02

熱い…。
身体の内側に籠もった熱が飽和状態になり、溢れ出た熱が全身の毛穴を通して蒸発していくようだ。 

ほんの少し指を動かしてみる。…動く。
今度は腕を動かしてみる。…動く。
どうやらまだ生きているようだ。ゆっくり目を開くと、そこは暗闇。夜…か?何日こうしていた?どこかで倒れて意識を失ったのか…?
だが、確かにここは野外ではなく、室内。しかも柔らかな布団に寝かされている。

…ここはどこだ…?ああ、それよりも…。
布団の中に籠もった空気は体温で熱され、その熱された汗を吸ってじっとり湿った布団の感触は不快極まりない。

「ーっ!」
うまく力が入らない身体の半身をよじって、足で掛け布団をバサッと蹴りどける。いつの間にか軍服ではなく寝間着代わりの浴衣を着せられていたことにそこで気づいた。
布団を蹴る動きで揺らされた空気はキン…と冷えていて、はだけた浴衣の隙間から急激に冷やされた身体の表面に、ブルッと鳥肌がたつ。

「…………」

少しだけ布団を引っ張り直し、足先だけ布団をかけ直してから、ふと、隣を見やると、横に敷かれた布団に女が丸まって眠っていた。

顔はこちらに向けて、布団を口元まですっぽりかぶり、すうすうと寝息を立てている。布団の横には刺繍の入った手布のようなものが転がっており、作業の途中で寝入ってしまった様子がよく分かる。

そして、枕元には水差しと洗面器。洗面器には水が入っており、真っ白な手拭いが浸されている。

そうだ、病院から逃げる途中で手術跡が痛み出し、高熱と耐えきれない頭痛に、一晩だけでも…と山小屋で身体を休めようとして……。
……狩りの時だけ猟師が使う山小屋かと思ったら、この女が家主だったのか。

まだ少し痛む頭を押さえて上半身を起こすと、反動で自分の額から濡れた手拭いが落ち、ペチッと間抜けな音を立てる。

「……ん…」

身じろぎした女が吐息を吐いて寝返り、仰向けになったので顔をまじまじと見ると、年の頃は俺と同じくらいか…。眠っている顔だけ見るとわずかながら年下にも見える。
だが、本意ではないがこの間羽交い締めにしたときに微妙に感じ取った敵意や覚悟からすると、肝も据わっており、そう年は離れていないだろう。
こんな所に布団をひいて、男と添い寝するところを見ると夫はいないだろう。独り身か?ここにも一人で住んでいるのか?男の気配はないが…。

部屋を見回すと、そこには刺繍の入った大きな布が無造作に吊る下げられていたり、小瓶に一輪、野の花が活けてあったりと、女の住む部屋といった印象。

だが。
……誰かに俺のことを話したのか?
軍服を見れば俺が第七師団ということはすぐに分かるはずだ。それとも、話される前にいっそ……。

目は自然と自分の銃を探す。こんな状況でも真っ先に考えるのは銃のことだ。
キョロキョロと部屋の中を見回すがどこにも銃はなく、焦りを感じ始めた矢先に、それが自分のすぐ近くの背後の壁に立てかけてあることに気付いて一人で小さく失笑する。ご丁寧に軍服も畳んでその下に置いてあった。

銃を確かめようと手を伸ばした瞬間に、女の目が薄く開いてこちらを見たので、やましいことは無いがビクッと手を引っ込めてしまった。

女はゆっくり開いた瞳をぱちりと一回まばたき。顔をしかめて、起き上がった俺をじっと見て、両手でゴシゴシ目を擦ったあと、もう一度まばたき。

そして、いきなりガバッ!と起き上がった。

「目が覚めたんですか?!尾形さん!良かった……」

そう言って、泣き笑いのような顔を見せる。

「まだ本調子にはなりませんから、横になっていてください。ほんとに、目が覚めて良かった…。大丈夫ですか?頭、痛くないですか?お水、飲めますか?」

矢継ぎ早にそう聞かれて俺も戸惑いが隠せない。……それに、今俺の名前も呼ばなかったか?

