名前の手を放そうとした瞬間俺は言い様のない不安に襲われた。今まで経験したことがない感覚に戸惑って放すのを躊躇ったが、不思議そうに俺を見る名前にただの思い違いだった気がして、そうじゃなくても嫌だったけれどいつまでもこうしてるわけにもいかず彼女の手を渋々放した。じゃあね、と笑って家に入っていく名前を見送り、未だ拭えない違和感を抱いたまましばらく扉を見つめ、俺も自らの家へ帰るべく道を歩き出した。 モデルの仕事でしばらく学校を休み一週間ぶりに学校に来てみれば、「名前の様子がおかしい」と皆が口を揃えて言った。部活を無断で休んでいるらしいし、必要以上にバスケ部メンバーと関わらなくなったとかなんとか。 徐々に違和感の正体が明らかになっていく。何があったのか本人に聞こうとしたのだが、なかなか名前に会うことが出来ない。最初はタイミングの問題だと思ってたけど、何回かすると意図的に避けられているような気がした。俺が名前の教室に行く度、慌ててどこかへ行ってしまうのだ。 彼女の俺への態度にはさすがの青峰っちもただ事じゃねーな、と溢す。緑間っちと紫っちはあまり名前と顔を合わせていないから詳しいことは分からないと言い、桃っちは暗い表情で首を横に振った。赤司っちに至っては「本人から直接聞くのが一番だろう」と、知っているともいないとも取れるようなことを言った。あの赤司っちが、マネージャーとはいえ部活の無断欠席を見逃すなんて果たしてあり得るだろうか。事の真意を詠み取るのはまず不可能に近いが、もしかしたら赤司っちは何か知っているのかもしないと、漠然とだけどそう感じた。核心に触れることは、残念ながら出来なかったけれど。 いつものように逃げていく名前を追いかける。足の速い彼女でも男の足から逃げ切ることはさすがに限界がありあっという間に捕まった。俺に腕を掴まれて、振り向いた名前の顔はひどく青ざめていてしきりに辺りを見渡してから消えそうな声で「放して」と言った。それは近くにいる俺でさえ注意しなければ聞き落としてしまいそうな程。 「ちょっと聞きたいことがあるからこっち来て」 出来る限り優しく努めようと思っていたが、相当俺は焦っているらしく、放してと嫌がる名前の腕をなかば無理矢理引っ張って近くの空き教室に連れ込んだ。腕は掴んだまま向き合う。怯えたような、けれどどこか安心した表情の名前。彼女にこんな顔をさせている原因は一体何なのか。 「久しぶりッスね」 「…………うん」 「回りくどいのは嫌いだから単刀直入で聞くけど」 「……」 「なんで俺らのこと避けてるんスか?」 名前の身体が固まるのが分かった。図星を突かれて内心焦っているんだろう。決して目を合わせようとしないのが何よりの証拠だということに、名前は気付いていない。 黙ったまま何も話そうとしない名前に徐々に苛立ち、それを隠しもせずに彼女にぶつけると肩が大きく揺れた。怖がらせてしまったことに罪悪感が募るが、今の俺にはこの行き場のない苛立ちを目の前の彼女に矛先を向ける他に方法はなかった。 「わけも分からず避けられるのって結構しんどいんスわ」 「避けてなんか、」 「ないとは言わせねースよ」 「…………」 「ねぇ、何があったの。俺は名前に避けられるようなことしたつもりなんてこれっぽっちもないし、さすがにねーと思うんスわ。避けるとか」 「…っ」 少しずつ言葉に鋭さが増していく。 俺はただ、俺たちを避けるのには何らかの理由があって仕方なくそうしているんだと信じたいだけ。嫌いになったからではないんだと。 名前は今にも泣き出しそうな顔をしていた。たった一言でいいから、ツラいと、苦しいと言ってくれたなら、今すぐにでも抱きしめてあげたいし、ひとりで抱えてる荷物を軽くしてあげることだって出来るかもしれない。偽善なんかじゃなく好きな子を助けたいと思うのは当たり前だ。 「名前」 「…ない」 「え?」 「涼太には関係ない!」 名前は小さな声で何かを呟いたと思うと、突然強い力で俺の手を振りほどき、驚愕に目を見開く俺をよそに珍しく声を張り上げた。 「涼太には関係ないよ…!」 「は?!関係あるに決まってんじゃないスか!!」 「うるさい!もう涼太とは…っいたくないの!」 そう言って目を伏せる名前。じゃあ、どうしてそんな声が震えてんだよ。どうしてそんなに、泣きそうなんだよ。 「私の事はほっといて!」 嫌な予感ほどよく当たる、と人は言うけれど、まさにその通りだと身をもって痛感する。勘違いであってほしかった。心のどこかで名前が俺を拒絶するはずないと思っていたから、この違和感を知らないフリしていた。 そうだ、俺はあの日、この手を放したら名前が俺から離れてどこか遠くに行ってしまうような気がしたんだ。すり抜けていく手を掴むことは出来なかった。 12'1116 |