09 彼と過ごす時間

 荒北君と付き合っているフリを初めて1週間。部活を急に辞めた事に対する嫌味も、昼休みに遠い場所まで呼び出される事も、教室に押しかけられる事もなくなった。
 たった10分の授業の合間の休み時間。荒北君は律儀に毎回、不機嫌な顔で私の机に座る。それこそ、思わず側にいてもピリついた空気を感じるくらいに荒北君は仏頂面で文字通りの風除けになってくれた。

「番犬っていうか……猛獣に絡まれてるみたいだな」

 苦笑いでそう言ったのは、隣のクラスから荒北君に教科書を借りに来た隼人君で。「アァ?ウッセーんだヨ!」と相変わらず荒北君は歯茎を向いて吠える。そんな横顔を見上げれば、舌打ちと共に「ア?何だヨ」と言いたい事があるなら言えと睨まれた。自分から付き合う振りを提案した責任を感じているのか、荒北君は授業合間の休み時間とお昼やすみは側にいてくれる。
 それは彼氏じゃなくて、ただの用心棒だろう!と東堂君もお腹を抱えて笑っていた。荒北君は「ッセーな!どっちでもいいだろ!」とまた怒鳴り返していたけれど、彼が隣にいてくれるならどちらでも構わなかった。
 何より一番、お昼やすみが穏やかで。元々、誰かと一緒な事に荒北君は執着しない。「腹一杯になれば別になんでもいい」という割には福富君達と過ごす時は嬉しそうに見えたけれど、余計な事を言うと怒られそうだから黙っている。
 向けられる感情が好意でも悪意でも、どちらにしても自分がしんどい時に逃げ場がないのは本当は苦しかった。逃げ出したくても、その場から駆けるだけの足もない。かけられる言葉に反論する勇気も飲み込むだけの気力もなく、ただ曖昧に笑って避けるくらいしか対処出来なかった自分が情けなかった。

『風除けになってやる』

 荒北君の提案には心底驚いたけれど、迷惑はかけたくないと思ったはずなのに。だけど、甘えてしまったのはほんの少しの打算がなかったわけじゃない。彼が気にかけてくれている事実。それを突っぱねられるほど強くもなければ、差し出された手を振り払えるほどの根性もなく、拗らせた片思いが欲をだした。

「ミョウジァ、おまえって意外とよく食うよなァ」
 
 今日のお昼はチャーシューメン。荒北君も同じものを頼んでいたけれど、彼は大盛で私は普通。けれど、ラーメンに加えて唐揚げを3個追加で頼んでしまった。荒北君の大盛りライスの上に、そっと無言で唐揚げを1つ乗せたのは悪あがき。まだ食べ始める前で良かった。

「ア?」
「風除け代」
「安すぎィ」

 鼻で笑う癖に大きな口で唐揚げを食べると、嬉しそうに目を細める。美味しそうに食べてくれるならいいや、とラーメンに手をつければなぜか荒北君の視線が気になる。汁でも飛ばしたかな、と思えば目が合った瞬間になぜか逸らされた。

「まさかチャーシューも寄越せって事?」
「ハァ?誰もンな事、言ってねーよ!」

 バァカ!と言われて、ひどい!と言い返せば周りの人達が笑っていて。付き合ってるって本当なんだね、なんて話す声が聞こえてきて、思わず恥ずかしくて視線を伏せる。
 荒北君も気まずそうに視線を逸らすから、お互い黙ってラーメンを食べた。学食で伸びてないラーメンを食べる幸せを噛み締めながら、最後に残しておいた唐揚げに箸を伸ばせば目の前から伸びた箸に横取りされる。

「ちょっ、ひどい!最後に取っておいたのに!」
「あ?ケチくせーこと言うな」
「1個あげたのに!最後のとるなんてひどい!」

 抗議すればなぜか荒北君はニヤッと笑うと大きな口で唐揚げを食べると残っていたご飯を綺麗に食べた。完全に遊ばれている、と思いながらも最後に取っておいた1番大きな唐揚げを取られて悔しがっていると、なぜか荒北君は満足そうに笑う。空になったラーメンの器をトレイに乗せて、私の分まで片付けてくれる背中を見つめていると不意に背中が重くなった。

「ナマエちゃん、幸せそうだね。見てるこっちがニヤつくわ。グラウンドが恋人だったナマエちゃんが彼氏と学食で楽しいランチとか、ちょっと泣ける」

 背後から抱きついてきたはるちゃんに耳元で囁かれて、思わず「振りだけどね」と小さく自嘲すれば後頭部にそのまま頭突きされた。

「そこはさ、このチャンスを掴む努力しよ?唐揚げの2個や3個ぐらい笑顔で差し出しなよ」
「もうそれ、全部じゃん。ねぇ、どこで見てたの?」
「斜め後ろのテーブルで見守ってた。っていうか、何気に荒北君って優しいね」
「荒北君は元々優しいもん」

