今日の明日も明日の明日も



訓練兵としての一日は大変だ。兵士となるための技術と知識を、来る日も来る日も身体に詰め込む作業を毎日繰り返す。秀でた才能も逞しい体躯も持たない私からすれば、毎日生き延びることにさえ必死だと思う。いつ開拓地送りにされるかも分からない、ギリギリの生活。そんな私を支えてくれる人達は、奇しくも周りから素晴らしい兵士になるであろうことを期待されている者ばかりだった。




















「なまえーっ!頼む、助けてくれ!」


兵法講義が終わった後、騒がしい足音と共に私の座る席にやって来たコニー・スプリンガーが、泣きそうな顔で教科書を目の前に突き付けた。先ほど習ったばかりのページが開かれたそれには、下線や楕円で強調されたいくつかの箇所と虫が這ったようなかろうじて読み取れるであろう文字の板書、そして紙の真ん中を堂々と灰色に染める濡れた跡が、彼がここに来たいつもの理由を物語っていた。


「…また分からなくなって途中で寝たの?」
「だってよ、ここ、何で途中で隊列が変わってるんだ?」
「それはここまで進んだ時にね…」


終了の鐘が鳴ると、高い確率で彼はこうして私に縋り、途中まで努力した形跡を私に見せてから理解できなかったところと、そのせいで教官の声を聞くことも諦めた範囲を全部聞いてくる。そのうち私に聞くことに慣れたコニーは、居眠りに対するお咎めの言葉をうまくすり抜けるようになってしまった。私も薄々は気づくのだが、限られた時間で彼のせっかくの絞り出したようなやる気に水を指すような野暮なことをしたいとも思わないので、そのまま説明を続けた。
私が教科書の一文を説明する度、コニーは「うん、うん」と相槌を打つ。彼はとても分かりやすい。素直に頷く時は納得しているし、語尾が「…うん?」と上がる時は理解に躓いている証拠だから、もう一度説明を重ねる。そうして順を追って、今日の範囲をできるだけ丁寧に教えてあげた。


「…そしたら左の小隊がだんだん右にずれて行けば、均整が取れるでしょう?」
「ああ、なるほど…やっぱなまえすげー、超分かりやすい」
「え?そんなこと無いよ、私より絶対アルミンやマルコの方が」
「何だ、また熱心に教えてやってんの?どうせ三日経ったら全部忘れてるよ」


目の前の彼に対する失礼な言葉と同時に、頭に何かがのしかかった重みを感じた。落ち着きはあるけれど、決して低くない女性らしい声。コニーは、彼女の顔を見て明らかに表情を歪めた。


「ユミル、そんなこと言わなくても。コニー頑張ってるよ?」
「そうだブス!お前は帰れ!」
「コニー、その言い方もちょっとどうかと…」
「とか言って、こいつのこの間の試験、下から数えた方が早い成績だったろ」


私の頭に腕を乗せたユミルの言葉は、的確に目の前の少年の痛いところを突く。証拠に、ぐぬぬと唸りながらコニーは何も言えないでいる。
コニーは別に、勉強に対してそこまでやる気が無い、というわけではない。噛み砕いて教えたらそれだけ理解しようと努力するし、狩猟で生きてきた実績だって彼の理解力を高めてくれる。唯、少し…そう、ほんの少しだけ、物覚えが悪いだけだ。いや、もしかしたら私の教え方が悪いせいで、あまり記憶を定着させられないだけかもしれないし。


「なーそんな奴の相手よりもさーちょいと私の相談に乗ってくんね?」
「なあに、またクリスタのこと?」
「お、よく分かってるじゃねえかなまえ。どうせなら私の側室にしてやりたいくらいだ」
「ん?そくしつ、って何?」
「…なんかすげーくだらない意味の気がするぞ」


聞き慣れない表現に私は首を傾げ、コニーは警戒心を目に宿しながらユミルを見上げる。
やいやいとしばらく言い合っていると、パタパタと背後から走って来た何者かがユミルに突撃をかました。私がそれを感じ取ったのは、彼女がうぐっと呻いた後に私の頭の上から彼女の腕がずり落ちたからである。


