ことばがたりない



御堂筋くんが来てから、変わったこと。
朝、大きな手が私を揺すって起こしてくれること。
洗面所に歯ブラシが一つ増えたこと。
一度に使う食器が増えたこと。
少しだけテレビを見る時間が増えたこと。
ずっと空いていた駐輪場の私の部屋のスペースに、彼のロードバイクが停まっていること。
学校や部活が終わって家に帰った時、


「ただいま」


と言うと、


「遅い」


………おかえり、と言葉が返ってくること。





御堂筋くんは、とても寡黙な人だ。
彼と同じ自転車乗りの人にはいくら言っても信じてもらえないし、最近では、お前騙されてるんじゃねェの、なんて失礼なことを言われもしたけれど、私といるときは本当に静かに時を過ごす人なのだ。それは半年ぶりに再会した今も変わらなくて、私の手に重ねられた御堂筋くんの大きなそれは、あの頃と変わらない体温を伝えてくれて、私にとても穏やかな幸せを感じさせてくれた。

言葉、ただいまとか、おはようとか、そろそろご飯食べようか、とか、そういったものへの応えは御堂筋くんはよくくれる。彼から言葉をくれることだってあって、私が朝布団の中で微睡んでいると、早よ起きや、遅刻するで、とずっと話しかけてくれるのだ。
ただ、初めてのツール・ド・フランスのことや、ヨーロッパでの生活についてなんかは、やっぱりいつもの寡黙さを取り戻して、あまり多くを語ってはくれない。
絵葉書のことを聞いた時も、ヴィル=ダヴレーいうとこや、と言ったきり、後は自分で調べ、とそこからはまた、取り留めのない言葉を交わすに終わった。

私たちは一日の中で、数える程しか会話をしない。それを言うと、もう一人のマネージャーの子は、それ本当なの?とすごくびっくりしていた。彼女は同期のクライマーの子に告白して付き合って、毎日一緒に帰っているらしい。会話が絶えなくて、会う前の頃の話や普段の勉強の話などを色々聞いて、彼のことをたくさん知ったとこの前話してくれた。だから余計に、空いた半年を言葉で埋めないことに驚いていた。

でも、私たちはこれで良い。たくさんの会話なんて似合わない。半年、何度も逢いたいと思って、今報われた。ただそれだけでいい。僅かな時間を、私たちはあの頃と同じように満たすだけでいい。伝えるものが少なくても、伝わるものはとても多いから。私はもう、それだけで幸せだから。


「なあに?」


テレビから、控えめにバラエティの音が鳴っている。それくらいしか音が無い静かな空間で、御堂筋くんの指はずっと私の指をなぞっていた。付け根を、関節を、爪を、先を何度も。


「………君は、」


特別な行為ではないと思っていた。だから予想していた、なんでもないわ、という言葉でないことを少しだけ意外だと思いながら、注意深く耳を傾ける。


「ボクに縛られてて、ええの」


御堂筋くんは多くを語らないけれど、一つの言葉にたくさんの意味を込める人だ。それをいちいち捕捉するような言葉は持たないし、その返答を急かすこともしない。だから私はゆっくり、その言葉に込められた彼の想いを夢想する。こんな感情なのかな、とかこう考えているのかな、とか。例えば、心配や不安、一人の寂寞とその後の安堵を、遅い、の二文字に込めたのかな、とか。

だから今回も、その黒い瞳が揺れるのを見ながら、彼の意図を、彼が何を思ってその問いを投げたかを考えていた。

御堂筋くんの指は、さっきからずっと私の薬指をなぞっている。その指に込められた意味を知らないなんて、私は言わない。
彼は、そこに何かを嵌めたいのだろうか。それとも、嵌めて欲しいという私の期待を、疎んでいるのだろうか。
縛るとは、なんだろうか。私が、彼を好きでいる状況?離れる前の約束を、ずっと私が待っていたこと?
縛られてていいの、とは、今で本当に満足なのか、という意味だ。彼の望みは何だろうか。私が満足していることか、満足していないことか。私が彼を想うことが煩わしいのか、彼から離れたがっていることを厭うのか。
その根底にあるのは、不安。
彼が私を忘れたがっているのか、私に忘れてほしいのか、それはわからない。だから私は、自分なりに彼の言葉を飲み込んでから、自分の答えを届ける。


「あきらくんが好きだから、ずっと繋がっていたい」


心が何かで繋がっていたらいい。それは、目に見えても見えなくてもいい。ただ繋がっていることを、こうして実感したい。この気持ちは、貴方に縛られているから生まれるものじゃ、ない。

きゅっと目が大きくなって、びくりと肩を震わせて、御堂筋くんは止まった。体は一ミリも動かなくて、息すらしていないように。止まった彼の手にそっと手を重ねると、彼は呆然としたままその手をじっと見つめた。


「私は、あきらくんが、好き」
「………」
「だから、」
「もうええよ」


抱きすくめられて、頭を撫でる手が温かくて、私はもう何も言えなくなった。

どれだけ会えなくても、ずっと想ってる。帰りを待つことだって構わない。長くても、遠くても、私は、貴方を

嗚呼、駄目だよ、あきらくん。

好きなんて言葉だけじゃ、私の気持ちを伝えるには、まだまだ足りない。




20141126
(ヴィル=ダヴレー…第一回ツール・ド・フランスのゴール地点だそうです。)










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