01

買ったばかりのコーヒーのカップを片手に持ったまま、私は固まっていた。右手の紙のカップには、ブラックのコーヒー。そこからは、まだホカホカと湯気が立ち上っており、手首に下げた紙袋の中には甘いシナモンロール。
実に小粋な夜食の買い出し風景だったのだ。数分前までは。

いま、私の目の前には巨大な毛むくじゃらの怪物が大きな口を開けながらこちらを見ており、その向こうには逃げ惑う人々。
あ…これって、もしかして巷によく聞く下等吸血鬼で、私は今ピンチってやつなのかしら…。

毛むくじゃらの怪物の身体から生えた何本もの腕が、逃げる人を掴んでは放り投げ、掴んでは放り投げるのをただ呆然と見ることしかできない。
店舗が並んだ大通りの一角は、暴れた怪物のせいで崩れかけた場所すらある。

私、このまま死ぬの…?
いや、今は、死ねない。だって今私は残業の合間に少しコーヒーを買いに来ただけで、まだ机の上にはたんまり仕事が残っているのだから…。

思考停止状態の頭がやっと動き出したかと思ったら、思い付くのはそんなこと。やっぱり私、パニック状態なのかも…。
逃げなきゃ、いや、その前に落ち着かなきゃ。
思わず右手のコーヒーを一口ごくりと飲んだ瞬間、思い切り身体を掴まれて後ろに引っ張られる。

「おい!コーヒー飲んでる場合じゃねーだろ!!」

近くの物陰に思い切り引きずり込まれてから、肩が掴まれて壁に押し付けられる。

「…怪我はないか?隠れてろよ」と、念を押してから銃を構えて飛び出していくのは、いくら流行に疎い私でも知っているヴァンパイアハンターのロナルドさんだった。

その言葉で我に返り、慌てて壊れかけた建物の物陰に座り込んで隠れながら、ロナルドさんの様子を見守ると、間一髪で振り回される怪物の腕の攻撃を避けながら、素早く弾を相手の急所に撃ち込んでいる。
さすが「ロナ戦」のロナルド…!と目を見張って驚いている私の視界の片隅に、突如何かモソモソ動くものが見えた。
…動物?丸い…。なんだあれ…。 
……アルマジロ?

…信じがたい気もするが、まさに怪物が暴れているその方向に向かってアルマジロがヨチヨチと歩いているのだ。

「ちょっと…アルマジロ…くん!危ないって!そっちは…」と、聞こえるのか聞こえないのか分からないが、ヒソヒソと精一杯呼びかける。 
「こっち!きて!そっちはダメ!」と身振り手振りで必死にアピールすると、やっと振り返るアルマジロくん。

ヌ?とアルマジロくんが首を傾げて、こちらに一歩踏み出した瞬間、断末魔の悲鳴を上げながら倒れる怪物の手に当たって弾き飛ばされたコンクリートの小さな固まりが思い切りこちらに飛んでくるのが見える。  
あ、このままだとアルマジロくんの上に……
と、思った瞬間、身体が勝手に動いて飛び出していた。

ストッキングが破れるのも構わずに、転ぶように滑り込んで膝をついてアルマジロを抱き上げて、一安心。
…だが呑気に再び立ち上がろうとすると、そこには目前に迫るコンクリートの固まり。

あ……私ってば、体育の成績は中の下だったんだよね…なんて思い出すのは走馬灯なのかな?
動きは全てがスローモーション。
恐怖に目を瞑って、アルマジロくんを抱き締めて身体をうつ伏せて覚悟を決めて……。

……ドカッ、という音が、背中のほうで聞こえる。
が、身体に衝撃はない。

「……?」

呆然とする私の背中のほうから、
「…だ、大丈夫ですか…?」というか細い声が聞こえた。

バッと身体を反転させて振り返ると、そこにいたのは、私に覆い被さって庇ってくれている男の人。
ちょこんと束ねた後ろ髪に、やたらとガタイのいい身体。左腕には何だか凄そうなアームパーツがついている。
そしてその背中からは、パラパラ落ちてくるコンクリートの破片。

…もしかして、背中で受け止めて庇ってくれたの…? 

