12
パタン、と閉じたドアを前にして、私は涙が出そうなのを必死にこらえていた。いや、もしかすると、とっくに涙は溢れていたのかもしれないけれど。
大人げないのかもしれない。サテツ君は、確かに私のことを好きだと言ってくれたのだから。
だけど…。
(地味に、キツイって、あれは…)
『名前さんを悲しませたくない』なんて、サテツ君らしい。
だから、私のことを好きって言ってくれたの…?
私はもう、「好き」という言葉だけ聞いて舞い上がれるような子供ではないし、ましてや、その一連の言葉があんな風なら余計にだ。
決して彼の気持ちを疑っているわけではない。きっと、本当に私のことを少なからず好く想ってくれているんだろう。
ただ、サテツ君には、私がサテツ君のこと好きなら…なんて条件を付けずに私のことを好きになってほしかったし、私の気持ちに流されたりなんかせずに、自分の本当の気持ちを真っ直ぐ持っていてほしかっただけなんだ。
それでも、自分からわがままに突き離しておいて、こんなにも胸が切なくて、涙が出そうなのは、私がサテツ君のことを本当に本当に好きな証拠なんだろう。
*
いつまでもドアを見つめていた身体を反転させて、閉じたドアに寄り掛かって背中を預ける。
…せっかく、勇気を出して好きって言ってくれたのに、こんな風にピシャっとやられて、サテツ君はさぞショックだっただろう。
トボトボと、肩を落として家に向かって歩いているのが目に浮かぶようだ。
でも、きっと、一旦家に戻って、冷静になったらきっとまた来てくれる。
……来てくれる?本当に?
ズルズルと身体の力を抜いて再び身体を翻したら、今度はおでこをドアにコツンともたれかける。泣きそうなのを堪える熱い頭に、冷えたドアの金属の感触がなんだかとても心地よかった。
(サテツ君…)と心の中で呼んで、ゆっくり目を閉じたその瞬間、………すごい勢いでドアが向こう側に引っ張られて開いて、思わず悲鳴を上げてしまった。
「キャ…!!!な、ナニ!?」
…勢いで前につんのめった身体は誰かの胸に受け止められて、そのまま私は玄関に押し込まれる。
目を白黒させながらも、慌てて目線を上げた、そこには。
「名前さん…!」
「サテツ君!?」
玄関に飛び込んできたのは、サテツ君だった。
もしかして、ずっと玄関の前にいたの…!?
「サテツ君!?あのっ…」
「……一晩なんていらないです。考えなくたって分かります。俺、名前さんが好きです!!」
ぎゅっと口を結んでから大きく息を吸ったサテツ君は、そのまま私のほうに抱き着いて飛び込んでくる。
「サテツ君っ!ドア!開けっぱなし…う、わ…ぎゃあ!」
身体が大きいサテツ君のその勢いは、当然私が受け止められるわけもなく、2人で一緒くたになって、もつれて重なって倒れこんで……。頭だけは何とかサテツ君によってガードされていたけれど、ドスンと玄関マットの上に背中が落ちて、イタタ…と片目を瞑ると、視界の端っこ、玄関のほうに、何か黒い影が見えて、その影がスーッと消えるのと同時に開きっぱなしだった玄関のドアがパタンと閉じる。
…何か見えたような気がする…でもそれより、これはどういうことなのか、頭はパニックだ。
…ほら、さっきみたいに男の人を突き離す流れの時って…普通はサテツ君はトボトボ家に帰ったあと、冷静に一人で考えを巡らせて……よくあるドラマとかだと、雨が打ち付ける窓ガラスの向こうの空を見上げちゃったりなんかして。
アンニュイな雰囲気で翌日を迎えてから、意を決して彼女の家に走り出す…みたいな感じでしょ!少なくとも、そういうクールダウンが少し入るっていうか……!
