私の活動範囲は極端に狭く、動き回れるのは黄瀬さんの屋敷の中だけで一歩も外に出ることは許されていない。それは私がこの世界で生きていくうえで何の知識も力も持たない弱い人間だからだである。もちろん外に興味がない訳ではないけれど、安易に足を踏み込んでいい場所ではないと充分に理解しているから受け入れるしかなかった。 しかし半ば軟禁状態とも言える生活を私は強いられていると思ったことは一度もない。たまに息苦しさを感じる時もあるけれど、贅沢は言えないし黄瀬さんを困らせることだけは絶対にしたくなかった。衣食住を与えてくれるだけでも有り難いというのに。 でも、ほんのちょっとだけ。ちょっとだけでいいから彼の治める土地を見てみたいって思う時がある。 思うだけで、口には出来ないけど。 「ね、外、行きたくない?」 だから黄瀬さんの一言に言葉を失う程驚いてしまったのだ。いつものようにぼんやりと塀の向こう側を眺めていた私の横から顔を覗き込んできた黄瀬さんの、無邪気な双方と目が合わさる。きっと私が息苦しさを感じていたのに気付いて気を遣ってくれたのだろう。その優しさは嬉しい。 「…………」 「…行きたくない?」 「え、ええと……」 とても嬉しいのに素直に頷けない私がいて。彼が好意で提案してくれてるのは重々承知しているが、私はこのまま屋敷の中で大人しくしていた方が良いのではないかと少しだけ考えてしまう。外に出たら今より更に欲深くなってしまうような気がして、何だか怖かった。 黄瀬さんは私が喜ぶと思っていたのか、戸惑いの表情を浮かべている。ああ、そんな顔しないでください。困らせたいわけじゃないんです。 「行きたいですけど、怖いんです」 「怖い?」 「自分が欲深い人間になりそうで、怖いんです」 今のままで充分なぐらいなのに。 わがままになりたくない。黄瀬さんに嫌われたらそれこそ生きていく術が無くなってしまうから。 そんな不安を他所に、私の頭を黄瀬さん手が撫でる。大きな手。不思議と安心を覚えるのは何でだろう。 「俺は、もうちょっとわがままになってもいいくらいだと思うけどな」 「そんな……人間は、欲深い生き物なんですよ」 「知ってる」 「一度が二度に、ちょっとがもっとに変わるんですよ」 「それも知ってる」 「…迷惑、かけちゃうかもしれない」 「迷惑なら最初からこんなこと言わないっスよ」 それ以上は何も言えなかった。だって、黄瀬さんが私の手を取り優しく微笑むから、そうして手を引かれれば私の足は今までの拒否が嘘のようなに簡単に動いてしまう。 「君にこの世界を知って欲しいんだ」 ▲▽ 連れられるまま屋敷の門まで辿り着いた。ここを越えれば外の世界が広がっている、そう思うと身体の奥で恐怖心と僅かな好奇心が絡み合った言い様のない感情に支配される。最初の一歩を踏み出せないでいる私の横を通りすぎて敷地を出てしまった黄瀬さん。待って、と伸ばした手が門より先へ出ることはなかった。 「黄瀬さん」 「どうしたの?おいで」 「だって、姿が見えたら…」 「ああ。そうだったっスね」 私にとっては物凄く重要な事だけど、やっぱり忘れられていたのだろうか。多分臭いだけならまだしも姿が周知されたらあっという間にあの世行きだろう。ここにあの世があるのかは分からないけど。 「はい、これ」 「…髪飾り?」 渡されたのは淡い紫色をモチーフにした見たことない花の髪飾り。小振りの可愛いデザインのそれを私は一目で気に入った。 「外に出る時はこれを肌身離さず身に付けて。人間の臭いを最大限まで消す特殊な術が施されてるからもう姿を隠す必要はないよ」 屋敷の外に怯える必要も、君にはもうないんだ。黄瀬さんは私の目を真っ直ぐ見つめながら言った。 やっぱり黄瀬さんは全て気付いていたんだ。だから怯えなくてもいいようにこうして髪飾りまでくれて。私は黄瀬さんに何を返せるだろう。私は彼に何をしてあげられるだろう。何度お礼を言っても足りないくらい、たくさんのものをもらってるのに、まだ何も出来ていない。 「泣かないで」 いつの間にか泣いていたみたいで、頬を流れる雫を黄瀬さんの指が拭ってくれる。違う。悲しいんじゃなくて嬉しくて泣いてるんです。伝えたいのに言葉に出来なくて首を横に振るだけで精一杯だった。 私は髪飾りをそっと頭に飾った。少しの重みがやけに心地好い。 「よく似合ってる。可愛いよ、名前」 目を細めて微笑んだ黄瀬さんに、私の中の何かが震えた気がした。 第二章・第二十話(13'1217) |