向こうで過ごした一日はとても長く感じたのたが、こちらでは一時間も経っていないようだった。公園に設置されている時計台の日付は私の誕生日……否、祖母の命日のままだ。本来ならば絵本止まりの摩訶不思議な経験を出来たのは幸か不幸か。寝て起きたら全て忘れてしまうだろうか。もうあんな経験は二度としたくないけれど、彼らのことは覚えておきたかった。見知らぬ世界で優しくしてくれた人たちだから。 彼らはもう帰ってしまい、いつの間にか公園には私だけが残されていた。空間の歪みは跡形もなく消えている。 「帰ろう」 速やかに公園を立ち去る。家までは徒歩で三分もしない。小さい頃は近いからって遅くまで遊んで親に怒られたっけ。それで、いつも祖母が庇ってくれて。お隣で飼ってる犬にしょっちゅう吠えられて、全然なついてくれないから声を掛けるのを止めたのは小学校高学年だった。一度噛まれたこともある。痛くなかったけど。 「あれ?」 おかしい。いつもなら吠えてくる距離で反応すらしない。足音ですぐ気付かれちゃって吠えられなかったことはないのに。具合でも悪いのかな。 お隣の家を通りすぎ、何故だか懐かしく感じる家のドアノブを捻った。「ただいま、ちょっと外の空気吸ってて」でっち上げた嘘で誤魔化す。小言を言われるのは分かっていたからだ。しかし両親は特に何も言わず黙々と作業を続けている。無視されたらしい。それにいちいち突っ掛かる元気はないのでそのまま祖母の部屋に向かった。そこでふと祖母の部屋の前で誰もいないはずの部屋から人の気配を感じた。 そっと、ドアを開ける。驚きの光景に目を見開いた。 「あ…なんで……っ」 死んだはずの祖母が仏壇の前に座っていたのだ。線香をあげ、両手を合わせている。なんなの。どうして祖母がここに。急に嫌な予感がして恐る恐る仏壇を覗く。 「そんな……」 写真の中で微笑むのは、祖母ではなく確かに私だった。写真の中の私は楽しそうに笑っている。祖母は、私がそうしたように写真に触れた。……全ての辻褄が合う。犬が吠えなかったのも、両親に無視されたのも、仏壇に私の写真が飾られてるのも、私が死んでしまったから。死んで、姿が見えないからだ。でもどうして。何故運命が変わってしまったの。私はちゃんと生きてたはず。何がどうなってるか説明して欲しい。けど、説明してくれる人はもういない。帰ってしまった。こんなことなは最初に言ってくれたらよかった…! 「…!」 そこで私はなんて自分は理不尽なんだろうと気付かされた。赤司さんは忠告していたじゃないか。元の暮らしには戻れない、過酷だと。しかし、まさか自分が死んで祖母が生きているとは誰も思わない。それでもどんな運命でも受け入れる覚悟で選んだのは紛れもなく私自身。それを都合が悪くなった途端に彼等に責任転嫁して。狡すぎる。 家を飛び出してやって来たのは先程の公園。喉の奥から熱いものが込み上げ、うつ向いた顔から涙が落ちた。運命は変わった。祖母が生きていた。嬉しい、うれしい。でも、そこに私がいなきゃ意味がない。せっかく会えたのに別れも告げられないのだろうか。私はどこへ、 「どこに、行けばいいの…っ」 「帰ってくればいいじゃないスか」 「!?」 いるはずのない人の声に咄嗟に顔を上げると、姿を捉える前にふわりと抱き締められた。肩越しに赤が見える。きっとこうなることを知っていながら、彼らは私の意志を優先してくれたのだ。ツラくても、残酷でも、それを受け入れる勇気が私になかっただけ。 「黄瀬、さん」 「俺が最初から説明してれば良かったんス。力ずくでも君を引き留めてれば」 「黄瀬さん、わたっ、わたし、」 会いたかった。会いたくなかった。焦がれたはずの世界に、私の居場所は既に存在しなかった。裏の世界が私にとっての『元の世界』になっていたんだと思い知らされる。 「悲しい、です」 「うん」 「…ツラいです」 「うん」 「苦しいです…っ、黄瀬さん」 「……ごめん」 黄瀬さんが謝ることじゃないです。 そう言いたいのにうまく言葉に出来なくて、痛いくらいの腕に抱かれたまま静かに泣いた。私はこんな結末望んでなんかいなかったのに。 第一章・第九話(13'0617) |