08

名字名前という女に関する雑多な考え。

…を頭の中でまとめようと思っていたうちにあんなことになってしまったのだった。
あいつがどんな女でどんな性格で、何が好きでこれまでどうやって暮らしてきていたかなんて、全てを知ったわけではない。
だけど、慎重な俺にしては珍しく、何も考えずに自然とそうなってしまったというのが実情だ。まあ、そうなった、というのは、口付けし合った、という意味なのだが。

あれから数日後の、今は深夜だ。

…ごろんと布団に転がって、呑気に隣の布団で眠る名前を眺めながら、あの日のことを思い出した。




名前が風邪で寝込んでいる間、何気なくに森に入ってうろうろしていたところ、背後でバサッという音がしたので慌てて銃を構えて振り返った。が、何もいない。
辺りを調べながら、ふと、足元を見ると雪の重みか何かで折れて落ちてきた枝に、赤い実が鈴生りに付いているのを見つけたのだった。

何気なく拾い上げて、クルクル回して観察すると、綺麗なまま枝ごと落ちた小粒の真っ赤な実はそれはそれは鮮やかで、それを眺めているうちに、ぶたれて立ち尽くす名前の顔が浮かんだのだった。

…持って帰って見せてやるか。あいつこういう小さいのがわちゃわちゃ集まってるの、好きそうだよな、なんて。
まあ、こんなことしなくても、叩いてごめんなって言えればそれで終わる話なのだが。

腰のベルトに差して持って帰ったそれを、そっとたらいの水の中に浮かべて、食卓の机からその光景を頬杖をついて眺めていた。水面の波紋に合わせてゆらゆら揺れる赤と、その向こうでスウスウと眠る名前が視界の中に一緒に見えて、なぜかずっと目が離せなかった。

(なんか、花でも贈ったみたいになっちまったな)と思わず心の中で呟いて、自分でドキリとする。

別に、花を持って帰ってきたわけじゃないが、普通花って自分の女にやるもんだよな。多分…。そういうものだと今更思い当たると何だか複雑な気分だ。
別にそういうつもりじゃないと言いたいわけではなくて、女にやる定石のものだって前提に乗っかったみたいなのが気に食わない、ってことだが。
ただなんとなく、あいつが好きそうだと思ったから持って帰ってきただけなのだから。

…案の定、昼を過ぎてから目が覚めたあいつは早速それに興味を示したらしく、俺が帰ってきたときにはそれを握りしめて眺めていたので思わずなんとなくそっぽを向いてしまった。

結局、こんなものを急に持って帰ってきたことを問い詰められた俺は、「お見舞い」なんていう言葉でそれを誤魔化したのだが。
…いや、あいつの爆笑を見る限り全く誤魔化せていないのだが。



横で眠っている名前の、寝息を立てる唇にそっと手を伸ばそうとして、やめておく。

『…私、いつかはいなくなってしまう人と深入りできません』という名前の言葉を思い出して、ふっ、と苦笑いがこみ上げた。

お前は、「いつか失ってしまうものなら最初からいらない」って思ってるんだろうな。
やっぱりお前は俺と少しだけ似ていて少し違う。だって、この世の中に失わずにいられるものなんてあるのか?多分無いだろう。
俺は「手に入れられないと分かっているものは最初から欲しくない」なんだ。

お互い自衛のために感情を抑えるのが上手いよな。そのポイントが少し違うだけで。
「失いたくない」と「欲しがりたくない」。
その違いは、一度でもその何かを手に入れたことがあるかそうじゃないかだ。名前は、きっと前者なのだろう。

随分前に、好い仲になった男がいたと自分でも言っていた。
お前はそいつにどんなに深い感情を貰ったんだ?そしてそれは、どのくらい沢山なんだ?
一度口付けただけなのに、仄暗い独占欲のようなものが渦巻く自分には呆れてしまうが、まあ良い性格の俺だ。仕方ない。

あの瞬間、『あの時は、私、尾形さんのこと何とも思ってなかったけどー…』と言って、赤い顔で固まってしまう名前を見て、思わず身体が硬直してしまった。
名前も俺のことを少なからず好く想っている、ということが分かったうえで、狡い感情が込み上げてきた。欲しがったら手に入るのか?