「もー!ユミルはそうやってすぐ人の邪魔して!」
「なんだよクリスタ。嫉妬してても可愛いな」
「…そんなんじゃないよ…」
「よ、よおクリスタ。今日も大変そうだな」
「ごめんねコニー、なまえ。ユミルが迷惑かけて」


迷惑、という単語を聞いて、ユミルが納得いかねえ、と言いながらクリスタの肩を抱く。ぐっと顔を近づけたものだから、女の子同士なのにユミルが優男っぽく見えて、なんだかドキドキしてしまう。


「迷惑ってなんだよ。私は別に」
「頑張ってる人の邪魔しちゃ駄目でしょう!ほら、行こ」
「わりーなお二人さん。クリスタが私のこと独り占めしたいらしいんだわ」
「うん…もうそういうことでいいから」


クリスタは、もう一度私たちに謝ってからユミルと一緒に教室を出て行った。ちょっとした嵐が過ぎ去った気分になって、私はコニーと視線を交わす。


「…相変わらず強烈だねえ」
「あいつのクリスタ好きは、ちょっと異常だろ」


確かにそうかも、と笑って教科書を閉じた。そろそろ移動しないと次の対人格闘訓練に間に合わなくなる。教官は、少しでも遅刻したら容赦無く外周を命じる人だから、コニーもそれを分かってか、教室を出て小走りになった。


「なまえ、また頼むっ」
「いいけど、今度はちゃんと覚えてよっ?」
「が、がんばるっ!」


二カッと笑って、コニーは本格的に走り出した。その後ろ姿を追いかけるようにスピードを上げながら、さっき言いかけてユミルに遮られた言葉の続きを思った。
確かに私は、立体機動や馬術よりも座学の方が得意ではある。それでもマルコやアルミン達の頭の良さには叶わないし、彼らならコニーが覚えやすいよう配慮して教えてくれると思うのだ。頼ってくれることが嬉しくて遠回しにしか言ったことはないけど、そっちの方がコニーのためになるのではないだろうか。
自分のマイナス思考を振り切るように頭を軽く振って前を向いた。今はとにかく外周する羽目にならないよう、一生懸命走るしかないのだから。















息を切らして整列すると、間も無く教官がやって来て訓練の開始を告げた。どうやらギリギリ間に合ったようだ。息の整いきらないままペアを捜す妖しい動作の私に、誰かが後ろから声をかけた。振り向くと、そこにはさっき頭の中で散々噂した秀才のそばかすの男の子と、彼と一緒に憲兵団を目指している刈り上げと鋭い目つきが特徴の、これまた優等生さんだった。


「ずいぶん急いで来たんだね、なまえ」
「ああ、マルコ…実はコニーにさっきの講義について教えてたら、いつのの間にか時間が押しちゃって」
「…コニーに?」


ジャンが、ものすごく形容し難い表情で見てきた。


「…言っておくけど、コニーって物分りは良いんだからね?」
「あー、物分りは、か」
「………うん」


ごめんねコニー、否定できない。
そんな私の微妙な胸中を察してか、すかさずフォローを入れてくれるマルコ。


「で、でも人に教えられるってことは、それだけ理解してるってことだろ?すごいじゃないか」
「…そうかなあ」


私が抱いた密かな悩みが、苦笑いとなって顔に出てしまったのだろう、マルコが不思議そうに首を傾げた。


「マルコの方が絶対教えるの上手いと思うんだ」
「そうかな?」
「うん。コニーも、私に教わるよりマルコに教わった方が覚えられると思うのに」


いつも彼は私を頼るんだ、どうしてだろうね。
困り顔のまま笑いかけると、マルコはしばらくうーんと唸ってから、くす、と一つ笑いを零した。


「僕は、そうは思わないかな」
「…え?」
「なまえが教えるから、良いんだよ」


言葉の意味が分からず、ぽかんと彼の顔を眺めてしまった。いつの間にか教官から木剣を受け取りに行っていたジャンが戻ってきて、マルコがそっちを向く。どうやら彼の真意は分からず終いのようだ。


「なまえ、僕たちからも頼みがあるんだけど、いいかな」
「ん、何?」
「ジャンが対人格闘の動作を確認したいらしいんだ。フォームとか、見てあげてくれないかな?」
「え、私でいいの?」


