スマートな愛し方


ドライヤーのスイッチを止めたら、乱れた髪を手ぐしで整える。今夜はもう寝るだけなので、あくまで適当に。
湿気た空気を逃すために脱衣所のドアを引いて半分だけ開けると、リビングのほうから何やら楽しそうな声が聞こえてきた。先に風呂から上がっていた、恋人の声だ。

「OK ドゥードル、明日の天気は?」
【 明日の東京は、最高気温20℃、最低気温13℃、曇りです】
「OK ドゥードル、じゃあ明後日は?」
【水曜日の東京は、午前中は雨、夕方から晴れるでしょう】

いわゆる、スマートスピーカーというものだ。意外に思われることが多いが、面倒臭がりで、かつ、実はミーハーな部分もある私は、最近、声だけで様々な指示や質問に反応するというスマートスピーカーを自宅に導入してみたのだった。

それにすぐに反応したのが、私より何倍もミーハーな恋人の名前だったのだ。今夜だって、久しぶりの外食を終えて私の家に帰ってきたと思ったら、真っ先にリビングの丸い機械に向かって「OK ドゥードル、ただいま!」なんて挨拶していた。
今だって、スピーカーの前にぺたりと座り込んで、必要もないのに対面しながら延々と「会話」している姿が目に浮かぶ。

「OK ドゥードゥル、英語で『こんにちは』ってなんて言う?」
【英語で『こんにちは』は『Hello』です】

……ほら、やはり。
足音を立てないようにそっとリビングに入ると、案の定、
名前はテレビ台に置いたスピーカーの前に体育座りして、(ハローね、なるほどね)、なんて呟いている。
いつもと違って、右側の毛先だけ、癖が出てクルリとワンカールしている。普段は念入りに髪を乾かして、あれやこれやのお手入れに勤しんでいるというのに、それを見る限り、今夜はそれも片手間にスピーカーのお相手をしているようだ。

「OK ドゥードル、フランス語で『こんにちは』はなんと言う?」
「……最初から答えが分かっていることを聞いてどうするんですか」

丸い機械から妙なアクセントで流される音声をかき消すように後ろから声をかけると、「答えが本当に合ってるか確かめないと。機能のチェック!」と、振り返りもせずに楽しそうな声が返ってきて、ほんの少しムッとしてしまう。
……私とそいつ、どっちが大事なんですか、なんて、言いませんけど。

「OK ドゥードゥル、なんか悲しいな」
【あなたの悲しみを私のデータベースに転送できたら、削除して永遠に復元できないようにします】
「ええっ……すごい、こんなことも言ってくれるの?嬉しい…」
「一応AIですから。まあ、きっとワンパターンですけどね」

つい、棘っぽい声になってしまうのは何故なのでしょう。こんなぽっと出の人工知能に私が負けているとは思いませんが。

「OK ドゥードゥル、大好きだよ」
【―本当ですか?私もです】
「ユーザー全員に言ってますよ、それ」
「ちょ、建人、静かに!」

ガバッと塞がれた口からモゴモゴと(静かにってなんですか)と抗議しても、名前はすっかりスピーカーの反応に意識を集中させている。本物の恋人の口を抑えたまま、ひと時の機械の恋人に微笑んだ名前は、ゴホンと咳払いしてから「OK ドゥードル」と切り出した。

「えっと……『私もだよ!』」
【―すみません、よく分かりませんでした】
「ええっ、急に手のひら返すじゃん…」

ガクリと脱力した名前の肩にポンと手を置いて、「まあまあ。人工知能といってもまだ発展途上ですから。文脈が無いと会話が成り立たないのは、スマートスピーカーを名乗るにはどうかとは思いますけど。ちょっと使えませんよね」と嬉々としながら慰める。「じゃあなんで買ったのよ」という、全くもって正当な突っ込みは聞き流して。

というか、今夜のデートはまだ継続中なのではないでしょうか。むしろ、最後のメインディッシュのために、こうして今2人とも風呂上がりというわけで。こんな風に、横道に逸れている場合ではないような気もしますが。

そんなことを悶々と考えていたら、またしても本日何度目かの「OK ドゥードル」が聞こえてきたので、思い切り振り返る。まさか、まだ続ける気なんですか。

「OK ドゥードル、私の……えっ?あ?ちょっと!」

きゃあ、と可愛く上がる悲鳴に、【すみません、分かりませんでした】という抑揚のない機械音声がかき消されていく。悲鳴の理由は、突然後ろから抱きすくめられたせいだろう。ガッチリ名前を抱え込んだまま、パジャマのシャツのボタンを下からさっさと外していく。

「え、あ!こら、ダメ!」
「ダメ?命令にしては少し定義不足ですね」
「わかるでしょ!これ!脱がせるのを!」
「……すみません。よく分かりませんでした」
「建人!」

あっという間にひん剥かれて、華奢なキャミソールとショーツだけになった名前を改めて後ろから抱きしめて、お腹に手を這わせながら首筋に口付けを一度。

「どうしますか?指示してください」

熱くなり始めている体温と、抱き締めている腕にまで伝わる鼓動の速さで、もう名前の気持ちなんてお見通しですが。
しばらく黙っていた名前は、俯きながら「おーけー、建人……」と小さな声で絞り出した。

「……電気消して」

ソファの上に転がっていたリモコンを手繰り寄せて、スイッチをオフにする。照明が落ちたことを自動的に感知したスピーカーが1度だけライトを点滅させたのを視界の片隅に入れる。私の勝ちです。

名前の肩にかかるカールした毛先をそっと避けて、なだらかなそのカーブに口付けた。
貴女のお願いなら何だって、仰せのままに。全部してあげます。手動ですけど。

どれだけ技術革命が進んでも、自動化できない人間の営みもあるというものです。


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