もともと俺の中に込められていて、暴発しそうだったその欲張りな感情の引き金を引いてしまったのはきっと俺のほうだ。思わず抱き寄せて、口付けしそうになっていたのだから。

一旦名前によって寸止めされた口付けを再開したあとに、『これも尾形さんにとっては深入りじゃないんですか』なんて聞いてくる名前の声の調子はとても冷静で、女にありがちな執着心や独占欲や自意識は全く感じられない。
それどころか、『深入りしなきゃいいんだろ』なんて適当なことを言った俺をあやす大人みたいな調子すら感じられて思わず笑いがこみ上げそうになったんだった。

『じゃあ、何ですか、コレは』と、名前を抱き締める俺に問いかける名前に、『知らん。お見舞いだろ』とまたも適当な返事を返すと、クスクス笑ってすらいる。

上等じゃねえか、とニヤリと笑って、『…お前だって違うだろ?俺に深入りなんてするな』と突き放した言葉を吐いてから頬を撫でてやる。
……言葉には何の意味も重さもない。そうだろ?名前。俺だってそれには同感だ。

すると、『…全然違います。深入りじゃありません』と静かに返してくる名前はやっぱり全てを察しているのだろう。こいつの、こういう勘の鋭いところが。
何も言わなくても俺の言葉の裏にあるものを察してすぐにこうやって返球してくるのだから。

お前も覚悟があるんだな。…肝が据わっていて、負けん気が強くて、しなやかで強い女。
ああ、だけどその左頬に一筋だけ溢れて流れる切なそうな涙もやっぱりこいつの一部なんだ。

泣かせて悪いなんて思わない。
こうなることが分かっていてもお互いどうしようもなくて一歩近づいてしまったのだから。

つうっと頬を伝う涙を指で拭ってやって、『だよな…俺もだ。』と返して名前を思い切り抱き締める。何度も口付けを落とすうちに、おずおずと俺の胸に手を置いて寄り添ってくる名前を、さらに引き寄せて口付けをして。

全くどっちが罪深いんだろうな。
愛だの友情だの仲間だの、クサい言葉を囁いて人を乗せて偽りの世界で騙すのと、本当の感情を言葉にして外に出さずにあえて形にしないのは。




…なんていうことがあって数日だ。
偉そうに長々と回想したが、結局あの日以来俺と名前の「接触」はゼロだ。

決してあの日のことは気の迷いではないが、どうもぎくしゃくしてしまって困るのだ。
名前のほうも妙に照れているというかなんというか…なのだが、それが俺にも伝染してしまっているのか、まるでここ数日は童貞かってくらいの心境なのがまずいのだ。

…別に気持ちが逸っているわけではないのだが、せっかく「浅い仲」になったのだからずっと接触すらお預けというのも健全な心身に悪い気がする。

そんなことを考えて腕組みしながら布団の中で悶々としていると、「尾形さん…」と小さな声がする。横を向くと、いつのまにか目が覚めたらしい名前がこちらを見つめていた。

「…眠れないんですか?」
「…まあ、そんなところだ。今夜は冷えるしな」
「湯たんぽ作りましょうか?」
「…お前でもいいけど」

えっ…!?と赤くなって戸惑う名前を小さく睨んでやって「馬鹿だな。冗談だ」と言いながらも、少々ためらいながらその身体を引き寄せた。

「ん…」

頭を撫でて、一度だけ軽く口付けて、すぐに開放して自分の布団に戻してやった。…これ以上の接触はまずい気がするからだ。
まあ、これで意外とあっさりあの日と今が繋がったわけなのだ。

「早く寝ろよ」と背中を向けて呟くと、「それはこっちの台詞です…」なんてぶつくさ言う声が聞こえて頬が緩んでしまう。

こんな日常いつまで続くんだろうな。きっといつかは終わりが来るんだろう。
だけど俺はなかなか楽しいんだぜ?名前。

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