03

「…そろそろ落ち着いた?サテツさん」

小走りで私を抱き上げて運ぶ彼に、そっと声をかけた。
はっ、と気付いたサテツさんは、立ち止まってやっと私のほうに視線をやる。
…私の存在、忘れてたでしょ…。

最初は私も慌てていたけれど、今はすっかり冷静な自分を取り戻している。それに、何だかおもしろくなってきてしまったのだ。
今日初めて会った人と、事故とはいえキスをして、その人に抱き抱えられて家まで送られているなんて。まぁ、荷物みたいに担ぎ上げられてるのは、置いといて。
これ、ドラマとかなら絶対何かが始まるやつよ、と心の中で一人言。

サテツさんは、「あ…スミマセン、つい慌てて…そういえば、家、こっちで合ってますかっ?」と、今気づいたようにこちらを見上げた。
「…合ってますよ。もうすぐそこに見えてるマンションだから…」と指をさすと、ホッとしたような笑顔。
そのピュアな表情に、こちらの胸がズキンと痛んでしまう。

「…重くないですか?…なんか、今日、ごめんなさい」と、目を伏せた。
私もこんな出来事に少しはパニックで、自分のことしか考えられていなかったけど、サテツさんだって、初対面の、しかも自分が助けた人と、事故とはいえキスしてしまったのだから、嫌だったかもな…と、申し訳ない気持ちになってきてしまう。

「重くないです!俺、力持ちなので!」とはにかむサテツさんをついまじまじと見て、
「…なら、良かったデス。…もう、ウチまであと少しだから、最後にサテツさんのこと教えてください。」と、雑談を振ることに。

マンションのホールに入るまで、雑談をしたところによると、サテツさんは私の2つ年下。ヴァンパイアハンターとして日々活動しており、ロナルドさんとは古くからの知り合いで、ドラルクさんとは最近知り合いになったとか。
他にもこの町には沢山のハンターが活躍しているらしく、楽しそうに、また誇らしそうにそんな話をするサテツさんに、私の頬も少し緩んでしまったのだった。

マンションのエントランスに着いたところで、
「…サテツさ…君、でいいか。ここまでで大丈夫です」と肩をポンポン叩いて合図する。あ、はい、と立ち止まったサテツ君は、私を降ろそうとして、ハッと固まってしまった。

「…どうしたの?」と声をかけると、
「…あ、すみませんっ…事務所に寄って怪我の手当てするっていうのすっかり忘れてて…」と、そのままの私の脚の怪我を見て青ざめてしまう。
「大丈夫だよ。ウチにも救急セットくらいあるから」と微笑むと、「でも…」と視線が下にいき、私のパンプスが片方落ちて無くなっていることにも気づいて再び「あぁっ、靴もっ…」と、冷や汗を垂らしている。

「…家の中まで、連れて行きます…」とシュンとするサテツ君に、思わず苦笑い。もう、本当にお人好しなんだから。
「…ありがとう。靴は多分ロナルドさんたちが拾ってくれてると思うから大丈夫。…で、お言葉に甘えてもいいかな?…疲れてなければ。」と素直にお願いすると、パッと明るくなる表情。
…それに、きっとロナルドさんたち、落ちた鞄の中身も拾ってくれてるだろうから、と心の中でだけフォローする。

「…こっちだよ」とセキュリティのほうを指して中に入ると、そのままサテツ君に抱えられて自分の部屋に帰ってきたのだった。



「キャ……サテツ君!しみるっ!」
「あぁっ!ちょっと消毒液かけすぎちゃいました…」

…結局ウチまで連れてきてもらった私は、お礼にリビングにサテツ君を通して、熱いコーヒーを振る舞うことに。
女性の部屋に入るのにかなり躊躇う様子を見せていたサテツ君だったので、私も「取って食わないから大丈夫よ…」なんて男の人みたいな台詞も吐いてしまったのだ。

ソファに私を降ろしたサテツ君に、ついでに戸棚の救急箱も取ってもらう。女の一人暮らしなんてたいていのことは一人でできるようになっているもので、怪我の消毒くらいお手の物。
さっさと消毒液とガーゼ、絆創膏なんか出して手当てをしていると、サテツ君が、手伝います…なんて言って消毒液をジャバッと膝にぶっかけるので、悲鳴を上げる。
…な、なかなか思い切りいいじゃない、やっぱり、と冷や汗がタラリ。

