「何を見ている」

司馬懿様の目の下に陣取っているやつをじっと睨み付けていたら、何も言わずに見られていることにとうとう痺れを切らしたのか、書簡から目を逸らさずにそう問うてきた。それにむっとして持っていた筆で目の下にいる奴を隠してやれば、司馬懿様の左目の下には見事に真っ黒な三日月ができた。そこで漸く此方に視線を向けた司馬懿様はギロリと人を殺せそうなくらい鋭い目付きで睨む。

「…貴様、血を見たいか」
「むしろ司馬懿様が血を吐きそうで心配なのですけれど」

顔色が悪いのはいつものことだが、最近はいつにも増して悪い。私の言葉にしかし司馬懿様は余計なお世話だと鼻を鳴らし再び書簡に向き直った。面白くない。悪いのは顔色だけではないらしい。この性悪め。いつもならここで私が諦めて会話が終わるのだが、今回ばかりはそうはいかない。無理矢理此方に顔を向かせ青白い頬にぺちんと手を当てる。その頬は思ったよりもひんやりと冷たかったものだから少しびっくりしてしまった。

「…少し痩せましたね。ちゃんとたべてますか?」
「貴様には関係のないことだ」
「あります。そんなにも酷い顔色でしたら、皆にうつってしまいそうですもの。司馬懿様と同じ顔色になるのは御免被ります」
「なっ…貴様、」

細い目をさらに鋭く細めたので、目の下の三日月がぐにゃりと歪む。仕事馬鹿で頑固な上に短気なのは相変わらずのようだとため息を吐く。

「お願いですから休んでくださいませ」
「そんな暇はない。やらねば溜まるだけだ」
「それはそうですが、それで倒れられたら余計に大変です」
「この私が倒れるとでも思っているのか。己の管理くらいできる、余計な口を挟むな」

頬に当てていた手をばちんと弾かれた。相変わらず口の減らないお方だと弾かれた手を擦りながら、もう何度目かもわからぬため息を吐く。

「ずっとこれほどの仕事を正確にやりこなす司馬懿様には本当に頭が上がりませぬが、いくら司馬懿様でもこれではお体が持ちませぬ」
「私の話をきいていたのか。自己管理はしていると、」
「女官からの報告ですと食事もろくに摂っていらっしゃらないとか。それで自己管理は出来ているなどとでかい口を叩かれるとは、さすがは司馬懿様ですねえ」

私の厭味を含んだ言葉に、しかし図星らしい司馬懿様に反論できる筈もなく喉の奥を詰まらせるだけであった。

「お願いですから休んでください。…ここのところずっと寝ていないの、知ってるんですよ」

そう言って胸元に顔を埋めれば、司馬懿様の匂いで肺が満たされていく。とくんとくんと聞こえる音は生きている証で、けれど元気がないように感じた。そんなことをぽつりぽつりと思っていると、ぐいと肩を押されたのでゆっくり離れる。そこに座れと指さされたのは床で、ああこれは説教が始まるのかなと覚悟を決めて正座をすれば、予想外の重みに小さく変な悲鳴がもれてしまった。

「…少しだけだ。すぐ起こせ」

了承する間もなくふつりと目が閉じられ、すぐにすうすうと寝息が聞こえてきたものだから、やっと休んでくれたと安堵しほうと息を吐いた。膝の上で寝ている司馬懿様の三日月をそっと撫でる。普段なかなか見れない寝顔にじっと見入っていると、じわじわと眠気が襲ってきた。これで漸く司馬懿様が休んでくださったのだ、起きたら食事も食べていただかなくてはと朦朧としてきた意識の中で考え、司馬懿様の三日月の下に隠れている奴に別れを告げ私もゆっくりと目を閉じた。


心臓の泣き声
110604「休憩」様に提出
素敵な企画に参加させていただきありがとうございました!
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