黄瀬さんが住むお屋敷で出された夕食は全く喉を通らなかった。食卓に並んだ和食メインの食事は普段なら滅多にお目に掛かれないくらい豪華であったが、驚く程食欲が湧かず申し訳なかったが早々に下げて頂いた。


「………」


一人になってようやく一息つく。外の空気を吸おうと縁側に出て夜空を見上げた。一応こちらにも月はあるらしく、灰色の雲の隙間から白い三日月が時折だが顔を覗かせている。星は見えないが、その輝きは薄暗い世界を照らすには十分だった。


「…本当に帰れるのかな」


結局赤司さんは言葉を濁すだけで訳を教えてくれなかった。真剣な表情で「どんな運命でも受け入れる勇気と覚悟があるならまた明日ここへおいで」と言い、とにかくいまは私を休息させる必要があると黄瀬さんの家に泊まらせる旨を黄瀬さんに伝える。彼は嫌がる素振りも見せず頷き、ここへ連れてきてくれた時と同様に私の手を引いた。広間を出る際に赤司さんを振り返る。私を見ていた赤司さんと視線が交ると、彼は淡く微笑んで私を見送ったのだった。
どんな運命でも。受け入れる。帰るには何かしらリスクが伴うのだろうか。タダで帰してもらおうとは思ってない。望むなら何でも差し出すつもりだ。心臓とか、命はさすがに無理だけど。今頃両親は何しているだろうか。私を探しているかもしれない。ただでさえ祖母の葬儀で忙しかったというのに迷惑掛けて。もう戻らないかもしれないけど、最後に一目だけでも見れたらいいなぁ。


「風邪引くっスよ」
「黄瀬さん…」


突然肌触りの好い外套が掛けられる。黄瀬さんだった。肩から落ちないように外套の端をきゅっと掴む。寒さなど気にならなかったが確かに風邪を拗らせてしまいそうな気温である。お礼を述べると黄瀬さんは笑って私の隣に腰掛けた。


「夕食、食べなかったんだってね」
「…はい。ごめん、なさい」
「あー…別に君に謝らせたかった訳じゃないんス。ごめんね」


確かに私は謝ってばかりだ。でも私は安らげる場所を見つけるまで彼らの一言一言に怯えるし、許しを乞うことでしか生き延びる術がないから。こんなに優しくしてもらっておいて黄瀬さんを信用出来ないのはとても胸が痛い。しかし彼がどんなに善人であろうと人間の姿をしているだけで恐怖対象である妖怪に違いないのだ。


「俺が怖い?」
「!そんなことっ」
「…正直っスね。震えてる」
「ご、ごめ…っ」


黄瀬さんは寂しげに、けれどそれが当然と言わんばかりの表情で笑う。ズキズキと更に胸が痛んだ。涙が零れる前に目元を覆われ、やがて零れた雫が彼の手を濡らす。


「きっと疲れてるんス。明日また赤司っちのとこへ行って全て決めればいい。だから今日は眠ろう」
「あ……」
「おやすみ」


急に頭がクラクラして身体が後ろに傾く。霞む視界に揺れ動く四つの何かが見えた気がした。それを確かめる前に私の意識は沈む。


「名前」


誰かが私の名前を呼ぶ。とても懐かしくて、泣きたくなる声だった。


第一章・第六話(13'0523)
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