11

ギルドに向かって歩きながら、「名前さん…」と思わず声に出てしまい、ハッと周りを見渡した。
…よかった。人はいない。

あのクリスマスのパーティー以来、俺の頭は完全にピンク色だった。

初めてのデートから、その後何回かデートも重ねて、最近ではハグしたり、手を繋ぐことができたり。
それに…あのヤドリギの下での、名前さんからのキス。当然、ゼンラニウムさんが後ろにいたから、頬っぺたへのキスだったけれど、思い出すともう頭に羽根が生えて飛んでいきそうだ。

…なんか、浮かれてる。俺。

スキップしそうな勢いでギルドに到着した俺は、「おつかれー」と足取りも軽くその扉を開ける。

「おつかれ、サテツ」
「ロナルド、お疲れ様!」

「…妙に元気だな、サテツ」
訝しげにこちらに目をやるのはショット。クリームソーダの入ったグラスを抱えて、ズズっとストローを吸い上げる。

「そりゃあ、可愛い彼女ができたんだもんね〜サテツちゃん」と後ろから頭を撫でてくるのはシーニャだ。

「かっ、彼女じゃない!」と慌てて否定するも、満更でもないと言った感じで頬が赤くなってしまい、「…この『リア充』め」とショットに睨まれる。

「ねえ、付き合ってないのはいいとして、でもサテツちゃんは名前のこと好きなんでしょ?」と顎に手を当てて首を傾げるシーニャに反応して、「えっ!?」と慌てて固まってしまった。

俺は…名前さんのことを…。

「何だよ、嫌いなわけないだろ?ハッキリ言ってみろよ」と迫るロナルドにぐっ…と押し負けた俺は、「…名前さんは俺のこと好きじゃないかもしれないし…」と小さく呟いた。

「おっ?おぉー?名前さん『は』俺のこと好きじゃない…っていうことは、サテツは名前さんのこと好きってことだな?」と揚げ足を取るショットを涙目でにらみ返して、「名前さんからは好かれてないのだとしたら、こんな俺に好かれてたら、向こうが迷惑だろ!」と口を尖らせる。

「別にそれは関係ないだろ」と優しく俺の肩を叩くロナルドを振り返って笑顔になりかけて、ロナルドが手に持ったスマートフォンで「好かれてない のに 好き」を検索しているのに気付いて踵を返して遠ざかる。

「……名前だってサテツちゃんのこときっと好きよ。それに……名前がどう想ってたってサテツちゃんの気持ちは変わらないんでしょ?」と背中を撫でて励ましてくれるシーニャにチラリと目をやって、「…でも、好きでもない男に好きになられちゃうなんて、きっと迷惑だよ。申し訳ないし…」と返して顔を伏せる。

冷静に考えると、なんだかデートって雰囲気だけに浮かれて真面目に考えてこなかったけれど、名前さんが俺のことを何とも想っていないって可能性もまだあるんだ、と考えて一気に気分はトーンダウン。

「……そうじゃないわよ。全く頑固ね…」とため息をつくシーニャと、珍しく無言で厳しい表情で俺のことを見るドラルクさんの真意には、俺はその時はまだ気づいていなかった。




ギルドを出て、家に戻ろうとしていると、ふと進行方向の少し先に、カフェから出てきたスーツ姿の名前さんの姿が見えて、胸がドキンと高鳴った。やっぱり、こうやって姿を見てしまうとなんだかドキドキする…。

久しぶりに見えたスーツ姿は大人っぽくて、最初に出会ったころみたいだ、なんて考えて、ふと頬が緩んでしまう。

カフェから出てきた名前さんは、片手に携帯電話とドキュメントケース、反対側の腕にバッグを引っ掛けて、さらにカタログのようなものを持っている。指先だけでなんとか持っているみたいなカタログが、バッグが揺れた弾みでぐらついて地面に落ちそうになったので、慌てて駆け寄ろうとしたその時、同じカフェから出てきた男性の手が、ひょいっとカタログを持ち上げた。