私は他の実技訓練と比べて、対人格闘はあまり得意じゃ無い。教わった所作をこなすのが難しいというわけではないけど、どうしても人が全速力で走ってきたり、『攻撃』する意志を向けられたりすることが苦手なのだ。だから、マルコとジャンにアドバイスを求められて、正直不安だ。私に務まるかどうか。


「重心とか、腕の動きとかさ」
「うーん、私に言える範囲で良いなら」
「おう、頼りにしてるぜ。目逸らすなよ」
「ありがとう、なまえ」


ジャンが木剣をぽいと放り投げて、マルコがそれを手に取る。
二人も、コニーと同じように私を信じて、頼ってくれている。私は、私なりに少しでもジャンの足しになるような助言をしようと心に決めて、マルコが木剣を構えるのを見た。
マルコが地面を蹴って、ジャンに突進する。そして、ジャンが身を引いて躱してからマルコの腕を背中で抑えて木剣を奪うまでの一連の流れを、私は瞬き一つせずにじっと観察した。
マルコがジャンに取り押さえられて、二人して地面に倒れこむ。心配して駆け寄ると、そんなことより出来が気になるらしいジャンが勢い良く顔を上げた。びっくりしてちょっと仰け反ってしまった。


「どうよ、なまえ!?」
「…ジャン、すごい!いつの間にそんな上手くなってたの?」
「ジャンったら、エレンとの一件があってから猛特訓してさ」
「マルコ、余計なこと言うなって!」


鋭くマルコを睨むけど、その顔は何だか照れ臭そうだ。


「…あんな奴に負けっぱなしなんて、癪だろ」


エレンへの対抗心であっても、ジャンが頑張った事は事実で、今はちゃんとそれが身についている。彼はこう見えても努力家なのだ。自信家で傲慢ちきなところもあるけど、根は真面目な人。目標のために努力を惜しまないところは、見習わなくてはなあと思う。


「で、どうだったよ?どっか、直した方がいいとこ、あったか?」


いざ求められると、私なんかがあの出来の良い対人格闘の動きに助言をするなんて恐れ多いけど、一度引き受けた約束だから、ちゃんと言う事にした。


「えーと、私が気になったところは二つあって」
「おう」
「短剣を避ける動作が少し大きすぎると思うの。最小限に身体を捻るくらいで、もっと相手と距離を詰めておいた方が良いかな」
「…なるほど」
「そしたら、腕を掴むタイミングももっと早くなるんじゃないかな。私が気になったところは、それくらい」


ジャンは私のアドバイスに何度も頷いて、しばらく考えた後、ぽんぽんと私の頭を撫でた。いきなりでびっくりしたけど、柔らかく微笑まれて何だか恥ずかしくなる。


「ありがとな」
「少しでも力になれたなら、嬉しいよ」
「…もう何回か、見てもらっていいか?」


またジャンに頼まれて、言い終わらないうちに短剣を投げ渡された。どうやらならず者役で、技をかけられろという事らしい。格闘術は苦手だから、ジャンみたいな手練れの人と組むのは足を引っ張っている気がして、どうも億劫だ。
助けを求める意図で振り返ると、マルコが苦笑していた。ジャンの満ち満ちたやる気を感じ取っているらしく、場所を変わろうとはしてくれなかった。


「か、勘弁してよ…」
「諦めてよ、なまえ。ジャンも君に見て欲しいんだしさ」


私の実力なんて対した事無いと言って断りたかったけれど、気迫に負けて木剣を構えてしまう。格闘術が得意で、ジャンが頼めそうな人って誰だろう。やっぱりライナーかな。彼はなんでもできるだろうから。















「…何か悩み事か?」
夕食の時間。隣に座るライナーに話しかけられた。ちょうど考え事をしていたから無表情になっていたのだろう、心配そうに覗き込まれる。
ライナー。私たちより年上ということもあってか、しっかりしていて頼れるお兄さん気質で、実際いろんな人が悩みを聞いてもらっている。話せば少しすっきりするんじゃないかと思って、私は思い切って相談することにした。


「あの、ちょっとだけ…聞いてもらえる?」
「!ああ、いくらでも力になろう」


他人に頼られることが嬉しいのだろうか、ライナーの表情が明るくなった。

彼に今日の出来事を説明して、本当に私がみんなの力になれているのか不安になっていることを伝えた。ちっぽけな悩みだと一蹴せず、ライナーは真面目な顔でうなづきながら聞いてくれた。


