短編集/女主 | ナノ


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───花吐き病

 正式名称は「嘔吐中枢花被性疾患」。太古の昔から存在する恋情を擦らせた者にのみが羅患する奇病。その名の通り口から花を吐く病(やまい)であり、患者の吐き出した花に触れれば感染する。そしてその奇病を患った患者は最終的に花弁をのどに詰まらせて死ぬという、世界でも類を見ない奇病。
 医療的観点から言えば根本的な治療法など存在しないその病気は恐ろしく、しかし美しくもあった。全世界で確認されるその病に人は魅かれ、魅入られ、誰もが悲劇の登場人物になろうとする程度には知名度も人気もある奇病。

 その病が世界的に人気を博する理由はその性質と治療法にある。花吐き病の性質は患者が花を吐き出すこと。治療方は意中の相手と両想いになる事である。そして両想いとなり奇病を完治させた人間は美しい白銀の百合を吐き出すのだ。

 まるで御伽噺のような話。だからこそ世界中の人間はその奇病に羨望を抱いた。しかし、花吐き病を発症した人間にとってしてみればこの奇病に罹ったこと自体不幸以外の何物でもない。意中の相手に焦がれて焦がれて焦がれて焦がれて、その末に発病する。完治せずに儚くも散っていく人間だっている。そもそも死亡率だって高い病気だ。自分がいつ花弁をのどに詰まらせて死ぬかも分からない。こんな病気を一体誰が喜ぶというのか。そう思いながら虎杖はそっと目を伏せ、バレない様に視線を横に流す。

──居た。

 長い黒髪を一つにまとめ、ただひたすらに長物を振るう少女の姿を視界に入れながら、虎杖は浅く呼吸を行い、その少女に見惚れた。空気を揺らすように一つ一つ丁寧に的に撃ちこみ、舞うように打撃を与える彼女の名を、琥珀上 ミツバ(こはくじょう みつば)という。

──虎杖が花吐き病を患うきっかけとなった…、つまり、虎杖が恋情を向ける相手だ。

 腰を覆う濡れ羽の様に長い髪。少し釣り目がちな目元は涼やかで、思わず口付けたくなるほどに魅力的な唇。愛らしい顔立ちと涼やかな声を持つ少女。そしてその見た目とは裏腹に呪術師として酷く優秀な人材。彼女を見るだけで、笑いかけてもらうだけで、言葉を交わすだけで虎杖の一日は幸せなものとなる。それくらい虎杖は琥珀上ミツバという少女に入れ込んでいた。しかし。

「あっ…」

 しかしそれは片思いだ。だって彼女の好きな相手を自分は知っている。

「やあ、皆!今日も特訓に精が出るね!」
「五条先生!」

 彼女のうれしそうな声が虎杖の耳に届く。先ほどまで振るっていたはずの長物を地面に突き刺し、制服を翻しながら自らの担任に寄っていく瞳は蕩けていて、頬が桜色に染まっていた。紛れもなく恋する乙女の顔だ。その様子に知らずと拳を強く握り、虎杖は目を背けた。

苦しい。苦しい苦しい苦しい。

 胸が痛くてたまらない。なんであの表情を、あの目を向けられる相手が自分じゃないのだろうと考える。もう何度も何度も、自分自身に問い掛けた疑問だ。答えはいまだに出ていない。
 不意にグッと嘔吐感が湧き上がり、咄嗟に手で口元を抑えた。マズいと脳が警報を鳴らす。考えるよりも先に脚が動いて少し離れたトイレへと駆けこんだ。
 上がってくる異物感。それに耐えることなく虎杖は何度も咳込んで口から零れる花を吐き出した。

「げほっ!う”ぇっ…!」

 不味い。舌に触れ、その味覚を刺激しながら零れ落ちる花々が水の張った流しに浮かぶ。そしてその花弁に小さな雫が落ちたのに気づき、虎杖は顔を上げた。

 泣いている。鏡の中の自分がその両目から涙を流していた。ほろほろと、止まることのない涙に虎杖の顔が歪む。

───好き。

 あふれ出る想いが虎杖の心情を表していた。同じ言葉が何度も胸の内にわき上がり消えていく。それはまるで植物が花開き枯れていき、そしてまた花開くというサイクルを表すように。

───好き。好きだ。好きなのに。

「なんでっ、俺じゃねぇの…?」

 言葉にすればもう駄目だった。喉が震え、虎杖は洗面台に崩れ落ちるようにして嗚咽を漏らす。こんなに好きなのだ。好きで好きで好きでたまらなくて、こんなに苦しいのに、どうして自分ではなく五条なんだと花弁を口から零しながら吐き出した。自分はこんなにもあの少女に恋い焦がれているのに…、どうして…。

