19 彼と彼女の体温

 荒北君が語るインターハイの記憶。熱を帯びた声も、時々浮かぶ笑みも、けれど叶わず遠くを見る瞳も。荒北君の全部を抱きしめて、心に刻む。
 話すのは得意じゃネェから、と面倒そうに溜息をつく癖に、目を閉じればインターハイの熱気すら感じさせる言葉で荒北君は語った。
 
 30分で語り尽くせるほど、インターハイは簡単なモノじゃない。けれど、荒北君がいつのまにかかけていたスマホのアラームが鳴って、終わりを強制的に告げる。

「30分経ったンだけど?」
「……まだ戻りたくない」
「ア?点呼に間に合わなくなンだろ」

 ぎゅっと背中に回した腕に力を入れたのに、荒北君に簡単に引き剥がされてしまって、片手で距離をとられる。額を勢いよく指で弾かれて、顔を上げれば目の前の荒北君はいつも通りの表情。

「ナニ。今日はワガママじゃナァイ」

 鼻で笑った荒北君の顔が一瞬、近づいたから。キスをするんだと思って目を閉じたのに。触れたのは鼻先が掠めたのと、コツンと当てられた額。荒北君はよく頭突きをするけれど、時々こうやって優しく額を合わせてくれる。どこか猫みたいな仕草が好きで、癖のない髪にそっと触れれば指先を黒髪が滑り落ちた。

「……もう、こんなバカな事すンなヨ」

 額を離した荒北君に不意に押されて、床に転がる。男子寮に忍び込んだ事を咎めるみたいに、両手首を掴まれて押し倒されれば、積み上げた教科書やノートの雪崩がおきた。
 一瞬、息を呑んだ事を察した荒北君は鼻で笑うと、そのまま私の髪をくしゃくしゃに触ったかと思えば、欠伸を噛み殺す。

「っつーかさ、ミョウジどうやって戻ンの」
「え?」

 入ってくる時は陸上部の仲間に隠れてきたけれど、戻り方は何も考えていなくて。慌てて飛び起きれば、荒北君は呆れ顔。

「ったく、手間かけさせンなヨ」

 洗濯物の山から引っ張り出されたのは箱根学園自転車競技部のジャージ。インターハイの後から洗濯に出していないという代物を、無理矢理着せられればブカブカで袖が余った。汗の匂いがするタオルを頭の上から被せられて、手を引かれて立ち上がる。

「……荒北君、洗濯物はちゃんと出そう?」
「ア?文句あンなら、部屋の外に置き去りにするけどォ」
 
 いつもより足早に歩く荒北君に手首を掴まれたまま、歩いているうちに気がつけば外に出ていた。女子寮の近くまで来ると、荒北君は乱暴に頭の上に乗せていたタオルを奪い取って、溜息をつく。
 なぜだか不意に思い出すのは、高校入学前の春休み。間違えて男子寮に案内された私を女子寮まで連れて行ってくれたのは荒北君だった。

「ミョウジ、何ニヤけてンの?」
「……昔もこんな事あったなぁって思って」
「あー、ンな事あったナァ」

 私の中の大切な思い出。不意に口角を上げて笑った荒北君の反応に、彼の記憶の中に自分は残っているのかと思うと頬が緩む。
 差し出された手を思わず握れば「バッカ!ちげーよ、ジャージ返せって言ってンだよ!」と怒鳴られる。いつの間にか雨は止んでいて、虫の声が夜の空気を震わせた。少しでも一緒にいたくて、名残惜しい。
 着させてもらった荒北君のジャージをゆっくりと脱げば、気の短い荒北君が強引にチャックを開けて、奪いとられる。

「ミョウジ」

 いつもより優しい声に聞こえたのは、私の勘違いかもしれないけれど。チュ、と軽いリップ音が首筋に触れて思わず飛び上がれば、荒北君は目を細めて満足そうに笑った。

「男子寮にもう迷い込むナヨ」
「……荒北君も覚えていてくれた?」

 桜が舞い散る春の日に。男子寮へと間違って案内された私を見つけて、女子寮まで連れて行ってくれたのは荒北君だった。怒りながら面倒くさそうに、舌打ちをする彼は、ずっと優しい人だった。
 
「明日はミョウジナマエのインハイの話、聴かせろヨ」
「……まだ、荒北君の話聞き足りない」
「ワガママか!」

 呆れたみたいに目を細める荒北君を引き留めるみたいに、指を絡める。振り払われると思ったけれど、ぎゅっと繋ぎ返してくれた優しい感触に、やっぱり面倒見が良いなぁと嬉しくなった。

「明日も会いたい」
「どうせ補習で会うだろ」

 忘れてンの?バカなの?と言いたげな荒北君の反応に自然と頬が緩んでしまう。補習期間が終わったら、夏休みは自宅へと寮生は帰らなければいけないから、一緒にいられる夏の時間はあと、どのくらいあるのだろう。荒北君は横浜だと言っていたから、しばらくは会えなくなってしまう。

「オマエ、今度ロードに乗って見ればァ?話すより、その方が色々わかンだろ」
「じゃあ、乗り方教えてよ」

 約束するみたいに指を絡めて、鼻先が触れるだけのキスをして。私達はお互い、最後の夏を惜しむみたいに繋いだ指先が離せなくて、どちらからかはわからないけれど。
 重ねた唇が離れた瞬間に「やっぱり悔しい」と終わってしまったインターハイへの本音が互いに零れたら、重なった言葉に苦笑して、誤魔化すみたいにもう一度キスをした。

 高校最後の夏。抱えていた片恋が思いがけない形で報われたことも。
全力で、ペダルを踏んで、風を切って先頭を一瞬でも味わった高揚感を語った荒北君の表情も。それでも勝ちを得られなかった悔しさの滲む声も。
 最後のフィールドを走ることすら叶わなかった自分の悔しさと、仲間のおかげでもう一度見ることの出来た景色と合わせて、私は一生忘れないと思った。
 色んな思いを抱えて、精一杯足掻いた最後の夏。誰よりもひたむきに前を向く荒北君の隣で、私も情けない顔は見せられないから、もっと強くなりたいと決意する。
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