四ツ子の魂いつまでも



彼女が何かに執着する姿を、私たちは見たことがなかった。幼い頃から飄々としていて、道端の花を見つめていると思ったらその周りを跳ぶ羽の綺麗な虫を追いかけていたり、勝負事で勝っても負けても全然興味の無さそうな顔をしていたり。それは、訓練兵になった今も変わらない。『故郷に帰る為に兵士になる』といった共通認識も、彼女にとってはほんの些細な事でしかないのかもしれない。かと言って純粋に兵士になりたくて日々努力しているようでもない。彼女が何を考えているか、同郷の私たちでさえ把握し得ることは無かった。





「おい、またあのバカはどっか放浪してんのか」


食堂の席に座りつまらなさそうに悪態をつくのはジャンだった。バカ、という悪口に私の前に座る大男二人は僅かに眉を寄せるが、彼の言う事にも一理はある。飯の時間くらいには多少執着でもしてほしいものだ。


「さあね。いないってことは、そういうことなんじゃない」
「ほんっ…とに仕方無え奴だな、あのバカは」
「おい、ジャン、あいつの兵法の成績はお前よりも良いはずだぞ」
「そうだな!ちゃんと試験を受けてればな!!」
「まあまあ二人とも…」


堪らず口を出すライナーに、ジャンが食ってかかる。それらを宥めようとするマルコ・ボットはいつ見ても保護者のようにしか見えない、と思った。


「ったく…飯抜きで乗り越えられる難易度じゃねえだろうが」
「そう言って、サシャにもバレないよう懐に忍ばせたパンはどうするつもりだ?」
「お前らこそいつもよりスープ多くよそってるけど、ちゃんと食い切るんだよな?」
「う…」


気まずそうに視線をずらし、三人は食事に手をつける。分かりづらいながら、ジャンもそれなりに彼女の身を案じているのだ。何を考えているか全く読めない、大事な何かを持っているかも見えない、彼女を。本当に分かりづらいほど微妙な気遣いは捻くれた彼にぴったりだろう…後で誰にも言わず一人で彼女を捜しに行こうとしている私も、似たようなものかもしれないが。


「ごめん二人とも、ジャンもこれはこれで彼女のことが心配なだけで」
「おいマルコ、何変なこと言ってんだ」
「いや、構わないよ。僕たちも似たようなものだから」
「誰がお前らみたいな過保護集団と…!」
「まあまあ。ジャン、僕たち水汲みの当番だろ?そろそろ行かないと」


マルコに促されてジャンが唸る。ここから移動することを渋っているようだが、当番の放棄を出来るわけもない。やがて諦めたように溜息をつき、くすねたパンをそっとライナーの皿の端に乗せた。


「…いつまでも心配ばっかかけてんじゃねえ、って伝えといてくれや」


返事を聞く前に、ジャンはずかずかと大股で食堂から出て行った。その背中を見送って、私たち三人はそっとほくそ笑む。やはり彼の気遣いは、とても分かりづらい。





「こんなところにいたの、なまえ」


そういえば、昔から変わらないことを一つ思い出した。丘の上だったり、木の上だったり、はたまた屋根の上だったり。放浪した彼女を見つけたのは、いつもそんな高い所、まるで…空に浮かぶ月や星に手が届きそうなくらいの場所だったこと。


「アニ」


月明かりに照らされた彼女がふっと微笑んで、また空に目を向ける。足を掛けて一気に身体を持ち上げ、屋根に登る。瓦の床は地面と違って傾いていて不安定だったが、絶位に壊れないという安心感のあるものでもあった。


「もうご飯の時間が終わる」
「そっか」
「あの大きいの…ライナーとベルトルトも捜してたよ、降りよう」
「………うん」


彼女にその意思がないことは、視線の動かなさからも明白だ。仕方なしに隣に腰掛けて、一緒に空を見る。光は届いているが、肝心の月の姿は雲に隠れて輪郭がぼやけている。見えない形を探すように、彼女はずっと月を見ていた。


「ジャンも、心配かけるなって言ってた」
「………へえ」


その言葉で、暗にジャンも心配していたことを彼女は汲み取る。しかし驚愕や関心といった表情は顔には出ない。彼女が何を思って月を探しているのかは、私には分からない。


「…隠れちゃってるね」
「んー、さっきまでは見えてたんだけど」
「これ、朧月ってやつかな」
「朧月とは、またすこし違うかな」


そうなの、と呟いてまた月を見る。まだその姿は見えない。


「あ、いたいた。ライナー、ここだ」
「こんなところに…アニ!お前まで放浪のお供をすること無いだろう」


屋根の端でガタガタと音がして、見知った二人が姿を現した。ライナーとベルトルトも彼女を捜しに来たのだろう、昔と同じように、彼らは私の少し後に彼女を見つける。それを一瞥しても彼女には動く気配が無かった。