ホッとして様子を伺うと、慌てて振り返った名前さんはその男性に笑顔でお礼を言って、頭を下げている。その男性も、笑顔でそれに何か返して、二人は冗談を交わしあっているようだ。

会社の先輩だろうか。ビシッと決めたスーツに、さっぱりしたお洒落な髪型。シャツの袖から覗く腕時計をチラッと見ながらも、歩道に乗り込んできた自転車に気づいていない名前さんをさりげなく引き寄せて、ぶつからないようにエスコートするその姿は、すごく大人でさまになっている。

…なんだか、俺なんかよりも全然名前さんにお似合いだ…。

シュン…と落ち込む俺が、方向転換して立ち去ろうとしたその時、つい、名前さんとバッチリ目が合ってしまった。

「…あれ?サテツくん?おーい!」
「…名前さん」

おずおずと近寄って、ペコリと頭を下げると、先輩らしき男性もニッコリ笑顔で会釈してくれる。

「どうしたの?こんなところで会うなんて珍しいね。ギルド帰り?」
「あ…そうです…」
「そっか、私も今夜寄ろうかな。花の金曜日だもんね〜」

雑談を交わす俺と名前さんを、後ろの男性は珍しそうにまじまじと見て、「名前、知り合い?」と名前さんに声を掛ける。

あ…名前で呼び捨てしてる…。

「あ、そうです。こちらはサテツ君。吸血鬼退治人なんです」と振り返って俺を紹介する名前さんは、とっても誇らしげで、なんだか頬が熱くなってしまう。
「ああ!そうなのか、それはいつもご苦労様です。その腕のやつ、何だろうって思ってたんですよ。カッコイイですね」と俺に微笑むその笑顔はとても爽やかで、うっ…と思わず同性ながらたじろいでしまった。

「それで、こちらは私の先輩で、吉良さん。今一緒に仕事をしてるんだよ」と紹介してくれる名前さんと吉良さんの顔を交互に見た俺は、「はじめまして。サテツです…」なんて小さくペコリと頭を下げる。

「よろしくね」と再び微笑んだ吉良さんは、今度は少しだけ意地悪そうな顔になって、名前さんの耳元に顔を寄せる。

「…で、彼氏なんだろう?」

ドキっと鼓動が速くなったのは、その返事が聞きたいからなのか、それとも、名前さんに近づいた吉良さんへの嫉妬心なのかは、わからない。それでも、核心に迫るその質問に、ゴクリと唾を飲み込んで、名前さんが次の言葉を発するのを、固唾を飲んで見守った。

少しだけ赤くなりながら、しばらく黙って俺の反応を見ていた名前さんは、間を置いてから、口を開いた。

「……彼氏じゃないです」

……ズキン、と痛むのは、さっきまでドキドキしていた俺の心臓だ。
…別に嘘じゃない。その言葉は、紛れも無い事実なのに、この人の前でそんなことを言われたのが、すごく悔しくて。

そんな俺の気持ちを表すみたいに、思わず勝手に何か言おうと口が開くけど、そこから言葉は全く飛び出して来ない。マヌケに口を開けて冷や汗を垂らす俺を見て、吉良さんがやれやれ、といった感じで名前さんの背中を突っついた。

「名前、そっちの彼はそれじゃご不満だって顔してるじゃん」
「……」
「もしかして、サテツくんは名前のこと好きとか?」

吉良さんの言葉を聞いてびっくりした名前さんは、慌てて振り返って吉良さんを止めようとするけど、うろたえたように目を泳がせて、その視線は少しだけ興味あり気な雰囲気だ。


俺は…俺は、きっと名前さんが好きだ。

でも、怖くて、どうしてもその一言が出てこない。
まっすぐ俺を見る名前さんの視線が熱く突き刺さるのに、こんなに心の中に言いたい言葉があるのに、どうしても自分から切り出せない俺は…本当に気が弱いんだ…。

「いや…あのっ…」
「…」
「あ、えーと…」

ずっと黙ったままの俺のせいで気まずい沈黙が訪れる。
だって、言えないよ、こんなところで…!しかも、名前さんが俺のことなんて好きかどうかなんて分からないのに…。





その沈黙を破ったのは、名前さんだった。


「…わたしは、サテツ君のことが好き…」


……え…?

