02 見上げる彼女

「だから、なんともねーって!」
「駄目だ。さっきから左手を気にしているだろう。荒北も病院に行け」

 ぶっ倒れた一年を念のため病院に連れていくという顧問の車に乗っていけと東堂が繰り返す。相変わらずめざといヤツ。いい加減うんざりしてきた所で福チャンに不意打ちで左手首を掴まれて、思わず「イテェ!」と声をあげてしまった。ヤベェと思った時にはもう遅い。東堂の視線が痛い。

「ほら見ろ。やっぱり痛めてるだろう」
「荒北、東堂の言う通りだ。病院に行け」
「ったく、わかったヨ」
「靖友は寿一の言うことには素直に聞くんだな」
「ウルセー!」

 ネチネチと小言を言い続ける東堂と揚げ足をとってくる新開を無視して、福チャンの言葉には従う。半ば押し込まれるように顧問の車に乗り込めば、すぐに麓にある総合病院へ向かって走り出した。後部座席に乗っていた一年の顔色は戻っていて「オレのせいでご迷惑をおかけしました」と小さくなっている。ぶっ倒れるまでヤンナ、とだけ釘を刺せば「荒北がそれを言うか?」と顧問が笑った。ロードレースを始めたばかりの頃を思い出して、ぶっ倒れるまでローラーを回し続けた事がどこか懐かしい。
 結局、病院で左手首の捻挫を指摘され、折れてなきゃなんともネーヨと思いながら湿布と包帯で固定された手を握りしめれば鈍い痛みが走る。顧問の話によれば一年はどうやら点滴をしているらしく、ロビーにぼんやりと座って待つのも退屈で、とりあえず院内にコンビニがあるらしいのでペプシを買いに向かった。病院という場所は色々な匂いが混ざるし消毒臭くて昔から嫌いだ。

「……荒北君?」

並んだ飲料水の中から見慣れたラベルを探していると不意に女の声で名前を呼ばれて振り返る。

「ミョウジ?」
「箱学のサイジャー見つけて追いかけてきちゃった。やっぱり荒北君だった」

 なんでこんな所に、という言葉は口にできなかった。振り返れば確かにミョウジナマエがそこにいたが、視線を落とせばショートパンツから覗く右足には膝下から足背までギプスがはまり、ミョウジは車椅子に乗っていた。一瞬、予想していなかった姿に息を飲んだが、苦笑いを浮かべているミョウジに「なんで」とは口に出せず。部活用の黒いシャツに書かれた最速王の文字に反応するしかなかった。

「Tシャツ、ダセェ」
「開口一番、言うことがそれってひどくない?荒北君、こんな所で何やってるの……あ、左手怪我した?」
「軽い捻挫。大したことねーヨ。福ちゃんと東堂が病院行けってウルセーから来た。今は熱中症でひっくり返った一年の点滴待ち」
「福富君が行けって言ったからでしょ。東堂君だけが言ったって荒北君は聞かないよね」
「ウッセー。ほっとけ」

 ペプシを見つけてからミョウジに視線を落とせば、飲料水の棚を見上げていて。視線の先にはオレンジとグレープフルーツのジュース。ペプシを取るついでに、どっち?と聞けば一瞬驚いた顔をしたミョウジは少し困ったようにオレンジ、と笑った。

「点滴待ちって事は、暇って事だよね?ちょっと付き合ってくれないかなぁ」

 暇すぎて、と小さく溜息をつかれれば頷くしかできず。微妙に強引な所は一年の頃を思い出させてどこか懐かしい。去年はほとんど接点がなかった割に、こうして接していても違和感はなかった。ミョウジは背後にいた看護師と何時までに病棟に戻るとか、どこまでなら行ってもいいとか、会計の間にいくつかやり取りをする。コンビニを出ると看護師がオレに頭を下げてからミョウジに手を振り、去っていった。

「荒北君に会ってびっくりしたよ」
「それ、こっちのセリフ」

 器用に自分で車椅子の向きを変えるとコンビニの隣の出口へと向かう。押してやった方がいいのか分からず、とりあえず膝の上からこぼれ落ちそうになっている菓子とジュースの袋を持てば、ミョウジは嬉しそうに笑った。痛々しいギプス姿と浮かべる笑顔が不釣り合いで、反応に困る。とりあえず先導されるがままについていけば、どうやら軽食を食べたり、面会ができるフリースペースになっているらしい。休憩中の職員も混じっていて、所々に色々な服装の人間が散っているが、その中でも「最速王」Tシャツの車椅子のミョウジと、思いっきり箱根学園自転車競技部と書かれたサイクルジャージを着ているオレ達は浮いていた。
 窓際に器用に車椅子を寄せたミョウジと小さなテーブルを挟んで向かいあって座る。右手首に嵌められた白いリストバンドは入院している証だし、面と向かえば足の怪我について触れないなど無理がある。ミョウジはしばらくオレの顔を無言で見ていたが、ふっと目を細めて申し訳なさそうに視線を伏せた。

