片恋の相手にジャージを着せた
冷え切った体育館に響くボールの音とバレーシューズのブレーキ音。サーブ練習の不規則な音に混ざって、小柄な女生徒が忙しそうに右へ左へと走り回る。寒さに弱いマネージャーのナマエは普段こっそりと貼るホッカイロを常備するレベルのはずなのに、今日は珍しくも半袖のままだった。「あれ、今日はどうした?寒がりのナマエが珍しいじゃん」
ナマエの足元に転がったバレーボールを壁際へと寄せながら声を掛ければ、ナマエの青白い顔は困ったように眉を下げる。
「実はさっき手を滑らせてドリンク溢しちゃって。上着がベタベタになっちゃってるから洗濯中」
「あー、そういう事ね」
はぁ、と両手を擦るナマエの指先も白い。部員の中にはマネージャーに甘えきっている奴もいないわけではない。普段の練習風景を思い出しても、ドリンクを急かされて、寒さでかじかんだ手を滑らせる光景が目に浮かぶような気がした。
「寒くねーの、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫。動き回ってるから平気!」
青い顔して何強がってんの、と喉まで出かかった言葉を思わず飲み込んだのは、ナマエの視線が「繋げ」の横断幕をまっすぐに見つめていたから。
運動が苦手だと入部当初に話してくれたナマエは確かに体力もなければボールセンスも皆無でバレーボールが好きだという割に女バレに入らなかった理由に思わず納得するレベルだった。
「黒尾も気にしなくていいよ」
動いていれば寒くないから平気、なんて言われても唇が震えているのに気がついてしまったら気になって仕方がない。雑用だったりといくら動き回っていても真冬に半袖で体育館は寒いに決まっている。選手だって体を冷やさないように練習の合間では適度にジャケットを羽織る奴も多い。
「……サイズ考えたら研磨かやっくんか」
このまま青白い顔を見ているのも気が引ける。マネージャーの仕事はそれなりに動き回るし、動きやすさを考えたら比較的小柄な仲間のジャケットが妥当だとは思う。けれど幼馴染の研磨が真冬にジャケットを貸せと言って素直に差し出すとは思わないし、わかっていて言うのも気が引ける。
「……やっくんなら快く貸してくれるよなぁ」
コートの中ではアウトラインぎりぎりを攻めた虎のサーブを綺麗にセッターへ返す頼もしい音駒の守護神が笑っていた。小柄な背中の頼もしさにナマエも目を輝かせていて、なんとなく複雑な心境になる。他意はないし、下心もない。特に深い意味なんてない。
壁際に転がったボールをいくつか反対側のコートへと打ち返して、バッグとジャケットが乱雑に置かれた体育館の隅へと駆ける。いくつも重なって置かれている赤いトラックジャケットの中から自分のジャケットを探して引っ張り出せば、エアーサロンパスと汗の混じった匂いは自分でもツン、と鼻についた。
「……風邪引かれるよりマシか」
運動部の男子高校生の匂いなんて誰しも同じだと言い聞かせ、これは仕方がない事だと謎の言い訳が頭の中をぐるぐると回る。そろそろ試合形式で練習を始めるからマネージャーは得点板の側で立ちっぱなしになってしまう。とりあえず、赤いジャケットを片手に抱えてナマエの側に戻った。
「これ、嫌じゃなければどーぞ」
「え、いいよ!悪いし」
ナマエに半ば押し付けるように差し出した赤いジャケット。ナマエと指先がわずかに触れて、氷のような冷たさに驚き「どんだけ痩せ我慢してんの」と思わず呟いてしまった。
「くせーけど、そこは我慢してください」
「え、そうかな?そんな事ないと思う」
「ちょ、嗅ぐのは勘弁して」
顔を近づけようとしたナマエの頭を押さえて阻止をする。一度迷ったようにオレの顔を見上げたが、素直に袖を通してくれたから本音を言えばホッとした。
「……ありがとう、黒尾。あったかい」
「ん、そりゃどーも」
嬉しそうに安堵した表情で見上げられて、思わず視線を逸らす。大きいだろうと予想はしていたけれど、オレのジャケットを着たナマエは肩の位置も随分と違うから、袖も丈も長すぎて、言いようのない複雑な心境になる。得点板の準備のために走り去ったナマエの後ろ姿は見つめていたいような、目を背けたいような。
「……一枚増えたはずなのに破壊力増すのなんでかねぇ」
うっかりすれば緩む口元。慌てて片手で押さえれば、まるでオレの思考を邪魔するみたいにやっくんのレシーブが綺麗に研磨の元へとあがり、幼馴染の猫目が一瞬だけこちらを捉えた。
「クロ」
小さく名を呼ばれてバックアタックを誘われて。無意識に走り込んで跳べば振り上げた右の掌がボールを撃ち抜く。不意打ちのトスには反応出来ないと思われていたのか、やっくんが少しだけつまらなさそうに「クロ、顔がニヤけてんぞ」なんて笑う。得点板の横でナマエはオレをキラキラした目で見ていて、思わず視線を逸らせば研磨が嫌そうな顔でボソリと呟いた。
「……ヘラヘラしてたから絶対外すと思ったのに」
「ちょ、研磨!」
誰にも話した事はないオレの密かなナマエへの片恋。もしかしてチームメイトには全部筒抜けなんじゃねぇか、なんて思ったけれど必死に緩む口元を引き締めて、視界の中にナマエを入れないように高い天井を見上げる。ドクドクと速くなる鼓動と加速する感情に言い聞かせるように、冷たい空気を思いっきり吸い込んだら、思っていた以上に余裕のない自分を見つけた気がした。