「え、あなた、背中が…!」と慌てて見上げて背中に手をやる。
申し訳なくならないといけないのはこっちなのに、何故か困り顔なのは向こうのほう。 
「…俺は大丈夫です…」なんて言って立ち上がり、手を後ろにまわして、背中を簡単にサッサと払ってから、手を差し伸べてくれる。

その手を素直に受け取って引き起こしてもらうと、2人思わず向き合ってしまった。
改めて命の恩人の顔を見つめると、造りは強面なのに、滲み出るお人好し感。
…こんなに優しそうなハンターもいたんだ…なんて無遠慮に眺めていると、みるみるうちに真っ赤になるその顔。
…そんなにまじまじ見てたかな、なんてこっちまで照れてしまうが、ふと、目線を下にやると、差し出された手を未だに握ったままだったことに気付いて、あ…。と、さらに赤面。

「ゴメンナサイ…」と手をパッと離して目線をハンターの彼に戻した瞬間に、びっくり仰天。

そこには怪しげで痩せ細った吸血鬼が、彼の後ろで両手を広げて恐ろしい笑みを浮かべていたのだ。


「わぁっ!!あ、危ない、うしろ!!吸血鬼!!」と叫んで彼の両手を思い切りこちらに引っ張って避けさせようとしたが、その拍子に自分が何か丸いものにつまづく感触。

…あ、アルマジロ…。

と気づいた瞬間にはもうハンターの彼も道連れにもつれ込んで後ろに投げ出される身体。
地面に背中がぶつかる直前、慌てた顔の彼が私の頭の後ろに手を回して庇ってくれていることに気付く。
ああ、本日2度目の命の恩人…。

同時に聞こえるのは、「あぁっ!ジョン!!」と慌てて叫ぶ吸血鬼らしき男の声。
そのままマントを翻して身を投げ出し、私たちの下敷きになりかけていたアルマジロ君を素早く救出して再び飛び上がる。

が、吸血鬼は何がどうなったのか、力尽きたのか知らないが、そのまま再び倒れてしまった私とハンターの彼が、気まずそうに目を合わせているその上にヒューっとお尻から落下してきたのだ。
それに気づいているのは仰向けの私だけ。

思わずギョッとして目を閉じたその瞬間、どすん、という衝撃とともに、唇に感じる、柔らかい感触。


…あ。


ゆっくり目を開けると、全く同じタイミングで目を開けるハンターの彼。
至近距離で目が合うその瞳までの距離、わずか1センチ。
唇と唇の距離は、ゼロ。

私の頭の後ろには、ぶつからないように回された彼の右手。左手のアームは、肘をついて私にのし掛からないように突っ張ってくれているが、それ以外は間に合わずに私の上に乗っかっている状態。

「う、ゴメンよ〜腕の人〜落ちちゃったぁ」とお尻をナデナデしながら起き上がった吸血鬼が、私たち二人の光景を見て、サァッと砂になるのが横目で見えた…。

「おい、ドラルク、お前がなんで…」としっかり任務を果たして戻ってきたロナルドさんも、この光景にガチャン、と銃を落として白目を剥いている。

…たっぷりそのまま10秒は思考停止していただろうか。

「あ、うわぁぁ!ゴメンナサイ!!」とバッと身体を離して起き上がった彼は、涙目でアワアワと行ったり来たり。

「サテツが…サテツがぁぁぁ!お姉さんとキ……うわぁぁ!」と頭を抱えて叫ぶロナルドさんに、
「すごいぞ腕の人ぉぉ!」とアルマジロを抱えて喜ぶ吸血鬼。


あ、ナニ、コレ…この人たち、ダレ…。と頭が真っ白の私は、思わず空を見上げたまま、右手でとっくにどこかに吹き飛んだコーヒーのカップを探したのでした…。


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