 ゆっくりと顔を上げた虎杖の目に、自分自身が吐き出した花が目に入った。天井にぶら下がる光を受けて鈍く反射する小さな花。それを見て虎杖はただ笑う。

───マジ俺、どうしようもねぇわ。

 手を伸ばし、虎杖は花に触れる。そしてその触れた花と先ほど流しに吐き出した花々を学ランの上にかき集め、足早に自分の寮室へと向かった。その途中で自分が恋情を向ける少女とすれ違う。いつもなら陽気に声をかける虎杖は少女の存在に気付かずに自室へと駆けた。

「…?」

 はらりと、胸に抱きしめる学ランから零れ落ちる花弁少女が気づき、手を伸ばしたことに気付かずに。
虎杖がミツバと呼ばれる少女に恋をしたのは入学して間もないころだ。まだ夏の暑さがじりじりと肌を焼き、高専唯一の図書館で涼んでいる時。彼は図書館の窓ガラス越しにしゃがみ込むミツバを見つけた。同じ学校のクラスメイト、しかしあまり話したことのない少女、そんな相手がこんな暑い日にしゃがみ込んでいる。それを確認した虎杖は慌てて立ち上がり購買で水を買った後、その少女に駆け寄った。

『だ、大丈夫!?』
『え?』

 細い肩を掴み、そう問いかけた虎杖にミツバは目を丸くして振り向いた。そんなミツバのリアクションに虎杖は自分の行動が早計だったことに気付く。そしてミツバも虎杖の真意に気付いたのだろう、その目線が虎杖の右手、つまり買いたてのペットボトルを見て笑う。

『大丈夫だよ。私』
『み、たい、だね…』
『ふふっ』

 でもありがとう。虎杖君優しいね。なんて、涼やかな声でそう言った彼女の目線が自身の足元にあった花壇に向く。その視線を追って虎杖も少女の足元にある花壇へと目を向けた。美しい純白の白が目に入る。

『百合?』
『そう、百合。白い百合なんだよココの百合。綺麗だよね』

 優しい眼差しで花壇に咲く百合を見下ろし、ミツバが笑う。その様子に虎杖もしゃがみ込んで白百合を見つめた。太陽に向かって開き、その存在を知らしめるかのように花開く姿はどこか威厳があって美しい。

『百合、好きなん?』
『うん。好き。でも…』

 白銀の百合の方が、もっと好きかな。
 小さな呟きだった。けれどそれを虎杖は聞き零さずにミツバに問う。

『白銀の百合?』
『…うん、そう。白銀の百合。人間だれしもが咲かせる可能性を持つ綺麗な百合だよ』

 私と、虎杖君の心の中にもね、その種があるの。そう言ってミツバは虎杖と自分の胸を指差しながらにっこりと笑う。そんなミツバの様子に虎杖は単純ながら恋をした。
 別に一目惚れとかそんなんじゃない。ただ、その焦がれる様な眼差しと、どこか嬉しそうな顔にとくんと控えめに心臓が音を立てたのだ。振り返ればアレが恋に落ちた瞬間だったと思うだけで、実際どうかなんてわからない。けれど、確かに虎杖はあの瞬間、自分が彼女に恋をするという確信めいた予感を感じたのだ。そこからはもう転げ落ちるようなモノ。気が付けば目で追っていて、気が付けば彼女の存在を探していて、これが恋じゃないというなら何が恋なんだと、そう言い捨てるほど虎杖は彼女に焦がれた。
 五条に対して蕩ける様な笑みを向け、頬を染め、そして言葉をかけるその姿に何度も唇を噛み締め目を逸らして、虎杖は日々を過ごしてきた。

 胸が痛むのだ。もうどうしようもない程に。彼女の気持ちが自分に向いていないことが嫌でも分かる。嫌でも理解できてしまう。だからこそ、こうするしかないんだ。誰に言い訳しているのかすら分からぬ言葉を苦し紛れに吐き出して、虎杖は控えめな花束を作った。

 ソレは虎杖自身がミツバを想って生み落とした花々で出来た花束だった。

───この想いが叶わないなら、一緒に死んでよ、琥珀上。

 苦しんで苦しんで、俺に移された病で死んでくれ。そんな歪んだ愛情を胸に抱き、虎杖は目を伏せながら花束に口づけた。虎杖が伏せていた瞼を開ける。いつも明るい光をもって輝く瞳が、どことなく影を落とし、薄暗い部屋で瞬いた。

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