06 恋する彼女

 荒北君が頭を撫ぜた。その事実に心臓が痛いぐらい跳ねて、息が出来ない。大きくて硬い掌と長い指。ポンと触れられた瞬間驚いたけれど、想像以上に優しい感触に心の底から泣きたくなる。
 荒北君が好き。その気持ちが全身から溢れそうで、半分怒りながら去っていく背中を見つめた。皺になっている荒北君のブレザーの背中に病院での出来事を思い出す。多分、百面相をしていたんだと思う。驚いた顔をしている東堂君と、どこか満足そうに笑っている隼人君と友達からの視線に気がついたら、顔から火が出るくらい恥ずかしくなった。
 
「ナマエちゃーん、生きてますかー」
「これは死んだね」
 
 あんまり心配していない声で友達のはるちゃんに肩を叩かれる。ズバッと切り捨てるように、なっちゃんが呟いた。どうしようもないほど赤くなった顔を上げていられるほどメンタルは強くなくて。テーブルに顔を伏せたら、今度はもう顔が上げられなくなった。

「ミョウジさん、大丈夫……じゃなさそうだな」
 
 最悪だ。ラーメンはもう伸びきって美味しくなくなってしまったし、こんなバレバレの反応をしたら、東堂くんにも気付かれてしまった。憐れむような声に泣きたくなる。

「……もう教室に戻りたくない」
「それ以上休むと進学に響くと思うけど」

 なっちゃんの直球に思わず唸れば、隼人君の押し殺した笑い声が聞こえた。

「ナマエが元気そうでよかったよ」
「ミョウジさん、もっとクールなイメージだったんだが、意外だな」

 微妙に気を使われているのか、荒北君の話題に不自然なほど触れない二人の顔が見れない。

「ナマエちゃん、恋愛になるとポンコツなの」
「はるちゃん!?」

 思わず顔を上げれば、ニコニコした視線に囲まれていて。恥ずかしくて片手で顔を隠すように頬杖をついた。必死に口元を引き締めれば、なっちゃんに頬を引っ張られる。

「これ、ニヤつくのを必死に隠してる時のナマエの顔」
「なっちゃん……そういうのほんと、勘弁して」

 綺麗な淡いピンク色に染まった、なっちゃんの指先。ふんわりしたメイクの目元を下げて笑うはるちゃん。二人とも女の子らしくて可愛くて、大好きな友達だけど、東堂君と隼人君がびっくりしているから、そろそろ勘弁して欲しい。二人が意地悪を言う理由はわかってる。もっと早く退院できたのに、迷惑をかけるのが嫌で逃げていたこと、お見舞いに来てくれたのに強がって弱音を吐けなかったこと。荒北君と病院で偶然あって連絡先を教えてもらったことを退院してからしか話さなかったこととか、諸々あって二人には物凄い勢いで怒られた。だから今朝に至っては、寮の部屋を出た瞬間、二人に荷物を奪われて教室に連行された。二人が同じクラスで本当に良かったと思う。怪我の理由とか、嫌になるほどに周りから聞かれる度に二人が自然と庇ってくれるのが嬉しかった。

「ミョウジさん、無理はしないようにな」
「ありがとう、東堂君」
「困る事があれば言えよ」
「うん、隼人君もありがとう」

 二人とも何とも言えない薄笑いを浮かべて、荒北君を追いかけるように食堂を出ていく。隼人君は元々、荒北君君への片思いを知っていたにしても東堂君にも完全にバレたんだろうなと思う。慌てて時間を確認すればお昼休みの時間はそれほど残っていなくて、残りを食べるのは諦めた。箸を下ろせば、はるちゃんが自分のお皿と一瞬に「もう片付けて良い?」と下げてくれた。

「しょうがないなぁ。これでも食べてなさい」

 満たされないお腹をさすっていると、なっちゃんが購買のクリームパンをくれる。ミニチョコクロワッサンは3個。はるちゃんが戻って来るのを待って、2人はミニチョコクロワッサンを食べ始めた。

「ありがとう。美味しさと優しさに泣きそう」
「麺類頼んどいて、いちいち箸止めて後輩の話聞いてるから食べ損ねるんでしょ。後にして、ってはっきり言えばいいの。早く食べないと午後間に合わなくなるよ」