「荒北君、すごく困った顔してる。ごめん、迷惑だよね」
「別に迷惑じゃねェよ。っつうか……その足ナニ」

 語尾を濁しながら、気まずさに耐えかねてペプシに口をつける。ミョウジは菓子の袋を開けながら、視線を伏せたまま静かに口を開いた。

「春休みに自転車と接触して足首の骨折と靱帯の損傷。派手にねじ曲がっちゃって手術だったの」
「……痛みはまだあるのかヨ」
「だいぶ平気。ずっと足を下ろしてると痛くなってくるけどね」

 机の上のチョコレート菓子を1つ摘まんで口に入れると、ミョウジは窓の外をぼんやりと見る。微妙な会話の流れに落ち着かない。掛ける言葉に詰まって居心地が悪い。多分、全部顔に出ているんだろう。申し訳なさそうに「声かけてごめん」とミョウジに謝られると余計に居心地が悪かった。

「入院してるなら入院してるって言えヨ。全然学校来ねェし、家庭の事情とか意味深過ぎるんだヨ!」
「え、入院してるってみんな知らないの?」
「担任は家庭の事情、としか言ってねェよ。っつうか……口止めしてたんじゃねェの?」
「別にそう言うわけじゃないけど。もしかして、うちの親かなぁ。あ、そういえば三年生は荒北君、同じクラスだって聞いた。よろしくね」

 食べて、と勧められてキノコの形をしたチョコレート菓子に手を伸ばす。オレは「たけのこ派なんだヨ」と舌打ちをすれば、ミョウジは小さく噴き出すと「ごめん、私はキノコ派だから」と笑った。
 
「私、スポーツ推薦だったから。もしかして親が怪我の事、隠したかったのかな。学校に行けばバレるのに」
「まだ退院できねェの?」

 痛むのか、ミョウジはゆっくりと右足を擦る。相変わらず視線は遠くを見ていた。

「松葉杖がもう少しうまくなったら、かな。本当だったらもう退院してもいいんだけど、寮だからみんなに迷惑かけられないし。実家に帰っても学校まで毎日送り迎えとか無理だし。なんか色々……病院にいる方が楽なのもあって」

 小さく溜息をついて頬杖をついたミョウジは複雑な表情をしていて。どこか遠くに行きたいなぁ、なんて呟いた言葉は本音なのか、冗談なのか。どこか投げやりな声色に一年の頃、オレにドストレートな発言ぶちかましてきたミョウジの姿が脳裏をチラつく。部活の話も、陸上の話も一言さえ口にしないミョウジが腹立たしい。呼び止めたのは愚痴りたかったんじゃねえのと思う反面、愚痴れるほどの関係性もない自分が空しくなった。

「ミョウジァ、スマホ出せ」

 連絡先教えろ、と言えばミョウジは少し驚いた顔をして、服のポケットを探すと見つからなかったらしく「病室に置いてきた。ごめん」と眉を下げる。舌打ちをして、とりあえず周りを見渡す。隣のテーブルに座っていた白衣の医者の胸ポケットにペンが刺さっているのを見つけて声をかける。

「サーセン、なんか書くモノ借してください」

 ボールペンと水性ペンを差し出されて、水性ペンを借りる。とりあえず、キノコのついたパッケージの上に電話番号とアドレスを書いて、ミョウジに押し付ける。医者に礼を言ってペンを返せば、なぜか「頑張れ」と口が声を出さずに動いていた。別にそういう意味じゃねぇよ、と見知らぬ医者に頭を下げながらも内心悪態をつく。

「アキチャン?」
「うちの実家の犬だヨ。っつうか、お前あとで絶対連絡しろ」
「連絡していいの?」
「駄目なら教えねーヨ。暇だったら差し入れぐらい持ってきてやる。どーせ、ヒマなんだろ。オレも今週は部活行けねェし」

 左手首をプラプラさせながら医者と顧問に5日間の部活休みを言い渡された、と言ってからヤベェと思っても、もう遅い。部活の話はミョウジが避けていたのに。オレはほんの少しの手首の安静だが、ミョウジは違う。
 陸上部のスプリンターで去年もインターハイ出場。表彰台には届かないが全国15位。支所大会は当然この怪我じゃ出れねェし、学校でミョウジのケガの話が話題にならないのは走れねェ事実がミョウジにとって重要な意味を持っているから。

「……悪リィ」

 大きく見開いた瞳が何度か悔しそうに歪んだのを見て、自分の無神経さに腹が立つ。怪我で夢が潰れる悔しさは死ぬほど味わったはずなのに。

「嬉しい」
「アァ?」

 泣くと思った。けれどミョウジは一度俯いた後、顔を上げると笑った。目は泣きそうでも、明らかに作った笑顔でも、確かに笑っていた。

「一年の時、本当は荒北君ともっと仲良くしたかったから」

 嘘か、誤魔化しか、気を使ったのか。真意はわからなかったがミョウジはオレの謝罪には一切触れる事なく、指先でペン書きの文字をなぞる。その後、病室に戻る時間が来て、ミョウジとはエレベーターの前で別れて「またね」と手を振った背中を見送った。噛み締めた奥歯がギシリ、と鳴る。頭の奥底でリーゼントだった頃のオレに「バァカ」となじられた気がした。
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