夜の巡察の報告を終え自室に戻る途中、部下の名前の部屋から物音が聞こえて、襖越しに声をかけると、どうぞ、と返事が返ってきた。静かに襖を開けると、部屋の中心で灯りも点けずに刀の手入れをしていた名前は、一度だけ顔を上げてまた刀に視線を落とした。そして俺を見ずに、お帰りなさいと名前は言った。 「ご無事で何よりです」 「ああ。…珍しいな、起きていたのか」 「ええ」 「今夜は冷える。刀の手入れは程々にして早く寝ろ」 「お気遣い、ありがとうございます」 そこで踵を返して部屋を出ようとした俺を、名前のいつもより低い声が引き留めた。 「…神様は、何故、人を創り出したのでしょうか」 「…」 キンッ、と小さな音を立てて刀は鞘に戻った。俺は足を止め振り返って名前を黙って見つめる。 「外国の宗教によると、人は神によって創られたと云われます」 「そうか」 「神様は私たち人間に殺し合いをさせるために産んだのでしょうか。私たちはそのために産まれたのでしょうか…」 「どちらにせよ同じことだ」 「もしそうだとしたら、悲しくないですか?」 「それが使命なら皆産まれた意味がある」 「そうでしょうか?私は、悲しくて、辛い」 暗い部屋で名前の表情は伺えないが、この声や話の内容からすると目を伏せていることだろう。今日の名前は様子がおかしい。このような時間に刀の手入れなどしていたことはない。それに、普段からは考えられないその内容に、少なからず疑問を抱いた。神がどうだの、人がどうだの、理解出来ない発言ばかりだ。 「斎藤さん」 名前は先程とは打って変わって澄んだ高い声で俺を呼ぶ。その声はいつもの彼女と一緒で。 「私はこの世界が嫌いです」 「何故そう思う」 「この世界が、神様が、私たちの運命が、あまりにも滑稽だから、です」 そう言って笑った名前の顔がが、雲間から漏れる月明かりに照らされる。それは辛く悲しく、だけどどこか安心したような、そんな表情が伺えた。俺は屈んで名前と目線の高さを合わせる。名前と目が合う。その目からは感情は一切読み取れず、でも泣いているような瞳に、俺は名前の頭を撫でてやることしか出来なかった。 「俺は、例え己の運命が殺し合う人生と決まっていても、己の歩んだ道に後悔は無い」 「そんなの綺麗事です」 「ああ。だが、そうだとしても、だ」 名前は頭を撫でる俺の手を掴むと、その手にきゅっと力を入れた。 「…斎藤さん」 「何だ」 「貴方はずっと貴方のままでいて下さいね」 本当に今日の名前はどうしたものか。聞きたくてもその理由は聞けず、僅かに震える名前の小さな手を握り返す。 「…名前も、アンタはアンタのままでいろ」 名前は答えなかった。 そして俺は、運命というものを思い知らされる。 ― ―― ――― 副長は刀を構えて複数の敵に刃を向ける。何人かの相手は副長の鬼のような険相に怯えきって、少し肩が揺れた。 「よくも俺たちを騙してくれたな、」 副長が見据えるのはただ一人。群れの中心に居る女だけ。その女は我々真選組もよく知った人物で、つい先日まで俺の部下として働いていた、 「――…名前」 「こんにちは。土方さん、斎藤さん」 紛れもなく名前本人。無表情な彼女の右手には先日手入れされた刀が。彼女は一歩前に出ると、長州の武士たちを下がらせる。 「一体どういうつもりだ」 「私は今日この日のため真選組に送られた長州の密偵です。ずっと騙しててすみませんでした」 「よりによってお前だったとはな」 「みなさんいい人ばかりで、嘘を吐き続けるのは心苦しかったです」 名前は少し困ったように笑って、こめかみをポリポリとかいた。次の瞬間にはすっと表情が戻る。まさか仲間だと信じていた名前が長州の間者だったとは誰も思わなかった。それほどまでに名前は真選組に必要な人材だった。…ああ、そういうことか。俺は今その状況になって、先日彼女が言っていた意味を理解する。名前が言っていたのは俺たち二人の未来のこと。こうなればどちらかが死ななければ終わらない。名前はそんな未来を滑稽だと笑っていたんだ。今更、もう遅い。俺は名前と対峙するように前に立った。 「何故だ、名前」 「…これが私の悲しい運命なんです。分かっていただけましたか?」 「お前は馬鹿だ」 「そうですね。馬鹿でも私は運命を受け入れて死ぬの馬鹿より、運命に抗って死ぬ馬鹿のがよっぽど増しです」 名前は笑う。綺麗な笑みを見つめて俺は刀を構えた。 「斎藤、」 「いいんです土方さん。これで、いいんです」 「……名前」 「お世話になりました」 そして俺に向けられたのは、信念を掲げた力強い視線と、優しい彼女と共に走り、彼女を苦しめ続けたその刃。 神は地上を創ったことを後悔した (もし、あの時君を抱き締めていたら何か変わったのだろうか) (神よ、こんな結末なら僕らを産まないで欲しかった) 110418 御題拝借/HENCE …意味がわかりませぬ |