「あ、すみません。突然……あの、私の名前は、名字名前と申します。」

自分が見ず知らずの男、しかも病人に向かって畳みかけるように話しかけていたことに気付いたのか、名前という女は、気まずそうに自己紹介する。

だが同時に、俺の胸をそっと押して倒そうとし、まだ寝ていろと動作で促すその視線には、諭すような有無を言わせぬような雰囲気の何かがあって、謙虚なのか気が強いのか分からなくて内心笑いがこぼれそうになってしまう。まあ、実際身体もまだ起こしているだけで辛く、ここは素直に従って身体を倒して再び横になった。

そんな俺の身体に手を添えて横たわらせながら、「…覚えてらっしゃらないかもしれませんが、ここで初めて会ったとき、尾形さんすごい高熱で……」と、女は話し続ける。

横たわった俺の額に手を当てて、未だ残るその熱を確認して眉をひそめると、額に当てていた濡らした手拭いの在りかをキョロキョロと探して、布団の向こう側に落ちているのを見つけて、膝立ちになり手を伸ばして拾う。

俺の位置からだと、その動きではだけた寝間着の合わせ目からチラッと白い膨らみが見えて、思わず目をそらしてしまった。その視線に気付いた名前は赤くなって寝間着の胸元を手繰り寄せて、どうやら今更ながら自分が薄い寝間着のままだったことに気付いたらしい。

空気を変えようと、今度は俺から言葉を返す。

「いや…おそらくほとんど覚えている。というか、思い出した。高熱で朦朧としていたとはいえ、強盗紛いのことをしてしまってすまなかった。看病までしてもらったようで……感謝している」
「いえ、びっくりしましたが、あの熱だったので…」

……よし、礼は言った。そして、どうしても、聞かなければいけないことが、一つ。

「……そういえば……もしや、軍に連絡してくれたのか?」

怪しまれないように、ごく自然に、何てことないかのように。

「……」

急に黙り込む名前は目を伏せてピタッと動きを止める。

(……やはり)
世話になったから、どうこうするのも忍びない。しかし、何らかの形で言い訳か口止めは必要だ…。
もう一度銃をチラリと見上げた瞬間、

「あの……すみません。やっぱり、軍に連絡しなきゃまずかったですよね……?」と申し訳なさそうな名前の声。
「…連絡していないのか?」
「…っすみません!実は、尾形さんが倒れる前に、自分がここにいることは誰にも言うなって言ってらして…。私何となく、軍にも、ってことだと思ったんです。でも、さすがに軍はやっぱり対象外ですよね…?規律違反になりますか?私、…実は本当に誰にも連絡してなくて…」

たはは…といった表情で眉を下げる名前。こいつ、やっぱり妙に思い切りがいいというか、敏いところがあるというか…。

しかし、その事実に不思議と気持ちがすっと楽になってきて、笑顔さえこぼれそうだ。今、生き延びていて、脱走はとりあえず成功といえる。

困り顔な名前に顔を向け、はっきりと告げてやった。

「いや、連絡していなくて良かった」
「はぁ…」

一瞬逡巡。さらに数秒あけて本当のことを告げる。

「……実は俺は脱走兵なのだ」
「えっ?!」
「…思うところがあって師団とは別の動きをしている。できれば、これからも黙っていてほしいのだが」
「…そうなんですね。分かりました。では、本当に軍に連絡してなくて、良かったです…」

…名前はそう言って、ホッとしたように洗面器の中の水に手拭いを浸して絞っている。
いや、反応はそれだけか?

「お前…反応は…それだけか?」
…思わず口にも出ていた。

名前は俺の反応から何かを悟ったらしい。

「何か事情があったとしても、私からは聞きませんよ。約束も守ります。安心してください」と、そう言って手拭いを俺の額に乗せてポン、と小さく叩く。
…子供のようにあやされたようで何故だか腹が立つが、悪い気はしない。なんなのだ、さっきから漂う、この気楽な雰囲気は。

「…そういえば、お前何故俺の名前を知っているんだ?」

ふと、さっきから感じていた違和感を問うてみる。まさか俺や俺の父上を知ってはいまいな?

