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…しかし、いつまで待ってもその時は訪れない。目の前のミツバは花束に触れ、香りすら嗅いでいるのに、花吐き病に感染したという証拠である症状が現れない。虎杖の心臓がドクドクと嫌な音を立てた。
───なんで、どうして、なんで琥珀上は花を吐かないんだ?
頭の中でグルグルと思考が巡る。不意に彼女が顔を上げた。キュッと心臓が締め付けられるような感覚。黒曜石の様に黒く、理知的な光が宿る瞳が虎杖を貫いた。その瞳の強さに目を背け、ふと思う。
───もしかして、五条先生と琥珀上はもう…。
最悪の展開。そんな未来を想像し、虎杖が拳を握り俯いたとき、ミツバが彼に声を掛けた。
「虎杖君」
「──っ…!?」
グッと、その瞬間、まるで胃を捕まえたような衝撃に口元を押さえ、虎杖は蹲る。そんな虎杖に対しミツバは何も言わず近づいて背中をさすった。優しく、ゆっくりと。無意識に嗚咽を零し咳をする虎杖にもう一度声をかける。
「ねえ、虎杖君。君が入学したばかりの頃、あの図書室近くの校庭で話した内容覚えてるかな?」
げほっ、ごほっごほっ、
咳き込む音。口から何かが溢れ出してしまいそうな感覚。ミツバの言葉に耳を貸す余裕すらなく、虎杖の身体は胃から這いあがってくる異物感を吐き出そうと何度も喉を震わせ、生理的な涙を流す。
───見られたくない…!
花を吐く姿なんて見られたくないと、虎杖が息を止め、目を閉じた。
「誰もが皆、白銀の百合を咲かせることが出来るって話、覚えてる?虎杖君」
彼女の言葉が耳には入らない。今、虎杖を動かしているのはただ花を吐く自分を見られたくないという感情だけだった。不意にドンッ!と虎杖の背中が強い衝撃を受け、彼は大きく咳き込み、少量の唾と喉につっかえていた【何か】を吐き出す。
ポトリ。
不思議で、柔らかく、少しの弾力を手に感じ苦しくて強く閉じていた瞼を、虎杖が瞼を震わせながら開く。
──そこに見えたのは銀だった。
しかもただの銀ではない。白銀だ。
「───ッ!」
息を飲む。だってその白銀は紛れもなく百合の形をしていたから。そっと、虎杖の背中からぬくもりが消える。その温もりを追いかけるようにして虎杖は顔を上げ、彼から受け取った花束を大事そうに抱えるミツバを見た。ミツバの唇が小さく動き、聞きやすい声音で虎杖に話しかける。
「ねえ、虎杖君。
あの日、私が君に言った、君の白銀の百合は、咲いただろうか?」
私はね、当の昔に咲いてたよ。
そう言ったミツバの右手には美しい白銀の百合が握られ、虎杖が渡した花束に加えられる。そして次の瞬間に花束としてまとめられた花々が花弁を舞わせ、宙に消えていった。
ひらりひらりと舞い散る花びらの中で、照れたようにミツバが笑い、言う。
「好きだよ。虎杖君。君のことが、誰よりもね」
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