「…ちょっとあんま聞こえなかったからもう一回言って」 「だ、だからぁ」 灰崎くんの急所蹴っちゃったの! 今度は聞き間違えではなく確かにそう耳に届いた。名前から『急所』だなんて単語が出てくるだなんてまさか思わない。ストレートに言われるのも困るが、何と言うかとっても意外である。たが蹴られただけで気絶する程の痛みはあるだろうか。その辺は蹴られたことが無いから分かり兼ねるけれど。果たして一体どのくらいの強さで蹴り上げたのか気になるところだ。 「それで痛がってよろけた拍子に頭ぶつけて、それで倒れちゃって」 「は」 「このまま死んじゃったりしないよね?」 「大丈夫っしょ。呼吸はしっかりしてるし気絶してるだけっスよ」 「ならいいけど…」 襲おうとした女の子に返り討ちにされるとは何とも間抜けな話である。この話を彼を囲う取り巻きの女が聞いたら口を揃えて「ショウゴくん、ダサい」と言うだろう。それぐらいダサい。ま、名前が無事ならショウゴくんがどうなろうと知ったことではないが。ただあの俺の心配っぷりは何だったんだ、ってなるだけだ。シリアスな雰囲気から一転して気が抜けてしまったのは言うまでもない。しかし名前の姿を見て心底安心したのもまた紛れもない事実だった。 「もう戻ろう?桃っちも心配してるし」 「!、さつきは?!」 「平気。青峰っちが助けてくれた」 「よかった…」 足がふらついて上手く歩けない名前の腰を抱いて倉庫を出る。暗かった視界が一気に明るくなって眩しさに手で日差しを遮断した。名前も同様に眩しそうに目を細めている。名前はショウゴくんを気にするように何度か倉庫を振り替えっていたけれど、出てくる気配のない扉を見てようやく諦めたのかそれから振り向くことはなかった。その後、名前を屋上に連れて行き桃っちと再会した瞬間ふたりは抱き合った。泣きながら「よかった」と何回も呟く桃っち。名前はそれに「ごめんね、ありがとう」とたった一言、小さく言葉を放つ。眉を下げてはいたものの泣いてはいなかった。自分も怖かったくせに、変なとこで強がるのは昔からちっとも変わらない。柄にもなくほっとした表情を見せる青峰っちたちの横に並ぶ。微笑ましい光景を見ながら、少しだけ桃っちに焼きもちを妬いたのは、俺だけの秘密。たまには桃っちに譲ってあげるっス。そう心の中で呟いた。 : : いろいろあったものの思ったより元気そうに部活へと向かっていく名前の姿を見送り、体育館とは逆の方向へ踵を返す。赤司っちには昼休みの時点で遅れることは言ってある。あえて理由は言わなかったが彼のことだからきっと全てを察しているに違いない。 「こんなとこいたんスね」 「…何しに来た」 いつも女を連れ込んでいると噂が絶えない空き教室の窓際で、ショウゴくんはらしくもなくぼんやりと黄昏時の空を眺めていた。苛立たしげな雰囲気を隠しもせずに俺にぶつけてくるあたり、昼間の悪事が失敗に終わってしまったことを未だに引きずっていることが手に取るように分かる。それに加え、俺という気にくわない存在が目の前に現れたことによって、元々最悪だった気分を更に悪化させてしまったのだろう。だか俺には彼が苛ついていようが不機嫌になろうが知ったことではない。今回の件に関して、遅かれ早かれ彼と話さなければならないと思っていた。そして俺は、これ以上あの子に関わらないでくれと頼みに来たのだ。俺とて出来れば顔を合わせたくない相手であるが、こうして自ら赴いたのも全て愛しい彼女の為故にである。でなければ好きでもない奴に会いに行こうなど思うわけがない。 「失敗して残念だったっスね」 「ほっとけ」 「名前は一筋縄じゃいかねーっスよ?それにしても蹴られて頭ぶつけて気絶って」 「暴れるしうっせーしサルかあの女」 「分かってないねショウゴくん。名前はそこも含めて可愛い子なんスよ」 「知るか。つーかわざわざそんな事だけを言いに来たってわけじゃねーよなぁ?」 そうだ。俺はショウゴくんと他愛もない話をしに来たんじゃない。伝えなければならないことが、ある。目の前で睨み付けてくるショウゴくんを見据え、本題を切り出す。 「単刀直入に言うけど、もうあの子に関わるの止めてほしいんスよ」 「は、どうしようと俺の勝手だろ」 「まじ迷惑なんスわ。名前も、俺も」 「そりゃあ良いぜ。俺はなリョータぁ。お前の歪む顔が見てえんだよ!」 おそらく彼は強制退部させられたことは本当になんとも思っていない。けれど、ショウゴくんのポジションを奪った俺が気に入らないから、そんな俺の歪む顔が見たくて幼馴染みの名前を狙った。つまり、馬鹿馬鹿しい理由で彼女は危ない目かあったのだ。実に腹立たしいことこの上ない。げらげらと下品な笑い声が耳をつんざく。まったく鬱陶しいにも程がある。今すぐにでも殴ってやりたい。でもそれだけは駄目だと必死に自分を抑える。 「ほんとは今すぐにでも殴ってやりたいけど、名前に免じて殴らないでおいてやる」 「リョータに同情される程落ちぶれちゃいねーよ」 「そんなんじゃねぇよ。ショウゴくんが名前にしようとした事は許される事じゃない。けど、倒れたアンタの身を心配してたのは襲われかけたあの子だ」 「……」 「名前の為にもショウゴくんのことは殴らないっス」 あの時、自分の不注意とは言え倒れたショウゴくんを心配していたのは間違いなく名前だ。性格はとことんひねくれた野郎だしやること全てが横暴で、出来れば力ずくで分からせてやりたい所だが、名前が身を案じた奴のことを誰であろうとこの手で傷付けることは出来ない。だったら俺は拳を握って耐えるしかないのだ。 ショウゴくんは何も言わず床を見つめている。もう話すこともない。背を向け最後に「だからもうこれ以上関わらないで」と冷たく言い残し教室を出た。彼が一体がどんな顔をしてたのかは分からない。今の話を聞いて彼の中に僅かに残る良心が痛んで、この先二度と名前を傷付けることが無くなればいい。 13'0406 |