ライナーに看病される話



その日大講義室で行われる授業には、ジャンとなまえが一緒に出席しているはずだった。ところがシャツにベストを合わせた青年は長机に一人で座って頬杖を突いている。その隣にいるはずの女の子の不在を訝しんで、その子に片想い中のライナーは声をかける。


「よお、ジャン。なまえは今日はいないのか?」
「おお、ライナーおはよう。それがな…」


ジャンの浮かない顔の理由はこうだ。なまえが体調を崩して布団から起き上がれない事態らしい。とりあえず後で彼女に教えてやれるよう、自分だけでも出席したが今日の講義が終わったらすぐバイトに行かなければならない。長い間病人を放置することが心苦しい、というか正直心配で気が気でないとのことだった。


「普段は放っといても風邪一つ引かねえような奴だから、余計心配でな…」


ジャンは頭を抱えた。せめて夕方少しだけでも面倒を見てやらないと、録に食事も用意できないような状態だから栄養が摂れなくて治りが遅くなるという悪循環にハマってしまう。
バイトを遅刻してでも様子を見に行くべきか、と考え出したジャンに一つの質問が飛ぶ。


「…なまえの部屋って、確か305だったよな?」
「ああ、そう…ってライナー、お前」
「丁度手が空いてるし、俺も心配だからな…」


幸い16時頃で今日の授業は全て終わる。そこからスーパーで食材でも買って向かえば、半には彼女の部屋に着くだろう。
時間の計算をして、俺が代わりに行くから大丈夫だ、と告げると、ジャンはホッと一安心する。


「…じゃあ頼む。俺もなるべく早くバイト上がれるように頼んでみるから」
「ん、俺は別に何時まででも大丈夫だからジャンは安心して働いとけよ」
「…悪い、やっぱちょっと心配だわ」









慣れない環境で、季節の変わり目ということもあってまんまと熱を出してしまった。朝から起き上がれなくて、寝坊を疑ったジャンが何度もインターフォンを鳴らしてくれたけど扉まで辿り着くのに朝の貴重な五分を使ってしまった。
明らかに異常を来している私を心配して、ジャンがこれでもかってくらい眉を下げながらベッドに運んでくれた朝を思い出す。彼は、無事遅刻せずに授業に間に合っただろうか。

ベットのすぐ側に置いたスポーツドリンクはとっくになくなってしまったが、冷蔵庫まで歩くことすら危ないように思う。結局日が橙色になるくらいまで、まともに栄養補給することもできていなかった。
力をつけるために何か食べた方がいいに決まっているのに、食べるための力が身体のどこにも残っていない。どうしようもないジレンマと体力の衰弱から来る不安で、もうダメかもしれないとなまえが目を閉じたその時。


ピンポーン………


自室のチャイムが来客を告げる。しかし布団から出て迎えることもできないので、実はジャンが出て行ってからずっと開けっ放しの鍵に気づいてもらうしかなかった。藁にも縋れない状況で、どうか扉を開けてくれと願う。

果たしてそれは叶った。え、空いてる…と呟く声は、ビニール袋の音で掻き消されてなまえに人物の特定をさせてくれない。誰かが来てくれた喜びと、万一の場合だったらどうしようという不安が入り混じる目を必死に廊下への扉に向ける。


「なまえ?大丈夫か?」
「え、あ、ライナー…?嘘なんで」


それはなまえが予想もしていなかった人物だった。近所のスーパーの袋を持ったライナーが、冷蔵庫に卵を入れてからベッドに近づいて来る。


「ジャンから聞いたんだ。熱があるのか?まだ引いてないみたいだな…」
「え、あの、ごめ、迷惑、かけて」


幼馴染以外が来るとは思っていなかったので、突然の友人の来訪を頭が認識し切れていない。混乱しながら真っ赤な顔を布団で隠そうとするなまえに、ライナーはふっと柔らかく微笑みかける。勿論内心はその仕草が可愛くて堪らず、のたうちまわりたいのを我慢している。


「気にするな。こっちこそ、もっと早くに来れたら良かったんだがな…すまん」


そっとなまえの前髪を掻き分けて、熱いおでこに熱さまシートを貼ってあげた。その後部屋にあるタオルを濡らして顔と首を拭ってから冷えたタオルを首に巻く。


「…起き上がれるか?」
「…う、ん」


肩をライナーに支えてもらいながらゆっくり上体を起こす。寝巻きが汗でべとついていて、ライナーにもそれが分かってしまうのがなんだか恥ずかしかった。
ライナーが袋からスポーツドリンクを取り出して蓋を開け、手渡してくれる。数口飲むだけでかなり気分が楽になった。


