。
銃は人殺しの道具として最も簡単に扱えてしまう。衝撃は凄いが、ただそれだけのことで、弾が体にのめり込む感触も、貫通したときの脳みその柔さも、私には残ることは無く、死に際苦しむ気持ち悪い体の動きを見ることもない。一瞬で命を消せるのだ。
そういえば、あの人も心臓に加えて頭も撃たれていたと思いだした。それ以外の箇所にも撃たれていたらしいが。心臓と頭という止めを刺されたのだから、余程確実に殺したかったのだろうことを窺わせた。遺体が放置されただけましといえるだろうか。少なくとも、元の居場所へと運ばれたことは確かだ。葬儀手続は規定に則り、仲間内で秘密裏に呆気なく執り行われた。私は四か月後に彼の殉職を正式に公安から報告を受けた。噂は流れていたから別段驚くこともなかった。いくらこちら側の下っ端でも、名前を持つ幹部が数人一気に消えたのは内部で周知の事実だった。
私は名前を貰っていなかったから、そのリストにまだ載っていなかった。それで救われることがあるなんて思ってもいなかった。人は本能的に生に貪欲だ。彼が死んだらしいと組織の人間から聞いた時、最初に感じたのは確かに安堵だった。悲嘆はその後だった。そしてそれにも自己保身のための恐怖が紛れ込んでいた。
私が名前を持っていたら、どちらかは逃げられていただろうか。答えは否だろう。私より何倍も優秀だったあの人が殺されるのだ。一緒くたに死んでいただろう。私自身を犠牲にして、彼を助けることも、できたとは思えない。私の生にそこまでの利用価値は生まれなかっただろう。
仮定の話は、虚しい。

彼が死んだ後、今回リストの流出が一因であることもあり、危険度の高い組織団体を受け持っていて警察に籍が残っている潜入捜査官の過半数が警察名簿から削除された。私もその一人だ。一年を過ぎようとしている今、私の居場所は、ここしかないのだ。もし私が死んだらどうなるのだろうか。警察官として死ぬことを許されるのだろうか。それとも犯罪者のまま、殺されるのだろうか。その問いに答えてくれる人間とは、もう簡単に連絡を取ることは出来ない。

私は、あの人を知っていた。どこかに失ってしまった私の大学生時代の、同学部の先輩だった。当時から隙のなかったあの人は決して派手な行動をしていたわけではなかったのに有名だった。移動の際にすれ違ったり、授業前後の教室で入れ違うような、たったそれだけの相手だった。年相応に友と笑って、自身の知名度すら一切知らない風に見えるほど、あの人は一介の学生だった。有名人の進路先などというものは、嫌でも耳に入るもので、嘘かまことか分からない複数の噂が彼の卒業後も入り乱れていた。日本人にしては明るめの髪色、浅黒い肌。それを含めて均衡良く適度に整った容姿。数年後、仕事場で見かけたあの人も、あの時と何も変わっていなかった。曲がり角を曲がったとき、廊下で部下に捕まっているあの人を見た。ファイル片手に話し込んでいる彼の横を、私は昔と同様に通り過ぎようとした。互いに気付いているだろうが、一介の職員同士気に掛ける程でもない。そんな中で私は山と積まれたファイルを抱えていたのがいけなかった。十分幅のある廊下で、何かにあたったわけでもなく、ただ自身の振動のせいで滑らかなファイルは崩れ落ちた。派手な音を立てて散らばったそれを、「すみません」と咄嗟に言い置き下を向いて急いでかき集めた。今度こそはと整えて持ち直す。ヒールの足を踏ん張って体を立て直した。顔を挙げた途端、抱えたファイルの山にぽん、とファイルを置かれた。


「これ忘れてるぞ、苗字」
「え、名前、なんで知ってらっしゃるんですか」
「おいおい、同じ大学だったろ。授業も少しだけかぶってたし」
「それでも、話したことなんて一回もなかったですよね」
「生憎、記憶力は多少いいんでね」


そう屈託なく笑っていた。学生の時に感じたまま、明晰だが誠実で人好きのする笑みを持つ普通の穏やかそうな男だった。これは人気が出るだろうな、と今更学生時代の彼の人望の根拠をぼんやりと理解していた。


「じゃ、気をつけろよ」
「ありがとうございました。降谷さん」


これが、最初で最後の、私とあの人の接点だった。

彼がNOCだということが暴かれ、死んだ直後、すぐに組織幹部の内部情報が公安にリークされた。恐らくそれは、彼が生前手を打っておいたしくみだったのだろう。自身が危うくなった場合の切り札であり、切り札としてなりえなかったとしても、自身の死をもって多少の打撃を組織に与えることが出来る。完璧な最善な策であった。組織は確かに揺らぎ、修復すると同時に警戒が厳重になった。四か月という死亡報告だけにそれだけ慎重を期す程、彼は最後の最後、爆弾を投げ込んだのだ。

あの人が羨ましかった。死してなお、自身の使命を遂げ続けたことが。数多の人間が、世間に知られずに惨めに死んでいく。警察官として、誇り高き日の本に命を捧げ今は穏やかに眠っていられることが。
無駄死は恐怖であった。だが、それでも私は生を選ぶだろう。どこまでも浅ましく、どこまでも卑しい。そのように生きれば、結局は、最期無様に死に様を晒すのだろうと分かってはいても。今日、私が殺したあの男と、私は同じだ。何も為せることは無いのに、生にしがみついて死んでいくのだ。だからこそ羨ましかった。自身の正義を、貫いたことが。
私には、何も無い。

何故私が選ばれたのだろうか。それはそう判断されるに至る基準を私は満たしていたからだろう。すでに私の精神は何処かに異常を来していると思う。頭で理解していても、それをどうにかする術を私は持っていない。仕事は淡々とこなしているが、何処かぽっかりと空虚である。それが良くない事だと理解はしても、それを確証する手段はない。そしてそれが良くない事だとはして、最低限の任務をこなしている以上、仕事を退く理由が無いのだから、どうにもならない。曖昧に自分が感じているだけのそれは、とても不確かで、存在しないのと同義である。
自身の安全の為に、彼の死を踏台にして、私は肩書を失った。それが良かったことなのか、今の私には分からない。あの人について、何とも思わなくなった私には、何も分からない。

知らぬ間に社会というものは人間を支えているのだと初めて知った。酷く不安定な地面は、すでに揺らめき足は沈む。希薄な繋がりは細く透明だ。
ふわふわと頭が浮遊する。とろりと脳味噌が溶けてしまう。体が布団へと沈む。何もかも『私』のものでは無い部屋で、『私』は境界を失くす。

また一つ、糸が切れた。
ぷつり、ぷつり、透明な細い糸は、知らぬ間に私を見放す。

今日は、人を殺した。
初めて、人を殺した。

今日、名前がついた。

今日は人を殺した日。
『私』が生まれた日。


20160707