「まったく…ここを登らされる俺たちの身にもなってくれ」
「なまえ。これ、ジャンから」


下にスープもあるよ、と付け加えながら、ベルトルトが彼女にパンを差し出した。ジャンがとっておいたパンを、彼女が礼を言って受けとる。もごもごとそれを食べながら、彼女はまた空に目を移した。

その時、雲が風で流れて私たちの影がすうっと濃く瓦に映された。何にも覆われない月が私たちを照らす。どこも欠けていない、綺麗な大きい満月だった。


「漸くだね」
「うん、うん」


ライナーとベルトルトも物珍しげに見上げる。


「満月なんて、久々に見たな」
「そうだね、何ヶ月ぶりだろう」
「いや、下手したら年かもしれんぞ」


懐かしいその円形に誰とも言わず笑みが零れた。みんな、昔を思い出したのだろう。いつの間にか村から姿を消した彼女を総出で追いかけて、こうして空を見上げたあの日々。それが訓練兵になった今も手の中にあって。嬉しさがじわりと込み上げて口角を上げた。


「なまえは、どうして兵士になろうと思ったの」


そう問うたのはベルトルトだった。彼だけじゃない、みんなが疑問に思っていたこと。何にも執着しない彼女が、故郷に還りたい一心で兵士を目指す私たちと共に兵士を目指す理由。


「………」


彼女はなかなか話そうとしなかったが、しばらくして満月が再び雲に隠されたくらいに、漸く口を開いた。


「みんなが目指すから」


それを聞いた他の二人も、私と同じようにぽかんとした表情で彼女を見ていたと思う。それほどに唐突で、意外な答えだったから。


「みんなが故郷を目指すなら、私も目指す」


その答えはまるで、

「…俺たちと、一緒にいたいって言ってるみたいだな」
「そう思ってくれて構わないけど」


ライナーの言葉をあっさり肯定して、彼女が立ち上がる。月のぼんやりした光に照らされて、彼女の柔らかい表情が僅かに伺えた。花も虫も勝負事も何もかも、彼女の中では些細なものだった。興味なんて水のように流れていって、何に対してもそうだと思っていた、もしかして、私たちと一緒にいることも彼女の中では空に浮かぶ月よりも些細な事なのかもしれないって。そう、思っていた。だから、彼女の答えは嬉しさがあまりあるもので。


「…なまえ」


彼女の手をそっと握る。なあに、と応える声は優しい。


「帰ったらまた、月を見よう」
「…うん、いいよ、私もまたみんなと空が見たい」


昔みたいに。そう言って彼女はへらりと笑う。昔からいなくなった彼女を見つけたのは、こんな高い場所で、空がよく見える夜だった。あの時間は、彼女にとってもかけがえのない時間だったのたろうか。兵士になってまで残し続けたい時間として、彼女の中でずっと大事にされていたのだろうか。


「絶対、帰ろうな」


私たちの肩に大きな手が添えられる。ライナーが肩を組んで、その金の瞳を三日月のように細めて笑っていた。


「うん、そだね」
「…そのために、お前は次の兵法の試験にちゃんと出るんだぞ」
「………」
「なまえ」
「…はあい」


満足そうに彼女の背中をぽんぽんと叩いているが、正面にいる私にはそっぽを向いて舌を出している彼女が丸見えで、思わず笑ってしまった。


「そろそろ戻ろうか」


ベルトルトが彼女に手を差し出す。不安定な瓦の上で彼女が転ばないよう…最初に登ったのも彼女だから、その配慮は杞憂だけれど…彼なりの気遣い方で屋根の端まで導いてやっていた。

残念ながら彼らが残していたスープは皿とスプーンごと机から消えていたが、やはり彼女は興味が無さそうにふうんと言って、宿舎へと足を進めた。先ほどの会話が嘘のようにあっさりと日常へ戻る彼女の背中を追いかけて、私も宿舎の扉をくぐる。いつかまた、彼女を追って月を見上げる日が来ればいいと、思いながら。




20130822










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