「おじやでも作るか。鍋あるか?」
「土鍋が流しの下、引き出しに」
「分かった、ちょっと待ってろ」


すぐに調理に取り掛かる姿を、ドリンクをもう数口飲みながらぼんやり見つめる。
病気とは恐ろしいくらい人を弱気にするもので、誰かが自分のために何かしてくれることがこんなに嬉しいなんて、とぬるくなった頭で考える。他にも2、3個ぷかぷかと支離滅裂な思考が浮かんでは消えていって、気がついた時にはライナーが土鍋を火にかけているところだった。


「あとちょっとだけ待ってくれるか」
「う、うん…」


タオルを洗い直して、また首に巻いてくれる。その心地よさに素直に笑みを零せる程度には気力が回復したようだ。ライナーも安心したしたように笑いかける。
土鍋の様子を見に行ったライナーが、これくらいでいいかと呟く。カチンと火を止める音がして、なまえの前に溶き卵と刻み葱が混ぜられたおじやが出された。


「わ…!おいしそう」
「まあ、簡単なものだけどな…」
「いただき、ます」


鍋とスプーンを受け取ろうとするが、ベッドの縁に座ったライナーはそれを手放そうとしない。


「なまえって猫舌か?」
「ん?んー、まあ、けっこう」
「ん、分かった」


空気にたくさん触れた上辺の方だけ掬って、ライナーは数回息を吹きかける。熱に浮かされたなまえでも、さすがに何をしようとしているか理解して、途端に慌て出す。


「ちょちょ、それは、流石に、大丈夫だから、」
「病人なんだから大人しく甘えておけば良い。」
「え、そ、そうかなあ…」


ほら、と差し出されたスプーンにちょっとだけ口をつける。これくらいの熱さなら食べれそうだと遠慮勝ちに口を開くと、ゆっくりスプーンが挿し込まれ少しだけ傾く。唇でお米を舌の上に滑らせてゆっくり咀嚼する。甘みと、少しの塩味が効いててとても美味しい。恥ずかしい気持ちは、拭えないけれど。


「どうだ?食えるか?」
「うん、すごく美味しい」


そう言ったなまえの笑顔はさっきよりも朗らかだ。それを見て安心したライナーは、またスプーンにおじやを乗せて彼女の口元に運ぶ。最初は恥ずかしがっていたように見えたが、段々慣れて来てライナーが掬う間に口を開けて待つようになっていた。雛鳥みたいな反則級の可愛さだと、ライナーは思った。






「…ふぅ」
「まだ食えるか?」
「もうお腹いっぱいかな」
「分かった、残りはコンロに置いとくから、また食べるといい」


なまえは半分くらい食べて、満腹そうに息をついた。量としては少ないだろうが、今は少しでも食欲があって安心するところだろう。ライナーは残ったおじやに蓋をして、温めればいつでも食べれる状態にしてコンロに置いた。

引き受けた時は下心が勝っていたものの、今では無事に看病しきることができて良かったと安心するばかりだ。どさくさに紛れてあーんもできたし、役得だ。スプーンを洗いながらライナーはそんなことを考える。
ご飯を食べて大分落ち着いたらしく、なまえは身体を横たえてそっと目を閉じる。


「今日、ライナーが来てくれる前、さ」
「ん?どうした?」
「ずっと一人で、なんか、すごく寂しくってさ」
「………うん」
「誰にも気づかれないうちに、死んじゃうんじゃないかって思った…」
「…そんな、」


大袈裟な、と続けるのを止めて、代わりに頭をゆっくり撫でてやった。病気の時に一人でいる孤独は、本人にとってそれほど大きなものだったのだろう。


「ライナー…もう少し、いてくれる…?」
「ああ、なんなら朝まで一緒にいてやろうか」
「…それも…いいかも…なあ…」


長時間拘束するのは流石に申し訳ない、と頭で考えつつも、起きた時誰かがいる安心感が少しでも欲しくてなまえはそんなことを口走る。
ライナーは分かった、と言ってなまえに瞼を閉じさせる。程なくして部屋に寝息が聞こえ始めたので、ドリンクとシートを冷蔵庫に放り込んでベッドに腰掛けてほっと一息つく。
なまえの顔を覗き込んだ。赤く染まっていて、汗が滲んでいる。落ち着きはしたけどもまだ息は少し荒い。


「…これぐらい、は…別にいいよな?お駄賃ってことで」


ライナーの唇が、なまえの頬にそっと触れる。それから、掛け布団に乗せられた腕にも一つキスが落ちる。ふと自分のしでかした事に気づいて顔を真っ赤に染めながら、何も知らずに眠り続けるなまえの隣で頭を抱えた。何をやってるんだと叫びたい衝動を抑えてしばらくもんもんとし、いっそジャンが様子を見に来てくれたら理性的でいられるのに、とあてつけのように考えた。




20130622 キスの場所によって意味が違うことなんか知らずに無意識に選んだライナーさん








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -