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どうして、
どうして、
なんで、どうして
雪が頬に落ちて伝う。どうしてこんなに人は醜いんだろう。
助ける人助ける人、すべてがその好意を無下にする。鬼から助ければ逆に生贄にされそうなことも何度もあった。
助けた後にもらうはずだった賃金を「お前は死ぬはずだったんだから生きてることに感謝しろ」と巻き上げられた
戦闘で疲れた後を狙われ、乱暴されそうになった。
ようやく手に入れた兄の薬を持ち、あの道を走る。慣れ親しんだ道なのに、ひどく遠くて、涙がにじんだ。命懸けで守った兄の炭の代金は重みがあって、きっとあの家族は冬を越せる。
だから、早く。
ああ、だけど、夜だから止まっていきなさいと、夫婦で呼び止めてくれた麗の村の人には悪いことをしてしまった、あとで謝らないと。
引き戸に手をかけて、顔に笑みを作る。泣きそうな顔をしていたら、きっと彼らは心配するから、だからーーー
「た、ただいま兄さん姉さん!わるい。ちょっと道に迷ってーーー」
「ゴホッ…!」
…その時、見た光景を、俺はきっと忘れないだろう。
引き戸を開けた瞬間に奥の布団で姉さんに背中をさすられていた兄が、おびただしい量の血を吹き、何度もせき込んでは血を吐き出すその姿を。
目を見開いた。
口を開いて、何かを言おうとした。
手をばねに、草履を脱がず、醜くも這いつくばって兄に近寄った
姉さんの横に置いてあるお盆には白湯と薬がある。
「兄さん、兄さん!?」
姉さんに荷物を押し付けて、白湯をすくい、買ってきたいつもの薬を入れて揺らす。今の兄さんに粉末状の薬は毒だ。まだ温かい薬湯を口元に持っていけばゆっくりとのどが上下したのを確認して、背中をさする。けれどその顔色は良くならず、ごめんねっと弱弱しく笑い、いつかのように俺の頬を撫でて、兄さんは俺に言う
「道幸、君に頼むのは申し訳ないけれど、俺はもう無理だ。ごめんな」
「ちがう、違うよ兄さん。俺が薬を持ってくるの遅れたからだ、俺のせいだ…」
「ちがう、ちがうよ、もう長くなかったんだ、だから、俺の代わりに、家族を頼む」
長くはない。今すぐには死なない。けれど、子供もこんなにたくさんいる。そんな思いが伝わってきた。俺はもう長くないから、と。ひどく悲しそうに瞳を下に向けて、もう一度ごめんねと囁かれる。障子をまたいだ横で子供たちの寝息が聞こえる。
幸せは壊れてない。けれど、幸せはもうすぐ壊れてしまうのだろう。
「君にこんなことを頼むのは酷く、申し訳ないけれど、俺がなくなった後、子供たちを、頼むよ、道幸」
昔に比べて随分と細くなった腕が持ち上げられて、骨が浮き上がる手が頭を撫でる。その動作がひどく優しい。
「俺もなるべく長く生きれるように頑張るから」
その言葉にさらに涙が出てきた。俺が人を信じてたばかりに、人の醜さを忘れてたから、薬を持ってくるのが遅れたせいで、兄さんはいつもの薬が飲めなかったのだと理解していた。白湯の横に置かれた薬はいつもと違って粉末が大きく、色が褪せていた。きっと粗悪品を掴まれたんじゃなかろうか。これが俺の一度目の罪
―――その日からだ。俺が人に何かをするために金を要求しはじめたのは
それは一重に俺の将来の貯蓄というよりは、竈門家の生活を安定させるための貯蓄だったと思う。だってそうしないと罪悪感でつぶれてしまいそうだったら。あの家族から父を奪ってしまったのは俺だ。俺には彼らを幸せにする義務がある。幸い俺にはそれをする力があった。師範に鍛えてもらった力だ。
鬼殺隊の勧誘時、チャンスだとも思った。安定した収入が手に入る。それに加えて鬼を倒すたびに色がつく。
柱になるときは酷く面倒だとも思った。彼らに会いに行く時間が減ると、実際に減った。けれど給料に色がついた。だから仕方のないことだと思った。本来なら予定していた冬のある日に緊急の任務が入り、行けなくなった。蹴飛ばせばよかったんだ。結局暴れていたのは鬼ではなく、ただの盗賊だったのだから。
行けなくなったのを謝罪する文を飛ばせば、身体をいたわる様にと葵枝姉さんから返ってくる、それに加えて子供たちがつんできたという押し花が同封されていて、温かい気持ちになる。早く終わらせようと心に決めて地を蹴った。美味しいと噂の饅頭でも買って、簪やおもちゃでも買って帰ろう。それが俺の二度目の罪だろう
結果として、俺は大切なものまたつかみ損ねた。久しぶりに訪れた彼らの家は明らかに誰かが埋まっているであろう小山が数個と血に汚れた竈門の家。手に持っていたお土産が地面に音を立てて落ちる。
守るべきものが壊れた気がした。
目標が消えた。彼らを幸せにできなかった。そこからどうしたのか覚えてない。とりあえず仕事など手はつかず、ひたすら自分の屋敷に引きこもり、スンスンと泣き暮らした気がする。柱会議に主席などする元気もなく、何度も御屋形様からの手紙が送られて来た。ほとんどは任務を入れてしまった謝罪や、気が済むまで休んでいなさいという言葉だったけれど、
月に一度、柱の誰かが訪ねて来たし、錆兎は見かねて週に一度は顔を出していた。
何年たったのか、その日、柱会議があると手紙が来たため、俺は久しぶりに身支度を整える。長らく着用していなかった鬼殺隊の服に袖を通せばいまだしっくり来ていた。当たり前だ、泣き暮らしたとはいえ、師範の烏が毎日毎日特訓の内容がしたためられた文を送ってくる。
でも、それも今日で終わり、俺は今日、辞表を提出して師範の元に戻り、山で暮らすのだ
義勇から是非とも出席するようにと何度も念押しされたが、もとよりそのつもりだった。茶色の羽織を肩にかけて二年間手入れすらしなかった髪を溶かし、髪をくくる。
「お前を帯刀するのも久しぶりな気がするな」
青龍偃月刀を肩に乗せて俺は屋敷を出る。
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