tempo dolce



配属されてずいぶん経ち、一つわかったことがあるが、調査兵団は常に人手不足だ。
一度の壁外調査でたくさんの人が亡くなる。新兵もベテランも関係無く同じくらいの命のリスクを背負っているし、殉職しても遺族に援助金が払われるようなシステムは存在しない。つくづくお先真っ暗な職場だ。
未だに、あの時憲兵団への道を蹴った自分を恨めしく思う時がある。こんな風に、夜遅くまで作った壁外調査の報告書を、上官の部屋まで提出しに行く時なんかは、特に。





「…なまえさん」



ノックをしても無駄だとは分かっていた。扉を開けると、正面の机には紙ばかり積まれて、俺が今配属されている班の隊長はいなかった。
視線をずらした先のソファにその姿を見つける。唯一女性でありながら隊長の地位を築き、団長からの信頼も厚いなまえさん。
しかし今は不足した人員を補うため、怒涛の勢いで他隊の分まで報告書を作成している。終わる見込みの無い作業に追われる彼女の姿を見るのは痛々しくて、俺はやっぱり調査兵団を恨まずにはいられない。もちろんそれが、的外れだと分かっていても。


「なまえさん、寝るならちゃんとベッドに行ってください」


羽ペンを握ったままうつ伏せで眠るなまえさんは、起きる気配も無い。床にまで散らばった紙を踏まないよう気をつけながらソファまで足を運んだ。
無造作に髪がかかる寝顔を見つめる。折角の端正な顔立ちが残念だ。閉じた目の下にはくっきりと隈が残っていて、不規則な生活のせいで唇もかさついていた。


「…失礼します」


そっと肩を掴んで仰向けにしつつ、膝裏と、それから背中に手を伸ばした。そのまま抱き上げてベッドに運ぶ。以前抱いた時の事を思い出して、その時より遥かに身体が軽くなっている気がして、また苛ついた。
左手の羽ペンを引っこ抜こうとして、明らかにその手に握る力が込められていることに気づいた。慌てて彼女の顔を見ると、僅かに目が開いて、寝起きのとろんとした表情でこちらを伺っていた。…可愛い。


「なまえさん、すみません、起こしましたか」
「………ううん、こっちこそ、ごめん…ね。すぐ再開する」
「いや、いいです、今はとにかく寝ててくださいって」


無理に起きようとするなまえさんの肩を押してまたベッドに寝かせる。やがてなまえさんは抵抗するのを止めて諦めたようにベッドに身を沈めたのだが、それがまるで俺が押し倒しているみたいな体勢になっていて、自分の顔が熱くなるのが分かった。
慌てて彼女の上から退こうとしたのだが、なまえさんが俺の腕を緩く掴んできて、更に空いた手を腰に回したからそれは出来なかった。というか、突然のことで頭が回らないのだが、これはどういうことだ?なまえさんが抱きしめてくれて抵抗出来なくて、また身体が彼女の上に乗っかる。
なまえさんに跨る、俺。さっきまで彼女の体調を気遣う紳士だったはずの心が、急に形を変えて行く。だって俺はなまえさんが好きだし、その、ご、ご無沙汰だったし…っ、仕方無えじゃねえか!


「た、隊長…そろそろ、勘弁してください…」
「………なんで」
「勤務中ですし、ま、万一誰か来たら…!」
「どうして?いいじゃん、一緒に怒られようよ」


ぎゅっと抱き寄せられてお腹がくっついた。俺は、自分のはしたないモノが彼女に気づかれないよう必死で腰だけは浮かせていた。なんて情けない体勢なんだろう。


「隊長、本当、我慢の限界ですから」
「だから、我慢しなくていいって」


「ジャンも一緒に寝よう」


なまえさんの言葉に、俺は凍りついた。なんだかとんでもないことを期待していた気がする。というか、していた。


「あ、寝る…ね、そういう…こと、すか」
「?どうかした?」
「いや、いや、何でもないです、本当」


残念とか、折角なのにとか思う余裕が無いくらい恥ずかしい。てっきりなまえさんに身体を求められたと思って、勝手に、その…興奮しちまったことが。
俺が赤いのか青いのかよく分からない顔をしていたからか、なまえさんが更に言葉のナイフで俺を刺しにくる。


「もしかして、シたかった?」
「!!」


図星だった。
俺の沈黙と赤面を、否定だと受け取るほどこの人は馬鹿じゃない。俺のどピンクな頭の中を見透かして、なまえさんは眠気を吹っ飛ばすかの勢いで笑い出した。


「ふ、ふふ…!ごめ、ジャン…!」
「そんな笑うことないでしょう…!」
「冗談、だったのに…!ふふっ」
「…もう、知らねえっす…」


不貞腐れて彼女をぎゅっと抱きしめる。というか、これ以上赤面した顔を見られたくなかった。
ごろんと横に転がってもなまえさんはまだ笑っている。


「そんなに笑わなくてもいいでしょう…」
「ごめ、ごめんってばジャンっ…!うっ」
「………」
「ジャン、ヤダ、拗ねちゃ駄目」


どうしろって言うんだ。半ば自棄になってぎゅうぎゅう抱きしめていると、苦しい、とまた笑いながら言われた。

「…だって、もう何日触ってないと思ってるんですか」
「うん、ごめん」
「別になまえさんのせいじゃないです、けど」
「………うん」
「もっと、自分を大事にしてください」
「…えへへ」
「…俺、怒ってるんですよ?」
「え?ジャン怒ってるの?」
「………怒ってないです」


駄目だ、この人の方が何枚も上手だし、俺より絶対強い。というか、俺がこの人に甘すぎる。なまえさんは安心したように笑って、ようやく目を閉じた。


「…10分だけね」
「俺は、10時間くらい寝てもいいと思いますよ」
「何言ってるの、まだ勤務中だよ」
「もう…そのネタはいいですから」


くすくす笑うなまえさんがちゃんと眠りにつけるよう、彼女の後頭部を撫で続けた。俺はきっと、10分経っても彼女を起こさないだろうし、彼女もそれを薄々分かっている。それでも今は、少しだけでもいいからなまえさんの疲れが癒えると良い。俺の大事な人が無茶をしすぎて、いつか倒れてしまわないように。



20131006









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