近付いて、離れた





「平助」
「ん?一君。どったの」
「…手話もいいが、受験勉強はしているのか」
「まーぼちぼち」

一君は呆れた目で机に広がった本を見た。1月になってセンター入試へ本格的に追い込みを始めなければならないこの時期に、手話を勉強していれば一君でなくても心配するのは当たり前だろう。俺は一君に大丈夫だよと笑って見せる。そうすれば一君はもう口を挟むことはなく、そうか、と一言呟いて自分の席に座った。

「ありがとな一君!ちゃんと勉強してるから」
「ならいい」

一君は東京のK大を受けるんだって。薄桜学園からは今まで合格者は出ていないらしい。でもまあ一君なら大丈夫だよ!って言ったら呆れた溜め息を吐かれた。そしてやれるだけのことをやるだけだと小さく言った。K大…か。正直、俺はまだ大学を決めていない。そろそろ決めねーとなぁ……。俺の頭のレベルでは選ぶ範囲が限られている。少し上を目指す気もない。頑張って勉強してる一君や千鶴には申し訳ないけど、少し下くらいが丁度いいと思ってる。就職はまだしたくないから進学を選んだのはいいけど大学選びにも苦戦とかやってらんねーよ。なんて口が裂けても言えないけどな。
そういや、名前と進路の話、したことないかも。…名前は進路とかどーすんのかな。

「……………」



「あら、いらっしゃい。名前なら部屋よ」
「ありがとうございます」

名前の家にやって来た。名前は部屋で編み物をしてて俺に気付くとニコリと笑った。俺はテーブルを挟んで名前の向かいに座る。そして編み物をしまった名前は改めていらっしゃいと言った。今日はどうしたの?と尋ねた彼女に俺はまた手話教わりに来たと答える。
名前はまた丁寧に教えてくれる。もうだいたいは覚えた。ゆっくりなら会話出来るくらいまで成長したことを名前は褒めた。自分のことのように喜んだ。

『あのさ、名前って進路どーすんの』
『…私はお母さんとこで働く』
『進学は?』
『無理だよ。大変だもの』
『無理なんかじゃないよ』
『…なんで』
『名前頭良いじゃん!俺なんかよりいいとこ行けるよ』
『…』
『高校だって通えてるんだ、大学だって』

バン!
大きな音。名前が机を叩いた音だった。机に置かれた手のひらはわなわなと震えていて、怒らせてしまったことに気が付いた。

『無理なんだよ、私は!耳が聴こえないんだもん!!どう頑張れっていうの?!本当は私だって学校行きたいよ。だけど…だけど…ッ』

声にならない悲鳴だった。俺は彼女を甘く見ていたのかもしれない。きっと彼女は毎日罪悪感を背負って学校に通っているのだと思う。大切な友達に大変な思いをさせてしまっているのだから。これからは、友達がいるから何とか過ごせている高校も、大学になれば違うかもしれない。そうでないにしても、また彼女は罪悪感に包まれて優しい心を痛める。毎日毎日毎日耳が聴こえないことを悔やんでは何も手がないことに絶望していたのだ。

俺はいつも気付くのが遅い。

傷付けてはいけない人を傷付けて。だけど、俺は、

『名前の気持ち無視していろいろ言ったのは、謝る。だけど名前はそれでいいのかよ』
『……』
『名前が大学行きたいって気持ち俺は無駄にしたくない』
『もう帰って…』
『今から俺ワンランク上の大学目指すよ。だから、』
『帰ってよ!!』

しばらく立ち尽くし俺はそのまま部屋を出た。名前にはやりもしないで簡単に諦めてなんて欲しくなかった。名前にこの思いが伝わればいいと思う。



110629
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