「…おい、最近の名前様の様子おかしくないか?」
「まさかまた風邪でも召されたんじゃ…!」



文官の間でそんな会話が交わされてるなど知る由もなく、私の手は羽ペンを握ったまま動こうとしない。書類の束は私の座っている机を覆い尽くすまでに積み重なっている。
それにすら気付かない程、私の意識はここではないどこかに行ってしまっていた。
今頃ジュダルはどうしてるだろうか。神官のお務めでバルバットに行ったらしいが果たしてまともに仕事をするとは思えない。誰かに迷惑をかけていなければいいのだけれど…。



「あ!!名前様!書類っ、書類が!」
「え?」
「書類にインクが!!」



大きな声にはっとし、私を呼んだ文官の指先を辿って私は顔面蒼白した。
羽ペンからぽたぽたとインクが書類に垂れていたのだ。



「そんな……!」
「あの、名前様。気分が優れないのであれば残りは我々がやります故、どうかお休みになられてください」



文官が心配そうに眉を下げて私を見るところどうやら体調が悪いと思われている様子。そりゃそうか。風邪で倒れてからあまり日数は経っていないからそう思われても仕方ないが。今のは完全に私のミスである。



「ごめんなさい。別に気分が悪いんじゃないの。ただ、ちょっと考え事してて」
「それなら良いのですが…」
「少し外の空気を吸ってきます。すぐ戻るから書類はそのままで大丈夫」



集中出来ないなんてこんなんじゃダメだ。仕事を手伝うからにはしっかりしなきゃ。
それよりこの汚した書類どうしよう。








庭にある噴水に腰を下ろす。天気はここ数日で一番晴れており、塀に囲まれた宮内からでは風景こそ見えないが、城下の市場は活気にあふれているのが分かった。
結果から言おう。インクまみれになった書類は処分するものだったようで問題にはならなかった。と言っても本来こんなミスは決して許されない。
最近の私は本当どうかしている。それもこれも全てはジュダルのせいだ。だって、だって、私にあんなことさせるから…!



「ほっぺに…ちゅーだなんて…」



あの時は文字通り顔から火が出そうだった。思い出すだけで今もまだこんなに頬が熱くなるというのに。私はそういう類いの免疫は皆無であり、キスは恋人同士がする行為という知識としてしか知らず、まさか自分がすることになるとは。それもジュダルにだ。
そして更に厄介なことに、あれから胸がドキドキと鳴り止まないのだ。私を抱く逞しい腕も、鍛え上げられた胸板も、何度も触れたことがあるのに意識したのはその日が初めてで。彼の声や香りが私の脳を刺激する要素のひとつであったことはもはや言い逃れ出来ない事実だろう。



「心臓がうるさい…」



自分の胸を押さえつけて鼓動の速さを感じる。物凄い速かった。熱が集中する頬を手で扇いで風を送るがそれだけで引いてくれる程甘くはなく冷めるまでしばらくここにいよう。



「会いたいなぁ」



頬は、まだ冷めない。


13'1012
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