さよならのあとに



朝、目覚ましの音で起きて、洗面所の一つの歯ブラシで歯を磨いて、食器を一枚だけ使って朝ご飯を食べた。テレビを見ている余裕は無くて、食べ終わった食器を片付けて、すぐに家を出た。マフラーで口元を覆いながら、駐輪場のスペースが空いているのを見て、とうとう御堂筋くんが静岡から出て行ってしまったことを実感した。





空き時間を部室で過ごしていると、荒北さんがやってきた。毎週のこの時間、授業の無い私たちはここで過ごすから会うこと事態は珍しくない。しかし、今日ばかりは意外そうな顔をされた。


「今日、アイツ帰るんじゃねェの」


アイツ、とはもちろん御堂筋くんのことだ。言い方は雑だけど、私たちのことを心配してくれるところも相変わらずで、やっぱりこの人は優しい人だと思う。


「てっきり見送り行くから、今日は来ねェと思ってた」
「朝早くに出たみたいです。起きたらいなかったし」


それに一限もあったし、と付け加えることは叶わなかった。荒北さんがものすごい顔でこちらを凝視したまま、絶句していたから。
手をぶるぶる震わせて、今にも怒鳴りだしそうだ。限界まで開かれた目には怒気が含まれていて、少し恐い。


「………は?いなかっ、…はァ?」


何か言いたそうに開く口からは、果たして怒鳴り声ではなく深い深い溜息が一つ漏れた。その手を力無く机に落として、荒北さんはずるずると項垂れる。


「どうしましたか」
「………なまえチャンが不憫すぎて泣きそうだヨ」


ず、と鼻を啜る音が聞こえて、ひょっとして本当に泣いてるのか、と不安になった。泣かないでください、と言うと、泣いてねェよ!!と怒鳴られたので理不尽だと思った。そのくせ顔を上げた荒北さんの吊り上がった目は微かに潤んでいて、私はどうすればいいのかわからなくなってしまう。


「…今日が、最後だったんだろ」
「はい。だから、昨日のうちに行ってらっしゃいは言っておきました」
「………それでいいのかよ」


物足りなさを感じてはいないか、言い残したことがあったのではないか。もっと、最後まで、一緒にいたかったんじゃないか。
そう訴えかけるような荒北さんの目をまっすぐ見つめて、はい、と返事した私の感情は、とても穏やかだった。


「私たちは、これでいいんです」


言葉が足りなくても、別れが淡白でも、次の帰りがいつか分からなくても。


「私たちらしくて」


あの時の手の優しい温もりを、覚えている。
あの時過ごした穏やかな時を、覚えている。
願い合う切なさを、想い合う甘さを、心が繋がる幸せを、覚えているから。


「そうかよ」


薬指に光る指輪を見て荒北さんが呟いた。




ひづけ
(お題配布サイト「確かに恋だった」おだやかでせつない恋だった10題 より)








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