なんていうことを、グルグル考えている私がやっと上を見上げると、そこには切羽詰まったような、腹が据わったような、真剣なサテツ君の顔があった。
「サ、サテツ君…大丈夫?あの、冷静になってる!?」
「…俺の言葉は、本当です」
「分かるけど、あのっ、」
「……証明できます」
む、と口を結んでからゴクリと唾を飲み込んだサテツ君は、私の両頬を手のひらで挟んで、一瞬ストップ。次の瞬間、むにゅっ…と私の唇に、自分の唇を押し当ててきた。
「…んっ…!」
数秒だけ、表面だけ触れ合わせるみたいにくっついていた唇同士が離れると、切なげな表情をしたサテツ君が、私のほうをまっすぐ見る。
「……名前さんが俺のこと好きじゃなくても、名前さんのこと好きです」
そうして、再び唇を子供同士がキスするときみたいにちゅ、と尖らせて、ぎゅっと目をつぶって自分から私にキスをするサテツ君に、どんどん胸がいっぱいになっていって……嬉しくて、幸せで、気づいたら目尻からつうっと涙が零れだしていた。
「…馬鹿。サテツ君…」
「す、すみません!!」
一筋伝う私の涙に気づいたサテツ君が、慌てて顔を離して冷や汗を垂らしてマゴマゴしているのを、泣き笑いで見てから自分の涙を指で拭った。
「こんな駆け引きしてゴメン…ズルいのは私のほうだね。結局、私もサテツ君自身の言葉が欲しかっただけなの…」
「…名前さん違うんです…俺も自信なくて何も踏み出せなくて…。でも、本当に名前さんのことが大好きです…」
その言葉は、いつものモジモジしたサテツ君から発せられたとは思えないほど強くてしっかりしていて、これ以上ないくらいに心がぎゅっと掴まれて持っていかれてしまうようだった。
…こんなに勇気を出してくれた言葉が、響かないわけなんてないじゃない。
だから、私も私のハートはサテツ君にあげるね。
「私も大好きだよ…サテツ君。言ってくれてありがとう…」
そう返事して、首に手を回して抱きつくと、カーッと赤くなってアワアワしはじめるサテツ君は、もういつもどおりのサテツ君だった。
玄関先で、こんな風に二人で倒れ込んでキスするなんて、まるで初めて会った日みたいだ。
あの時とは、私もサテツ君も、2人の関係も、キスの温度も、何もかも違うけれど。
*
しばらく気恥しく二人で目を見合わせていたあと、サテツ君がハッと我に返ったように身じろぎした。
「あ、のっ、スミマセン、俺、押し倒しちゃって…」
「いいよ…って、うっ…」
「どうしたんですかっ!?」
「腰が…ちょっと打っちゃったみたい…」
アテテ…と腰を押さえる私を見るサテツ君の顔は顔面蒼白で、「俺のせいだ…」なんて涙目になっている。
「大丈夫、ちょっと打っただけだと思う」と起き上がろうとする私を止めたサテツ君は、「あっ、ダメです、起き上がっちゃ…俺が運びます…」なんて言って、ひょいっと私を横抱きで抱き上げるので仰天してしまう。
「あ、っ、サテツ君!?」
「…俺だって、リードできます…」
ジトっとこっちを見て呟くサテツ君の声に、どんどん頬の温度が熱くなっていく。
……どうしちゃったのよ。急にすっかり男らしく大人っぽくなっちゃって、こっちの予想を超えた急成長は、心臓に悪いんですけど…。
横抱きにされたまま、サテツ君の首に掴まって、頭をコテンと広い胸に預けると、少しだけ赤くなるサテツ君のほっぺが見えた。
そのままぎゅっとしがみついてさらに身体をくっつけると、さらに赤くなる頬と、ギュッと結ばれる口。
…全く、頑張っちゃって。
「あのっ、どこに運びましょうか」
よいしょ、と私を抱えなおしてから、ニコリと私を見下ろすサテツ君の耳元に、そっと唇を近づけて、私は小さく囁いた。
「…じゃあ、ベッドに運んで?」
数秒、ストップしてからその言葉を咀嚼したサテツ君は、無言で口をパクパクさせて、耳までカーっと真っ赤になって茹でだこ状態だ。
「べ、ベッド…」と慌ててゴクリと唾を飲み込んで、アワアワ照れるサテツ君をしばらく観察したあと、「…うそ。リビングのソファでいいよ」と言って赤くなった耳朶をピンと弾いてあげる。
「あ…名前さん…俺をからかった…!」と、うっ…と涙目になるサテツ君に「ゴメンゴメン」と笑いかけながらも、内心ではふうーっと息をゆっくり吐いて気持ちを落ち着かせる。
…危ない危ない。もう少しの間だけ、私にリード取らせてくれないと、これ以上積極的で男らしくなったサテツ君を見たらもう本当に……かっこよくて、夢中になっちゃうから。
もう、なってるかもしれないけどね。
「意地悪だ…名前さん…」
「ゴメンって…ね、コーヒー飲んでいく?」
「…ハイ」
「でも歩けないから、サテツ君が淹れてよ〜」
「うっ…最初からそのつもりだったんじゃ…」
クスクス笑い合う私たちの声は、パタンと閉じたリビングの扉に閉じ込められて、もう二人だけのもの。
これから二人で過ごしていくのも楽しみだね、サテツ君。
もう少し経ったら、いっぱいリードしてね?
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