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人理修復は完了し、そのあとに起きてしまったトラブルも終息した。
その時になって世界は藤丸立香の存在をどう【処分】するかをゆだねられた
数多の神々、数多のサーヴァント、数多の特例との絆を結び、世界を救ったはずの英雄はその出自ゆえに疎ましいものとして処分される。それはなにも魔術師や地位のある者の屑のようなプライドでもちっぽけな名誉のためでもない。それは必然であり、正論であり、それこそ彼らが救った人理でもあった。
強大な力を持ちすぎたのだ。
それこそ世界各国が、人類の平和と尊重と尊厳を尊ぶ世界が彼の人権を無視することを選ぶほどの力。
彼と旅したサーヴァントは彼の存在を最上位として認識する。そしていずれか座に還り記憶の一ページとして残ることだろう。
…それが問題だった
彼が何かの拍子でもう一度サーヴァントを召喚してしまったとき、または彼が何らかの拍子で英霊の座に、登録されでもしてしまったのなら…。
その力が英霊を縛るものだとするのなら、それは聖杯戦争という人類史にひっそりと残った修正を無に帰すものにしてしまう。
なぜなら彼は何の力もない一般人だから。
そんな、どこにでもいる、ただの、平凡で、本来なら守られるべき存在にその座に行かれては困るのだ。何が起きるかもわからない、このままいけば彼は間違いなく英霊として登録されるだろう。そのあとに予想される最悪の何かを防ぐためにも、彼らは、世界は彼の処分を決める必要がある。
人理のために
けれど、それを大人にもなり切っていない存在に告げることは酷だった
彼は称賛されるべき偉業を成し遂げたのだ。人理を救った、たった一人で。
それなのに、命をかけて、一度は死んでまでこの世界のために身を粉にした青年にそれを告げるのは余りにも非道ではないか。
―――君が救った人理のために、世界のために、未来のために、魂が座に召されてしまうことがないように、ただ、永遠に眠り続ける人形になれなど。あまりにも、あまりにも。
「…それが、俺が成したことへの、答えですか」
「あぁ」
けれど、告げなければ何も前に進めないのだ。
世界各国の首脳たちが集まる前で、彼はそう告げられた。
済んだ青い瞳は静かに目の前にいる彼らを見つめている。
そして、目にして改めて彼らは思い知らされた、壊死したという指、肌から見える傷の後。
なにより、自分たちが思っている以上に彼はまだ若かった。
青春すら満足に謳歌できなかっただろう
恋だって
親孝行だって
夢だってあったはずだ
そんな、我々の未来を担う予定だった彼に、自分たちは死ねと、それと同義であることを告げている
…伏せられた瞳は何の感情も映しては居なかった
そして彼はゆっくりとほほ笑んだ
「そう、ですか」
それはきっと諦めだったに違いない
潤んだ瞳に何人かの国の代表が思わず言う様に腰を上げかけて、日本の首相はつらそうに眼をそむけた。
そして、かれの両親の生活の保障や人理継続保障機関フィニス・カルデア継続の約束、デミサーヴァントの安全保障。それを取り付ける。いや、それしか彼は願わなかった
なんと欲がないのか
誰かがそうつぶやいた。その言葉に都合がいいだとか蔑みの色なんて見られない。ただ純粋にそう感じた。彼自身に関する制約がないのだから、それはつまり…
けれどもやはり考えてしまう。本当に彼を封印指定することが正しい道だったのだろうかと。
沈んだ思考を無理やりほかのことへとつなげて、各国の代表は目の前の青年に惜しみのない感謝の言葉を述べた
…ここで憐みの言葉をかけることが、彼への侮辱に感じたのだ
「おい!ふざけるな!マスター!マスター!!」
「嘘です!嫌です!旦那様ぁ!!」
「いい加減にしなさいよ、あんたたちどこまで、どこまでこいぬを馬鹿にしたら気が済むのよっ!」
「おい雑種、貴様なぜ笑っている!これが貴様の、っ…、藤丸立香の決断か!」
「坊主、まだ間に合う、こっちにこい!守ってやる、俺が、俺たちがっ」
幾重にも張られた魔術師たちが力を結成させた半透明の壁は人間と英霊を引き裂いた。
人類最後のマスターの封印指定が下されたのは今日の今朝の事
モニタールームに全サーヴァントが、人類最後のマスター以外が集められた。
そこから告げられたのは人理継続保障機関フィニス・カルデア継続と、人類最後のマスターである藤丸立香の封印指定の命令
当然職員もサーヴァントも反対し、その場は混沌と化したが、誰かがつぶやいたのだ「マスターだけが、なぜここにいない」のかと。
その違和感に気づいたとき、まず千里眼を持つものが駆け出した。その顔に焦りの色を乗せてたどり着いた場所はコフィンが保管された場所だ。元々死にかけたマスター候補が眠っていた場所は今、誰もいないはずだった。しかしそこにはすでに完成された不愉快な結界と幾人にも上る地位のある大人たち、そして、今まさに冷たく音も光もない世界へと踏み出そうとした人類最後のマスターの姿
「何か、何か答えてくださいマスターっ!」
「ちょっとあんた、何、馬鹿な事してんのよ…!」
「トナカイさんっトナカイさんっ、そっちは寒い場所です、だからいっちゃだめです!」
「おかあさんを返して、返してよっ!!」
何人のサーヴァントが武器を手に取って結界を壊そうとしただろう
何人のキャスターが解析しようとしただろう
そんなの、全員だ
彼らはマスターが、藤丸立香が失われることを望まない。世界が人が、彼らが救った人理が望もうとも、彼が失われることを望まない
「みんな…、ありがと、おれ、楽しかったよ」
みんなと旅ができて
慈しむように細められた瞳には慈愛の色が浮かび、そして涙がこぼれた。
それだけが、その涙だけが、無理して笑い、無理して行動し、無理してでも、傷ついてでも人理を守り抜いたまだ幼い少年の本音だった
そして足がかけられる。
口元には酸素を送るマスクがつけられて
手には幾重にもまかれた頑丈な革のベルト
「いや、まって、まってよ、マスター!」
目をつむっていた彼は一度だけ目を、その美しい青い瞳でサーヴァントたちを見下ろして、笑った。
ガシャン
彼が乗っていた何かが下へと下がり、そして、彼の姿はサーヴァントの前から消え、一瞬の静寂ののちにむなしくも蓋が閉じられた音が、響くのだ
「いやよ、どうしてこなるの…」
「あの子が、あの子が何をしたというのですっ…」
「ますたー。ますたぁー…!」
小さな姿をしたサーヴァントと女の形をとる彼女たちが力なく床に崩れ落ち、バーサーカーたちが怒号を上げた
ーーーこれが、彼が、藤丸立香が選んだことかとーーー
「くだらん、実に下らん、こんな終末、こんな駄作、俺は認めんぞマスター!!」
―――ほんとはね、みんながそういってくれたこと、少しだけうれしかったんだ
コフィン中で、彼がつぶやいた最後の言葉など誰も知らない
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