「灰崎くん、どいて」 「そうつれねぇこと言うなよ」 「……どいて。涼太と帰る約束してるの」 「尚更聞いてやれねぇなぁ」 壁を背に頭の両側には灰崎くんの両手が行く手を阻むように置かれていて、どうにも逃げられそうにない。ニヤリと浮かべる厭らしい笑みにゾクリと背筋が粟立った。 ちょうどここは廊下から死角となる場所であるため、誰かに見つけてもらえそうにもなく絶望の二文字が頭を過る。 あくまで冷静を装うのは、動揺を悟られないため。コイツは人の弱い部分に漬け込む奴だから。 「強制退部させられた腹いせなら止めた方がいいと思うけど」 「そんなんじゃねーよ。バスケなんてほんとはどうでも良かったんだよ」 「じゃあ、何なのよ」 「言ったろ?お前のことなかなか気に入ってるってよぉ」 「ちょっ、と!」 首筋に触れるゴツゴツした手に思わず肩が跳ねる。その手は髪をよけ、ボタンを外し、ワイシャツをずらしていく。咄嗟に抵抗するが片手で手首を押さえられて身動きが取れなくて、どれだけもがいても男の子を前に力で敵うはずもなかった。 べろり。首筋に舌が触れた。ぞわぞわと鳥肌が立つ。嫌だ、気持ち悪い、やめて。 「おいおい泣くほど嬉しいのかよ?」 「やめ、て」 「俺はな、別に復讐とかそんなもん考えてねーよ。ただな、」 「ふぁ、やぁ…っ」 「お前がリョータのもんっつーのが気に食わねぇ」 「灰崎く、」 「強いて言うなら名字が欲しくなった、だな」 「んっ」 チリッと首に痛みが走り、真っ青になる。 だって、今…。 灰崎くんの腕が弱まったところで力一杯に彼を突き飛ばす。ぼろぼろと涙があふれ、拭っても拭っても止まらない。そんな私の姿を見て灰崎くんは楽しそうに笑う。私は震える身体を叱咤して踊り場の階段を登る。 「こんなもんじゃ、終わらないからなぁ。覚えとけよぉ!」 灰崎くんが高らかに笑った。 : : 「あ、名前やっと来た……って、なっ、どうして泣いてるの?!」 「りょ、た……」 荷物も持たずに涼太のクラスに行くと、涼太は笑顔で私を迎えてくれた。が、私が泣いているのに気付くとすぐ駆け寄って、乱れた制服と首筋にある鬱血痕を見て目を大きく見開く。 僅かに残っている生徒が何事かとざわつく。ああ、耳を塞いてしまいたい。 「名前、一体何が、誰にやられたんスか!」 「灰、崎くんに…」 「ショーゴくん…!?」 怖い顔の涼太。今にも殴り込みに行きそうな彼の袖を掴む。暴力沙汰なんて、絶対ダメ。これじゃまるで灰崎くんみたいだよ。 「涼太っ、ダメ、ダメだよ!」 「止めないで、ショーゴくんのこと一発殴らなきゃ気が済まないっスわ」 「お願い、暴力なんてしないで。私はだいじょぶ、大丈夫だから」 「名前……」 「お願い」 強く握り締めた拳を、震える両手で包む。力を入れすぎで白くなっていた肌が元通りに戻ってほっとした。 涼太は素早くワイシャツのボタンを掛け直すと私を抱き寄せる。男の人を、初めて怖いと思った。世の中の男の人が、みんな涼太みたいな人ばかりじゃないと改めて知った。手の感触も、身体の堅さだって似ているのに、どうしてあんなに怖いと思うのだろう。 ファンの目を気にせず涼太と一緒にいられると思ったのに。ただ普通に生活したいだけなのに。 私の幸せを、これ以上壊さないで…! 13'0314 急展開でごめんなさい |