そうしてすっかり自分の怪我の手当てが終わったところで、「…そうだ、サテツ君も、怪我したとこ消毒してあげるよ」と、提案。多分、背中が擦りむけているのだろうから。

「あっ俺は大丈夫ですから!」と慌てるサテツ君の肩を掴んで無理矢理後ろ向きにひっくり返させて、
「…大丈夫かもだけど、ちゃんと消毒したらもっと大丈夫だから」と、説得。
「…無理強いしないけど、もし嫌じゃなかったら、シャツ上げて」と呟くと、申し訳なさげにシャツを後ろ手でたくしあげる。

…案の定、背中には少し深めの擦り傷ができてしまっていた。
そっと消毒液を染み込ませたガーゼを押し当てながら、胸がズキンと痛んでくる。

「サテツ君…本当にありがとうね。あと、ゴメンね。こんな傷できちゃって…。それに最初の時もそうだけど、私が引っ張り倒しちゃった時も、頭打たないように庇ってくれたでしょ?…ありがとう」と精一杯伝えた。
…いつもこんなことして、人のために世のために頑張ってるんだね、サテツ君は。

「…大丈夫です。…それより、名前さんも、すごいです…」と振り返る。
「…なにが?」と怪訝な顔をすると、
「だって、あんな大きい吸血鬼がいるのに、ジョンを庇おうとしたり、ドラルクさんから俺を庇おうとしたり…すごいです」と笑う。 
「…どっちも結局人に迷惑かけて裏目に出ちゃったけどね…」と、苦笑いして、ハッと二人で固まってしまう。

…当然今の言葉で思い起こすのは、例の「事故」。
シーン、と気まずい空気になる部屋に、耐えきれずに切り込んだのは、私。

「…あのね、キスしちゃったけど、事故だし、私は気にしてないから、サテツ君も気にしないで」と、背中をポンと叩く。
「…でも…」と俯くサテツ君を、「あれはね、ドラルクさんが上から落ちてきた衝撃で当たっちゃったんだよ。だからサテツ君は悪くないから」と慰める。
サテツ君は、「えっ、そうだったんですか!俺てっきり自分が…」と冷や汗をタラリ。

…さて。サテツ君のほうの罪悪感は打ち消したところで、今度はわたし。
ずっと、気になっていたことを聞いてみようか。

「あのさ、」
「は、はい」
「サテツ君、あれがファーストキスとかじゃないよね?」

…なんか、これまでの反応見てると、そうかな…なんて。だとしたら、とても申し訳ないというか。

サテツ君は耳まで真っ赤になって口をモゴモゴさせている。
あ、やっぱり、そうなのね。
罪悪感でいっぱいになり固まる私には気づかず、サテツ君はモジモジと、でも意を決したように口を開く。

「……違います。大丈夫です。」

……あ。…そ、う、なんだ。
…なんで少しだけガッカリしてるのかは自分でも分からないけれど、ひきつった笑顔を取り繕って、「…わたしも違うから大丈夫…」なんて、余計な一言。
サテツ君も困ったように、あ、そうなんですね…なんて言葉に詰まっている。

…もう、大人げない!私!

気持ちを切り換えて、背中のガーゼをテープで止めた上を軽くペチンと叩いて、「できたよ」と努めて明るく声をかけた。
「引き留めちゃってゴメンナサイ。気を付けて帰ってね」と笑顔を向ける。
「はい」と、つられて微笑んだサテツ君が、一瞬躊躇いながらもスッと立ち上がるので、私も手を借りて立ち上がって玄関まで片足を引いてお見送り。

玄関のドアを開けて、「じゃあ、本当にありがとう」とサテツ君を見る。
「こちらこそ、ありがとうございました」と玄関を出て振り返るサテツ君に、また会えるかな、と言いかけて、止めておく。

今日…今、その言葉を吐くと、まるで自分の怪我につけこむみたいだし。
もし、これが恋愛の相手で悪くない仲ならば、そういう手段を使うのも大人らしい駆け引きの一つだとは思っているけど、サテツ君に感じているこの感情はもっと違うものに感じたからだ。
こんなにピュアで一生懸命なハンターさんを純粋に応援するのなら、遠くからのほうがきっといい。

「…おやすみなさい」とだけ、言い残す。
「…あ、…おやすみ…なさい」と少しだけ戸惑いがちに返すサテツ君に微笑んで、玄関のドアをそっと閉めた。

ドアに背中をもたれかけて、しばらくそのまま目を閉じる。
数秒、サテツ君が外で立ち尽くす様子が感じられたあと、足音はゆっくり遠く、小さくなっていった。
その足音すらどうしてか名残惜しくて、それが聞こえなくなるまで私はずっと玄関を動けなかったのだ。

そして、その気持ちが久しぶりの恋のほんの始まりだということに気付いたのは、もう少し先のことだったのだけど。

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