ああ、と名前もそれに気付いたようで、「軍服の裏地の名札ですよ。寝間着の浴衣に着替えさせてもらったので、そのときに」とニッコリ。

なるほど…ときちんと畳まれた俺の衣服を何気なく見やってから、思わずギョッとしてしまった。

「私、刺繍や裁縫の仕事をしているので、つい裏地も見てしまって…。あ、とりあえず、汗をすごくかいてらしたので、洗濯はしておきましたが…。そうそう、たまたま男物の浴衣を仕立てていたので助かりました。これから納期まで新しいのを急いで仕上げないとですけどね…」

と話し続ける名前に、無言で畳んで置いてあったものの中から、ピラッと布を掲げて見せるてやる。それを見た名前の顔がみるみる真っ赤に染まり、「あっ…」と何かに気付いた模様。

そう、先ほど俺が見つけたのは、きちんと畳まれた軍服の上に、さらにきちんと、ちんまり畳まれていた俺のベルトと…褌だった。
それに気づいてから、話し続ける名前を横目に慌ててこっそり下を確認すると、浴衣以外何も履いていない。少々照れくさくなってしまうが、さっきこの俺を子供扱いした仕返しに少し反撃してやることにして、褌を手に取って見せてやったというわけだ。

そして。

「あの、違うんです!別に変な意味では!ただ全身に汗をかいていたので、拭くときに…とにかく下着まで汗びっしょりだったんで、脱がせて……」と、名前は真っ赤になっている。
そうだろうとは思ったが、無言の抗議代わりにジトっと見つめてやると、名前も口を尖らせてジトっと睨み返してきて開き直って言い訳。

「…でも、ちゃんとは見てませんから」

…思わず心の中で吹き出してしまいそうになった。それ、男の台詞だろう。
いやしかし、なかなか気が強くて肝が座っていて、どこかこの女を気に入りはじめている俺がいるのも確かだ。

「……洗ったのならまた履かせてもらってもよかったのだがな」と意地悪を言うと、
「…そりゃ履かせようとはしたんですけど、どうやって締めるのかなんて知らないですし、そうこうしてるうちにこんがらがってきちゃって…もう浴衣で隠してしまえと…」と頬を赤く染めながら真面目に答える。
全裸の俺を目の前に、褌を締めようとあっちにこっちにてんやわんやしている我ながら滑稽な様子が目に浮かび、思わず口角が上がってしまった。

「…やっぱり、見てるではないか。生まれたままの姿を見られるとはなぁ」

まぁ自分は軍人だし全裸を見られるくらい全く何とも思っていないのだが、重ねてあえてそう返すと、見た目にも分かるほどピキッと青筋が立つ名前の顔。
…なるほど、からかうのも度が過ぎると照れから怒りに転換、と。

「…まだ回復したわけではないので、大人しく寝ていてくださいね、尾形上等兵殿」と作り笑顔でニッコリする名前に、俺もいつものニッコリ作り笑顔で返してやる。

…いやだからなんなのだ、この、緩んだ空気は。

しかしながら、ずっと張りつめていた緊張がふと解けて、急激に眠気が襲ってきて、枕を抱えて、土間に降りていった名前のほうを向く。

「なぁ」
「はい?」と水差しに水をくみながら答える名前。

「しばらく、ここにかくまってもらいたいのだが、良いか?」と改まって尋ねると、「もちろんですよ。回復するまでここにいてください」と真剣な声。

その声に不思議と安心して、ふああ、と欠伸をひとつ。
意識を手放す瞬間に考えたことが、(あいつが全部見たのなら俺もあの時ちゃんと見ておけばよかったのだがな。)なんていう餓鬼臭いことだったというのは、あの女には言わんでおこう。

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