一瞬、頭が真っ白になって、時間がストップする。
名前さんが、俺のことを、好き…?

…まっすぐ俺のことを見る名前さんは、ほんのり頬を染めていて、眉毛は切なそうに下がって、なんだか今にも泣き出してしまいそうなくらいだ。

「え…?あのっ…」
「サテツ君…」

…俺の頭は、喜びなのか戸惑いなのか、感じたことのない感情でスパークしそうだ。
完全にショートした俺がかたまってしまい、再び訪れそうな気まずい沈黙を、今度は吉良さんが破ってくれる。

「…名前、とりあえず報告もあるから会社に戻ろう。サテツ君、またこいつのこと、よろしくね」

そう言って、名前さんの背中を押して歩みを促す吉良さんは、とても暖かい目で俺を見て、頑張れよな、といった感じで無言で親指を上げる。な、なんていい人なんだ…。

口をぱくぱくさせるだけで何も言えない俺を、一瞬だけ振り返った名前さんの顔は切なそうで、その表情にまた胸が締め付けられるけどやっぱり何も言えなくて…。

どんどん遠くなっていく名前さんたちを、呆然と見送った俺は、やがてトボトボと家に向かって歩き出したのだった。



自宅のベッドに寝転んで、ぼんやりと考えるうちに、頭に思い浮かぶのが名前さんの声だった。

私はサテツ君が好き、というそのフレーズを、何度も何度も頭の中でリフレインさせて、その度に甘い感情が押し寄せてきて、それは名前さんの切なそうな表情とともにすぐに去っていく。
でもまたすぐにあの時の声を思い出して…その繰り返し。

名前さんが、俺のことを好きだと言ってくれた事実に、頭の中が熱くて甘くて、ドロドロに溶けてしまいそうだった。

それは、嬉しさでもあるし、安心感でもあった。
こんな俺が名前さんのことを好きになっても大丈夫だったんだ、という。

しばらくベッドの上でのたうち回ったあと、ガバッと起き上がって、上着を引っ掴む。
名前さんの家に行こう。そして、俺の想いも伝えるんだ。
玄関を出てからは、もうその気持ちでいっぱいで、思わず俺は駆け出していたのだった。




しばらくぶりの名前さんのマンションにたどり着いたら、早速俺はマンションの入口で立ち往生してしまった。

…そういえば、ここはかなりセキュリティがしっかりしたマンションで、名前さんに許可を貰わないと俺はエントランスにしか入れないんだった…。

アタフタしている俺を不審そうに見る家族連れにペコペコ頭を下げながら、なんとかインターホンで名前さんの部屋番号を入力すると、すぐに「どちら様ですか?」と声が返ってくる。

よかった。名前さんは家にいたようだ。ていうか、それすら確認しないで家を飛び出してきてしまったんだった。

「あの…俺です。サテツです…!」と答えると、「サテツ君!?どうしたの?…とにかく入って」と言う声とともにエントランスの自動ドアが開く。
てっきり怒っているか悲しんでいるかと思ったけれど、その声は思ったより明るくて、少しだけほっとした俺は、すぐにエントランスに入ってエレベーターのボタンを押した。

名前さんの部屋があるフロアに到着して廊下を見渡すと、部屋の前に名前さんが出てきてくれていた。
もうお風呂に入ったあとみたいで、部屋着にガウンを羽織って、こちらに小さく手を振っている。シャンプーの香りがフワリと漂って、それはあの初めて会った日と同じものだ。

「サテツ君…どうしたの」
「名前さん、俺…」

焦って名前さんに近づく俺を引っ張って、「と、とにかくここだとアレだから、玄関入って」と中に招き入れてくれる。
遠慮しないで玄関に入れてもらうと、スリッパを出して中に入るように促す名前さんを遮って、玄関に立ち尽くしたまま、俺は大きく息を吸ったあと、口を開いた。