「頼られるのが嫌ってわけじゃないの。むしろ嬉しいし…
でも、私よりできる人はいっぱいいるでしょ?コニーもジャンも私より上手い人に聞いた方が絶対良いのに。それこそライナーとか」
「…いや、それは違うぞ」
「え?」


驚いてライナーを見上げた。ライナーは、ふっと視線を自分のスープの器に向けて、静かな声で呟く。


「なまえは他人の為に努力を惜しまない子だ。頼まれても頼まれなくても。それに、人をよく見ていると俺は思う。何が足りないかをちゃんと見ているから、的確なアドバイスをできているんじゃないか?」
「それは…そうなのかな」
「ああ。その観察力と一生懸命になれるところを、ジャンもコニーも信頼している。それはなまえにしか無い、なまえだけの長所なんだ」
「…なんだか照れるなあ」
「でも本当の事だ。そんな奴だから、俺も…」


ライナーの言葉はそれ以上続かなかった。不思議に思って言葉を促そうとするも、いや、何でもない、とはぐらかされてしまった。


「とにかく、自信を持て。あんたの魅力は、成績で語れないところにある」


心の中の不安がしゅわしゅわと溶けて無くなっていくようだった。自分の精一杯の努力を認めてくれる人がいることが何よりも嬉しくて。私の一生懸命を、評価してくれていることが。


「…やっぱり、ライナーはすごいな」


自分にできることをみんな評価してくれているのだから、それに応えられるだけの結果を残せばいい。こうも簡単に結論に導いてくれるライナーがいてくれて、本当に良かった。


「ありがとう」


感謝の気持ちを伝えてにっこり笑いかけると、ライナーは口元を手で押さえて黙り込んでしまった。


「どうしたの?」
「いや、何でもない。またいつでも相談に乗ろう」
「うん。ごめんね、食べるの遅らせちゃった」


向かいに座っていたアルミンとベルトルトが先に食器を片付ける為立ち上がる。ライナーは、私が話していたせいでまだ半分も食べ切っていない。しかし、急いで食べる私をよそに、彼の手は止まりがちだった。


「ライナー?早く食べないと」
「…そうだな」


なぜか彼の口角はだらしなく上がったままで、その口に一生懸命スプーンでスープの残りを放り込んでいた。もしかしたら、あれだけみんなに信頼されているに関わらず、実は褒められることに慣れていないのかもしれない。そう思うとなんだか可笑しくなって、少しだけ笑ってしまった。


「どうした?」
「な、何でもないっ」


不思議そうに首を傾げるライナーを誤魔化すように急かして夕食を終え、食器を片付ける。
食堂を出ると、水汲み当番だったライナーを待っているベルトルトがこちらに気づいて手を挙げた。


「すまん、待たせた」
「ごめんなさいベルトルト、私が引き止めちゃったから…」
「構わないよ、ずっと嬉しそうだったし」
「おい、ベルトルト…!」


ライナーが咎めるようにベルトルトの肩をぱしんと強めに叩く。わざとらしく視線を逸らして舌を覗かせる表情に、いつも見ない幼さが滲んでいてつい笑いが漏れる。


「うん、ライナーに相談に乗ってもらったお陰で、明日からも頑張れるよ」
「!そ、それは良かった…!」
「今日は本当にありがとう」


やっぱり頼られることが嬉しいみたいだ 。顔を綻ばせて何度も頷くライナーを見てそう思った。


「それじゃあ私、宿舎に戻るね」
「ああ、また明日」


ぶんぶんと手を振るライナーを、ベルトルトが肘で小突くのが見えた。私はそれを見てまたくすっと笑ってから、宿舎に向かって歩く。
明日からまた同じ日が続く。訓練で扱かれ、眠けを追い払いながら知識を詰め込む日々。
サシャに勉強を教えてとせがまれるかもしれない。ジャンの代わりに、明日はエレンに格闘術を組むよう頼まれるかも。でも私は迷わず引き受ける。みんなの力になるために。そして何より、私の力を認めてくれた人の、為に。




20131002









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