「お馬鹿さんですね」
とうに幾つめか分からぬ書簡に目を通していた元就に、名前は開口一番にそう告げた。日輪がちょうど真上に昇った頃の出来事である。
「貴様、誰に向かって口を聞いておる」
「智将の毛利元就様で御座いますが」
あっけからんと告げる名前に怒鳴る気も失せ再び書簡に視線を向ける。追い掛けていた文字の羅列は、桃色に遮られ見えなくなった。甘ったるい香りに眉を潜める。
「わたくしの部屋の窓の桟に置いてありまして」
「そうか」
「あなた様で御座いましょう?」
「知らぬ」
「…直接渡してくだされば良いものを」
小さくため息を吐いてから、花の香りを楽しむ。窓から吹き抜ける柔らかな風、井草と花のかおり。春ですねえ。そう呟いても元就は相も変わらず無言であったが、流れる空気はいつもよりも穏やかであった。この麗らかな春の日に、我々は夫婦となったのだ。
「祝言を挙げてから五年が経つのですね」
「…そうであったか?」
「ふふ、とうにご存知でしょう?」
故にこのお花をくださったのでしょう。そう重ねて問うと、元就はふんと鼻を鳴らして書簡にさらさらと筆を走らせる。僅かに染まった赤い頬に、自然と笑みがこぼれる。
「わたくし、この花を押し花にして、栞にしますね。ずっと大切に致します」
「…ふん。好きにするがよかろう」
隣にぺたりと座って花の香りを楽しみながら、執務が終わるのを待つ。会話はないが、流れる空気は暖かくて、やさしい。この穏やかな時間が好きだ。
「元就様」
「何ぞ」
「有り難う御座いまする」
「…ふん」
「次からは直接渡してくださいまし」
「…そうしてやらんこともない」
再生する春