「あのっ、俺、名前さんが俺のこと好きだって言ってくれて、すごく嬉しかったです!」
「……ウン…」

下唇を噛んで、少しだけ恥ずかしそうに顔を伏せる名前さんは、しばらくそうしていた後、顔をあげてまっすぐ俺を見つめる。

「…名前さんが俺のこと好きでいてくれるなら…名前さんが俺のこと好きなら…俺、その気持ちに応えたいし名前さんを悲しませたくない!……俺も、名前さんのこと、す、好きです!!」

……言った。言ってしまった。

人生初めての告白だ。こ、こういう感じでいいんだろうか。

…ぎゅっとつぶっていた目をそろそろ開いて名前さんを見ると……その表情は、びっくりするくらい、悲しそうで、切なそうな、怒っているような…とても告白を受けたとは思えない真顔だった…。





固く、険しい名前さんの表情に、愛の告白をしたはずの俺は、言葉が出なかった。
…名前さんも俺のこと好きだって言ってくれてたのに、どうして…。

身体が硬直して、動けない俺に向かって、静かに一度ゆっくりと瞬きをした名前さんが口を開いた。

「……じゃあ、私がサテツ君のこと好きじゃなかったら?」
「…え?」

名前さんは、ガウンを胸元でギュッと強くかき合わせて、一瞬だけ躊躇うように足元に視線を落としてから、再び俺を見る。

「…私がサテツ君のこと好きだから…私を悲しませたくないからサテツ君も私のこと好きなの?」
「…あ、の…」
「私は、多分サテツ君が私のこと好きじゃなくても、サテツ君が好き」
「名前さん…」
「私がサテツ君のこと好きかどうかは関係なく、サテツ君自身の気持ちが知りたい…」

下唇を噛んで、肩を静かに上下させる名前さんは、泣きそうで…泣かずに、すんでの所で堪えているようだった。

その表情に、重なるようにプレイバックしてくるのが、今日の昼間のギルドでの、シーニャとドラルクの表情だった。

俺、あの時、なんて言ったっけ?
『名前さんからは好かれてないかもしれないのに好きでいるのは…』とか、『名前さんは俺のこと好きじゃないかも…』とか、確かそんな感じだ。

それに対してシーニャはなんて言った?
確か、『名前がどう想ってたってサテツちゃんの気持ちは変わらないんでしょ?』って。
それでもまだ名前さんの気持ちを気にしてグズグズ言う俺に、『……そうじゃないわよ、頑固ね』ってシーニャはため息をついて、ドラルクさんもそんな俺を珍しく叱るような呆れたような表情で見ていたんだった…。

「…サテツ君、お人よしなのと、自分の気持ちを他人に左右されるのは違うことだよ」

…名前さんの言葉と、シーニャやドラルクさんの表情と、すべての点と点が繋がって、俺は恥ずかしさでいっぱいになっていた。

…こんなにも、名前さんのことが好きなのに、名前さんに受け入れてもらえるのか、この恋が失敗しないのかっていうことばっかり気にして、一歩も踏み出せなかったのが俺だったんだ。

名前さんは、あんなにハッキリと自分の気持ちを伝えてくれたのに。

ショックで身体が動かなくて、何も言葉が出ない俺の身体の横を通りすぎて、名前さんが玄関の扉を再び開けた。

「…一旦今日は帰って、冷静に考えてみたほうがいいよ。サテツ君の大事な気持ちなんだから」

そっと、俺の胸を押す名前さんの手には抵抗せずに、開いたドアのほうへゆっくりと後ずさりした。

身体が完全に廊下に出たところで、ドアに手をかけた名前さんが、ゆっくりそれを閉めていく。

「…おやすみなさい」と言う声は、あの時と同じ。漂うシャンプーの甘い香りだって変わらない。

たった一つ違うのは、ドアが閉まる直前に見えた名前さんの瞳から、ポロリと零れた一粒の涙だけだった。


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