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お決まりのパターンだった。学校からの帰り道、もう少しで家だというところで私は唐突なめまいに襲われる。ふらりと傾くからだに慌てて近くの塀に手を付くともう景色は変わっていた。けれどいつもと違うのだ。私が立っていたそこは美しく、絢爛で、それこそ市場に出回れば屋敷一つ建つであろう調度品が多く並べられた豪勢な部屋。鮮やかに壁を色づけるのは彫刻家や画家たちが丹精込めて描いたであろう花々だった。

その中央で女性が驚くようにこちらを見ている。美しく気高いプラチナブロンドの髪を結い上げ、その頭に王冠を乗せた女性だ。その近くには薄桃色の給仕服を着たメイドが立ち、そんな女性に声をかける




「どうされたのですか、テレジア様」
「女性がいるの、そこに…」
「テレジア様…?私には何も…」




困惑したかのような反応を見せながら彼女が私を指差した。けれど傍にいたメイドが困惑したかのように私のいる、何もない空間を見て眉を顰めた。その姿にテレジアと呼ばれた彼女は何かを察したのか腕の中にいる赤子を侍女に渡すと部屋を出るように促す

侍女は困惑したかのようにテレジアと私がいる空間を交互に見つめ、最終的には静かに部屋から退出した

それを確認して、目の前の彼女が私に向き合うように身体を動かす。女性らしいふくよかな体格とデザインとしては上品なドレスを揺らし、口を開く。




「…それで、貴方は誰かしら。給仕に姿が見えなかったということは人ではない…、悪魔か、それとも天使の分類?よくわからないわね。」
「それは私にもわからなくて…、そもそも私は人間だし…、めまいがしたらここに…」
「めまい?ふふっ、おかしなことを言うものね。貴方が本当に人で、めまいに襲われてこの城に入れるとなれば、私は城の兵を即刻打ち首にでもしなければいけないわ」




ころころと上品に笑って見せ、こちらを見据える瞳は酷く冷たい色を放つ。虚偽を許さぬと言わんばかりに細められ、形の良い唇が弧を描くのだ。




「貴方が人であれ、そうであれ、私には関係ないわ。給仕の者に見えぬなら城の者に見せても同じことでしょう。ならばどうしようもない。捕らえて打ち首…いいえ。火あぶりにでも処したい所ですが、それもできぬのなら、そうね…。貴方、私に憑きなさい」
「えっ」
「どうせ王家に怨みでも持つ霊の何かでしょうし、私に呪いでも何でも降り掛ければよろしいのよ。そうすれば少しは怨みも晴れるもの…。それで満足してくださるかしら?ああ、くれぐれも夫と子供たちには手を出すことがない様にーーー」
「ちょっちょっちょっとまって!!私は悪霊でもないし!何ならあなた方が王家だってことなんて知らないし!!そもそもここがどこかわからない!!」
「えっ…?」




叫ぶように、思わず彼女の身体に触れようと飛び出したからだが彼女と座っていた椅子をすり抜けた。不思議なことにバランスを崩した私はびたーんっと音を立てて何もない空間に倒れる

何とも言えない空白というか、静寂が心に刺さった。

驚いたようにこちらを見下ろす女性の視線が酷く、痛かった。わずか数秒。そのわずか数秒で不意に彼女の雰囲気が揺らぐ。




「ふ、ふふっ」




酷く、楽しそうな声だった。楽し気で、面白い物を見たと言わんばかりに両手で口元を押さえて笑う女がいた。思わず倒れたままで彼女の方を向けば彼女は「あー、おかしい」と言い放ち私に手を差し出してみせる




「可笑しな幽霊もいたものだわ。貴方、お名前は?あ、幽霊だから私には触れられないかしら」
「そう、だね。幽霊じゃないけど。…名前か、名乗るほど立派なものは持ってないんだけれど、……モラブティア。モラブティアだよ。モブ子とでも呼んでほしいな」
「不思議な響きね。でもモブ子とは呼べないわ。ティアと呼びましょう。私はテレジア。マリア・テレジアよ」




―――マリア・テレジア…?どこかで聞いたことがある名前だ…。



首を傾げる私を見てテレジアがくすくすと笑みを零した




「本当に私を知らないのね。いいわ。気に入りました。やっぱり私に憑きなさいな」
「幽霊じゃないんだけど…」
「ええ、そうね、もしかしたら天使様かもしれないわ。聖女様かも。だけれど関係ないの。貴方が人と言い張るならば、私も人として貴方と話したいわ。ティア」




にっこりと微笑んで彼女が掴めぬ私の手をそっと包みこんだ




「今日から貴方は私にしか見えぬ友よ。さあ、どんな話をしましょうか」




今でも思う。あの時の彼女はきっと疲れていたのだろうと。彼女の頭の中で何が起こって、なんであんな急展開に発展したのかは永遠の謎だった。けれど結果的に彼女のその心変わりによって私はこの時代で生きるための住む家を与えられたのだ。結局は感謝しかない。



―――コンコン



私はしばらくの間、彼女との会話に花を咲かせていたのだが、扉をノックする音と共に先ほどの給仕が顔を覗かせた。その腕には数十分前、テレジアによって預けられた可愛らしい赤子が穏やかな寝息を立てて眠っている。
私は不意に、その赤子が気になってふわっと身体を浮かせると、給仕の腕の中を覗き込んだ。テレジア譲りなのか幼くともわかる整った顔立ちで将来美しくなるであろう赤子。胸の中でモヤモヤとした何かが疼く中、赤子を抱きしめた給仕が恐る恐るというように口を開く




「テレジア様、その、どなたかいらっしゃるのですか?」




話し声が聞こえたのですが…。そんな彼女の様子にテレジアがコロコロと上品に笑う。




「いいえ。何もないのよ。さあ、アントーニアをこちらに。貴方は下がっていいわ。何かあったら鈴を鳴らすから、それまでは外にいて頂戴な」
「は、はい」




困惑しているが退出する際の所作は美しい。きっと王宮に上がるため努力をし、努力させられ作り上げてきたのだろう。テレジアという、おそらくこの王宮の中でも権力が高そうな彼女付きであるのだから当たり前かもしれないが、私の知っているメイヴのところの給仕はこう、美しくなかった。




「出て行ったわね。…紹介するわティア。この子は私の娘であるマリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。長いからマリア・アントーニアと覚えて頂戴な。」
「ハプスブルク…」
「あら、ハプスブルク家のことは少しご存じなのね。まあ、知らなかったら知らなかったで今までどこに住んでいたのか気になる所ではあるけれど…。」




そっと赤子の髪をなでて彼女は微笑む




「ふふ、この子はね、ちょっと難産だったのよ。他の子どもたちはとても楽な出産だったのに、アントーニアだけ酷く難産だったわ。生まれる前からお転婆なんですもの。将来がちょっと不安ね。」




ねえ、アントーニア?

優しく、子を想う母の顔でテレジアがそう声をかける。私もその子を良く見ようとテレジアの腕の中を覗き込んだ。


パチっ


青く、青く。どこまでも澄んだ青と視線が絡み合う。その瞳にはしっかりと自分が映っていて、私は思わず顔を上げた。テレジアもそのことに気付いたのか、「まぁ」と声を上げて嬉しそうに口を開く




「アントーニアには貴方が見えているみたいだわティア」
「どうだろう。子供のうちは人より見えるというから…」
「ふふっ。もしも大きくなっても貴方が見えたら、それはそれでうれしいわね」




今日であったばかりの友人があんまりにも楽しそうにそう言うものだから、私も少し笑って「そうだね」とだけ返した。





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bkm






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