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「おはようございますモブ子、今日も一日、張り切って患者を治療しましょう」
「おはようナイチンゲール、ところで、昨日斧で扉叩き割ったらしいけど掌は大丈夫?」




程よく間の開けられた横のベットで髪をとかすナイチンゲールに聞けば少々考えるような素振りを見せそっと掌を私に見せつければ、皮が擦りけて血がにじむ、おいこらちょっと待て




「処置!消毒はっ」
「落ち着きなさい、私がそんなへまをするとでも?きちんとしましたよ、今後の包帯と医療器具を交換条件に」
「お家の権力が見えるようだけど胸張って言うことじゃない!ほら!消毒はこまめに必要なんだから掌出して」




少しだけ語尾を強めて言えば居心地悪そうに顔を顰めて彼女は手を出す
こういう素直なところは可愛らしいんだけれど、彼女は頑固だし思いついたら即行動!な女性だ、だから昨日、扉を叩き割るという淑女あるまじき行為を強行したわけで…




「いや、煽った私も悪かったんだけどね」
「何を言っているんですかモブ子、貴方の『何か言われたら物理で訴えることも大切だ』という助言は大変助かりました。おかげで幾人かの負傷兵を癒すことが出来ます」




美しい紅の瞳に喜びの感情を乗せて、彼女は自分の看護服に手を伸ばし、身に着け始めた。


…昨日は誰よりも遅く起きていたくせに、誰よりも早く目を覚ますこの女性の名を、フローレンス・ナイチンゲールという。


後の世に白衣の天使、と呼ばれ、統計学と深い教養からエリザベス女王より名誉を賜った看護師のあるべき姿―――、と、後世には語り継がれてきたが、彼女を知る人物はそれに対して激しく首を振る

天使?彼女が??冗談じゃない、彼女が天使であるならば悪魔など可愛いモノだと、声高らかに叫ぶであろう




「モブ子?」
「何でもないよ」




さっさと準備しろと言わんばかりの瞳を向けられて、私は苦笑しながら衣服に手をかけた。
ふんわりとした黒地の看護服は足元まで覆う仕様で、平成生まれな私に、本来ならば着馴れしないもの




「では今日の予定を大まかにまとめましょう、私はいつものように彼らの食事の世話、支障部の清潔、病棟の掃除を担当します」
「私は兵士たちのリハビリを中心にやっていくよ。数名借りても大丈夫かな?」
「ええ、最初は何がしたいのかわからなかったリハビリも今では重要なものだと理解して言いますので」




おかげで退院後も自分で生活していける兵士が増えていますから、優しく微笑みながら手袋を付けた彼女はすでに準備は整っている。私もあとは手にカルテを持つだけだった




「じゃあ、行こうかナイチンゲール」
「えぇ、今日もよろしくお願いしますね、モブ子」




本名を明かすことのない私を彼女は医療の知識を見ただけで採用した。

―――きっと、それほど彼女は同志を集めたかったのかもしれない。自らの意思が正しかったと、彼女は証明したかったのかもしれない

戦場に赴く前の彼女がひどく不安そうにしていたのを思い出して私は少しだけ頬を引き締めた。「戦場に物資は足りてるのか」「どれだけの怪我人がいるのかもわからない」

医療の知識があるとわかるとすぐさま私を個室に呼び出し、彼女は不安をこぼした。そんな彼女の必死な問いかけに私は真顔で言ってのけたのである




『不安なら自分がこれだけあるなら足りるだろうって量の物資、持っていけばいいんじゃないかな?』




不安なら持っていけ、なやむんじゃねえ。遠回しに言った言葉を彼女は真に受けて実行した。そしたら案の定足りなかったのである。なにが?物資がに決まってんだろ言わせんな。まじ軍が無能すぎて受ける。軍が無能なのか国が阿保なのかはこの際どうでもいい

おかげで初日から筋肉痛だし最悪だった。




「はい、今日の作業はこれで終わりですよ陸軍中佐」
「あぁ、悪いな…」




片腕を吹き飛ばした男に笑みを見せて私は今日のリハビリの終了を告げた




「中佐は片腕を吹き飛ばされているので、今後、残ったほうの腕で生活することになりますが…、どうですか?初日よりも文字の上達が見られますが」




初日に預かったそれと今、書き終えた自身の名前を見比べて、目の前の男は満足そうに微笑む。長かった、最初の塗りつぶし訓練から自分の名前を書けるようになるまでの期間が、とても長かった

思い出すのは初日にめちゃくちゃ駄々を捏ねた男の姿だ、ソレもナイチンゲールの一言によって一気にしぼんだっけな




『はぁ…、つまり、貴方はご自分のことも何もできない無能になりたいと。なっていただくのは構いませんが、それはあなたのプライドが許すのですか?排泄食事着替えすべてを人の手がないとできない、そんな人間になりたいと』




中佐の死にそうなほど嫌だと雄弁に語る目を見たのはそれが最初で最後である。それからは一日四時間という制約はあるものの中佐は血を滲むような努力をした。よほど他人に世話をされる生活が嫌だったのだろう。私も嫌だ

そんな生活を繰り返しているとき、ふいにナイチンゲールが呟く




「近頃戦場に行こうと思うのですが、モブ子、一緒にどうですか?」
「いいよ」




大変ノリが軽かったのではないだろうかと自分でも思うほどあっさりとした答えだ。







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bkm






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