 急かされながら慌ててパンを食べて教室に戻る。当たり前みたいに2人が両側を歩いてくれて、人とぶつかる事もなくスムーズに移動できたけれど、想定していたよりも校内での移動は大変だった。階段も多いし、距離もある。ずっと下ろしたままになっている足は鈍く痛むし、松葉杖はずっと使っていると肩が凝った。
 廊下を歩いていても声は聞こえる。ミョウジ、松葉杖じゃんとか事故ったらしい、とか。もう走れないらしいとか、
 インハイ終わったなとか、可哀想とか。
 いや、怪我が治ったら走れるし……とか思うけれど、いちいち訂正するのも面倒だった。心配してくれる声よりも、興味本位とか少しでも悪意を含む声の方が耳に届きやすいことが空しかった。

「ナマエちゃん、私思ったんだけどね」

 教室で自分の席に座ると、松葉杖をはるちゃんがロッカーの前に立てかけてくれた。一瞬、前の方の席に座っている荒北くんを振り返った後に、ぎゅっと私の首に抱きつく。

「ナマエちゃん、怪我したのは本当に辛いと思うし大変だと思う。でも、せっかく荒北君と仲良くなるチャンスなんだから頑張ろうね」
「……うん」

 とりあえずメロンパンのお礼を考えなきゃダメだよ、なんて囁いていくから、思わず顔が緩んでしまう。次の授業中、黒板を見るふりをして、少し背中を丸めた荒北君の背中を見つめる。一年生の頃、リーゼントも似合ってたなぁなんて、ぼんやりと思った。
 箱根学園の寮に入った日、間違えて案内されたのは男子寮。普通に男子と間違えられた事はショックだったけど、まさか男子寮に案内されているなんて思ってないから、寮の前で荒北君に腕を掴まれたのはびっくりした。

『女子寮はコッチじゃねーよ』

 半分、引きずられるんじゃないかって勢いで腕を掴まれて女子寮の近くまで連れて行ってもらった事は今でも覚えている。初めて見たリーゼントの衝撃と睨まれた目。わざわざ送ってくれた優しさ。入学してから同じクラスだった時は嬉しかった。その頃から、気になっていたなんて口が裂けても荒北君には言えない。ずっと彼の事を見ていた。リーゼントで英語の時間はすぐにいなくなるのに体育の授業はサボっているのは見たことがなかった。運動するのが好きなのかな、バランス感覚も良さそうだし、きっと何かスポーツをしていたんだろうなって勝手に思った。あの頃、私も走る事が楽しくて仕方がなくて、単純に荒北君と一緒に走れたら楽しいだろうって思ってた。陸上部に勧誘したのも本気。
 でも、荒北君はいつのまにか自転車競技部に入っていて、リーゼントもバッサリと切った。入学した頃の刺々しさは少しずつ薄れていって、頑張っている彼を見るのが好きだった。

「でも……最後のインハイだから、きっと忙しいよ」

 今年の夏は荒北君にとって、最後のインターハイが控えている。ロードレースの初心者だった荒北君は、どんどん実力をつけて、いつだってギラギラした目をして前を向いている。それに比べて私は高校二年の頃からタイムは伸び悩んでいて、走る事が段々と嫌になっていた。そんな自分を見られたくないし、知られたくなくて去年はほとんど荒北君とは接していない。元々、私が勝手に話しかけていたのだから、クラスが変わってしまえば接点はほとんどなかった。

「そんな事言ってたら、ナマエちゃん……なんにも始まらないよ」

 はるちゃんの悲しそうな顔に曖昧な笑顔を浮かべて返すのが精一杯。

『最後のインターハイ』

 自分の言葉が跳ね返って、心に突き刺さる。隠れて握りしめたスカートの下には硬いギプス。私だって最後のインターハイなのに、と何度も事故に遭ってから飲み込んだ言葉がお腹の中で澱んでいた。伸びない記録が辛かった。期待に応えられない悔しさに耐えられなくなっていた。だけど、走りたくなかったわけじゃない。

「少し仲良くなれただけでも十分だよ」

 今の私を、あまり荒北君に見て欲しくはない。彼の真っ直ぐな視線は少しの嘘も見落としてはくれなさそうだから。
 ずっと荒北君が、好きだった。だからこそ、同情なんてされたくはない。走れない私を見て欲しくない。だって、本当は泣き出したい不安定な気持ちを隠して、へらへらと笑う今の自分の事は私自身、あまり好きではないのだから。
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