 返却口からテーブルの隙間をすり抜けて歩く荒北君が何度か他の男子に捕まる。その度に時々視線がこちらを向いては何か荒北君が抗議しているようだった。はるちゃんが愛想良く、私の手を掴んで振ったりするから、荒北君の口が「バァカ!」と言いたげに歪んでいた。

「荒北君にキレられるの嫌だから、先に教室戻るね」
「ちょっと、はるちゃん!置いていかないで」

 逃げようとする、はるちゃんの袖を掴もうとしたけれど一瞬で逃げられた。怖い顔でズンズンと私のテーブルに戻ってきた荒北君は少しだけ顔を赤くして「手とか振ってんじゃネーヨ!やりすぎだ、バァカ!」と声を潜めて私に文句を言う。
 色々と言いたい事はあったけれど、荒北君を引き留めていた男子の顔がニヤついているのを見て、思わず謝ってしまう。それでも、教室まで一緒に戻ってくれる所はやっぱり優しい。

「そういえば、明日は病院行くから学校遅刻するね。多分、ギプス取ってもらえると思う」
「へー、そりゃ良かったネ」
「そしたら、少し体重かけたりとかリハビリも増える」
「そーかヨ」

 素気ない返事が背後から聞こえて思わず振り返れば、「前向いて歩け、バァカ!」と怒鳴られた。でも、松葉杖で階段を登る時、荒北君は絶対1段後ろにいてくれる。逆に階段を降りる時は少し前を歩いてくれる。しかも、いつもブレザーのポケットに手を入れている事が多いくせに、私と一緒にいる時は両手を出してくれている事に最近気がついた。
 一瞬、ふらつくと大きな手が背中に少しだけ触れて支えてくれる。きっと言われたくないと思うから荒北君には言えないけれど、彼の無言の優しさが嬉しかった。もしかしたら無意識なのかもしれないし、故意なのかはわからない。


 次の日、病院でギプスは外れて傷だらけの足を久しぶりに見た。1ヶ月のギプス生活のおかげで筋肉の削げ落ちた足は左右でふくらはぎの太さが変わっていて。
 体重の1/3までは荷重をかけても良いと許可をもらって、体重計の上で何度も感覚を体に覚えさせる。恐怖心はあるけれど、もう痛みは感じなかった。

「ナマエ、部活辞めたんだってね」
「ごめん。相談もせずに勝手に決めて」

 病院の待合室で会計を待っていると、お母さんが私の足を撫ぜながら静かに目を伏せた。悲しそうな、安堵したような複雑な表情に胸がチクリと痛む。
 ギプスが外れて、傷跡の残る足を見た時にもお母さんは泣きそうな顔をしていたけれど、私的には皮膚の下には金属のボルトやプレートが入っている事が不思議に思えて仕方がなかった。

「ナマエがそれで良いなら、いいのよ。お父さんとも話してたの。あなたの怪我は確かにショックだったけれど、私達に謝るあなたを見て、泣かせてあげられなかったって気付いた」

 家から通ってもいいのよ、とお母さんは笑う。部活辞めたならのんびりする時間も出来るじゃない、なんて口ごもりながら。

「部活辞めたけど寮から出なくても良いみたいだから、近いし今のままでもいいよ」
「帰りたくなったら、いつでも帰ってきていいからね」
「うん。ありがと」

 久しぶりに会ったお母さんは、きっと言いたい事も本当は色々あったんだろうけど、深くは追求してこない。

「ナマエ、何かいいことでもあった?」
「え、なんで?」
「だってすごく穏やかな顔してるから。病院にいた時はいつも泣きそうな顔をしているのに、無理して笑ってばかりだったから」

 もっと早く退院は出来たけれど、ダラダラと入院を引き延ばしてしまった事は事実で。「今はもう元気だよ」と曖昧に笑って誤魔化せば、お母さんはそれ以上何も言わなかった。
 学校への登り坂で見かけたロードバイクに乗った箱根学園の制服。白いロードバイクにふわふわした髪を揺らして登っているのは可愛い顔をした男の子だった。追い抜く瞬間、楽しそうに坂を上る笑顔が印象的で、思わず振り返ってしまう。
 思わず窓を開けてしまって、触れた風に体は安易に思い出を蘇らせるからタチが悪い。目を閉じれば、風を切って先頭を走り抜ける快感。安易にまだ想像出来て、未練がまだまだ残っている事を自覚せずにはいられなかった。
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