「お侍さん、先日はありがとうございました」
ふわっと桜が花咲くように控えめな笑みと手渡される沢庵は確かにいい香りがした。
…いい香りとは何なのか。
沢庵からいい香りがしているのか、それとも目の前の店員からいい香りがしているのか、土方にはわからなかった。ここにもしも自分の同期である少女がいたなら「沢庵から“香り”がするわけないでしょ!!沢庵は“臭い”でしょう!」と叫んだだろうが、
そんなことなど今現在、なぜか胸の動悸が激しい土方は思い浮かばない。
「いや、先日は悪かったな。…見送りをするべきだった。」
そっと目を下に向けて小さくつぶやいた歯切れの悪い言葉を拾い、目の前の少女は「ふふっ」と控えめに笑う。たったそれだけのことに胸の鼓動が早くなり、土方はとっさに心臓を抑え込むように胸を手に当て、低く唸った
「律儀ですね。…お侍さん、お気になさらずに。私はあの時、貴方が助けてくださらなければ“人として誤った”ことを犯していたでしょう。」
「人として…?」
「ええ。ですから、ありがとうございます」
そっと微笑むその表情は先程までの、彼の目の前にいたはずの『普通の少女』は消え、【もっと上位の何か】が顔を覗かせる。いま、その変化を口に出せば、彼女という存在がなぜだか消える気がする。
だからこそ彼は彼なりの「どういたしまして」を返すことにした
「…そうか、じゃあ、コレは受け取っとく。…なあ」
「?」
まるで日本刀を肩に担ぐような恰好で沢庵を持ち上げた土方は左右に瞳をさ迷わせると迷うように口を開く
「俺は、お前のことを何と呼べばいい、いいや、なんと呼んでいい?」
「―――あッ、そう言えば、お話はするのに名を告げていませんでしたね。まあ、未婚の男女が名で呼び合うのも考え物ですから、皆が呼ぶよう、藤と」
藤、藤と。そっと舌で味合うようにゆっくりと咀嚼して飲み込むように転がして、顔を上げる
「では、藤と」
穏やかに笑う土方に目の前の少女は「あっ…」と小さな音を零して目を見開く。
まるで予想外だというような、少し戸惑ったような声音。
黒にも光によっては焦げ茶色にも見える瞳は困惑していて、逃げるように目線をさ迷わせた
「すみません、今日の所はこれで失礼します」
そして
そして、まるで作法のように頭を下げ、逃げるように店内へと駆けこむ姿を土方は見つめるだけしかできなかった。
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