赤司さんは『さようなら』ではなく『またな』と言った。それは私たちが何らかの理由で再び会うことを彼は知っていたからだと思う。何でそんな簡単なことに気付かなかったのか。気付いていれば、ここへ戻って来ることだけは避けられたかもしれないのに。


「…………」


力の入らない身体を縁側の柱に預ける。泣き腫らした瞼が重い。水分すら録に摂らないせいで声も上手く出せないけれど、喋りたいことなんて一つもないし、ご飯だって食べなくたって平気だから別に構わなかった。
布団の傍らに置いてある卵粥は既に冷めてしまっただろう。いきなり固形物を食べると胃が驚いてしまうからと侍女さんがわざわざ私のために作ってくれたものだ。また一口も手を付けることは出来なかった。これで何度目になるだろうか。
悪気はないとはいえ、人の好意を何度も蔑ろにしてしまうのは人としてあまり良い行為ではない。こんな状況じゃなければ喜んで頂くのだが、今はどうしても食べたい気分じゃなかった。


「また食べてないんスね」
「………」


黄瀬さん。見ず知らずの人間を助け、お屋敷でお世話までしてくれる人……ヒトの形を模した妖さん。モデルみたいに綺麗でかっこいい。青い着物によく似合う金髪の髪。私を気遣ってくれる優しいヒト。そんな彼を前に死のうとしている私はどこまでも残酷な人間。


「せめて水飲んで」


隣に腰を下ろした彼はグラスを差し出す。いりません。首を振って拒否を示すがグラスを持つ手が下がる様子はなく、ゆらゆらと揺れる透明の液体に酷い顔をした私が映った。髪は乱れ、顔色は悪く頬が痩けている。それもそうだろう。ここ数日の間、ちゃんとした生活を送っていないのだから。この際見た目はどうだっていい。水なんて飲みたくない。だって、だって私は。


「本当に死ぬつもり?」
「!!」


私は驚愕に目を見開く。と同時に後悔する。起きてすぐにでもここを出ていけば良かったんだ。横から注がれる黄瀬さんのどこか咎めるような視線が痛い。


「…やっぱり。死のうとしてるんスね」


彼の言う通りだ。私は死のうとしている。


「だから食事も摂らない水も飲まない。そうすれば楽に死ねるから」
「…そんなこと、」
「ないなら飲めるでしょ、水」
「っ」
「ほら」
「いや……っ」


動けないように身体を押さえつけられ、口許に無理矢理グラスを近付けられたので顔を背けるがそれさえも簡単に牽制されてしまう。口から否定の言葉が漏れ、しまったと思い直ぐ様黄瀬さんを見れば、出会ってから微笑みを絶やすことのなかった彼が今は怖いくらいに無表情な顔で私を見ていた。射抜くような冷たい瞳に抵抗する力が奪われる。


「本当は死にたくないくせに、どうして死にたがるんだよ」


いつもの砕けた敬語が抜けた厳しい口調。あまりの変貌に、安心を覚えたはずの相手に恐怖を抱いてしまう。彼には全てお見通しだった。死のうとしてることも、死にたくないと思っていることも。


「私に…っどうしろって言うんですか!」
「…俺は君に生きてて欲しい」
「……!、っ」


怖い顔から一変して優しい表情に変わる。「そんなの私だって!本当は死にたくなんてない!」吐き出そうとした言葉は黄瀬さんからの抱擁によって喉の奥に消えていった。


「一人で背負わないで、吐き出していいよ。俺が全部受け止めてあげるから」


背中に回された手が背中を撫でる。片方の手は、胸に押し付けるように私の頭に添えられた。彼の暖かさが、人の温もりが、凍りついた心を溶かすようだった。


「…死にたくないです……っ。本当は、死にたくなんか、ないんです…!」


死にたいと言いながら生きることを望み、誰よりも私に生きていて欲しいと願うのは黄瀬さんでも家族でもない私自身だった。


「帰りたいだけなのにッ…」


黄瀬さんの着物の端を強く掴み、声を圧し殺しながら泣いた。泣き虫。弱虫。泣いてたって何も変わらないことくらい私が一番分かってるのに。

瞼の裏に私の遺影に触れる祖母が映る。認めたくなくてもこれは現実。どんなに望んでも私は帰れない。大好きな家族にも友達にも、もう会えないのだ。


さよなら、私の愛した世界。
私は十八年間生きた世界に、そっと別れを告げた。


第一章・第十一話(13'0630)
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