甘くてほろ苦い恋の味

 オレとナマエちゃんが付き合っている事なんて、みんな当たり前に知っていると思っていた。学校でも普通に手を繋ぐし「校内で手を繋ぐのはどうかと思う」ってトウちゃんに真顔で注意された事もあるぐらいだから、ほんの少しも隠すつもりもなかった。だからバレンタインデーもナマエちゃんはいつくれるのかなぁ、なんて前の日から浮かれてしまってなかなか寝付けずにいたくらい、ナマエちゃんから貰う事が大前提になっていた。お昼を一緒に食べる約束をしているから、その時にくれるのかな、なんて思ったら寮から半分寝ぼけた顔で登校しても鼻歌が自然とこぼれるし、1番下段の使いにくい下駄箱に収まりきらないスニーカーを無理やり押し込みながらもニヤけた顔が止まらない。だから、不意に女の子から声を掛けられても、すぐには反応出来なかった。

「……先輩、葦木場先輩!」
「へ?あ、はい」

 上擦った声はナマエちゃんよりも少し高い声。急に名前を呼ばれて慌てて顔をあげれば、視線の先には真っ赤な顔の女の子。誰だっけ、と身に覚えがない子は先輩と呼んだから年下な事には間違いない。目の前に差し出された紙袋に一瞬、動揺すれば今日が何の日か思い出してしまい頭の中が真っ白になった。

「受け取ってください」
「え、オレ?」

 こくん、と小さく頷いた子はオレの前に紙袋を両手で差し出す。小さく震えている手に頭の中は混乱した。

「えっと……誰かに渡せばいいのかな」
「……葦木場先輩に、です」

 女の子が小さな声で呟くと顔がどんどん赤くなって、泣き出しそうな顔になる。あ、これはやばい気がする、と慌てて反射的に両手を突き出してしまった。

「あの、オレ好きな子がいるから‥‥付き合ってる子がいるから!」
「知ってます。受け取ってくれるだけでいいです」
「ちょ、あの、え!?」

 受け取れない、とはっきり言えば良かった。返す言葉に詰まった瞬間、女の子はオレの突き出した右手に紙袋を押しつけると走って逃げていく。受け取ってしまった紙袋を見つめたもののコレは駄目だと瞬間的に思った。
 
「待って!」

 思わず女の子の背中に向かって叫んだけれど、立ち止まってはくれない。スカートを翻して廊下の角を曲がった彼女はどこのクラスの誰なのだろう。


「……どうしよう」

 助けて、純ちゃんと脳内に浮かんだ友達に縋り付きたくても、その存在は物理的に遠い。受け取ってしまった紙袋を片手に右往左往して、その場に思わず座り込む。頭の中に浮かんだのは、ナマエちゃんの冷たい視線。ナマエちゃんは怒るとすぐ顔に出るから、絶対すぐにわかる。それにオレの嘘は大体すぐにバレるから隠し通すなんて絶対無理だ。でも隠す事自体、彼女に対して失礼だとか思えば渡された紙袋を前にどうする事も出来なくて、その場から一歩も動けなくなった。

「拓斗?そんな所に座り込んで何やってるの?」
「ナマエちゃん!?」

 おはよう、と背後から声を掛けられて思わず飛び上がる。思わず後ろ手に紙袋を隠してしまった。見上げる視線にどう答えていいかわからなくて、思わず目を逸らして仕舞えば空気が凍りつくような気がした。

「……今日、バレンタインだもんね」

 声のトーンが一瞬で張り詰めて、小柄な彼女からの見上げる視線が痛い。いつもなら朝から抱きしめて怒られる所なのに、普段よりもずっと低い彼女の声に背中がスッと冷える感覚がした。

「いや、あの急に渡されて」
「でも断らなかったんだよね」
「……好きな子がいるって言ったよ」
「でも受け取ったんでしょ」
「……付き合ってる子がいるって言ったんだけど」

 手の中にある紙袋はオレが受け取ってしまった事実を無言で知らしめていて。段々と語尾が小さくなる情けない自分に落ち込みたくもなる。

「拓斗、早く鞄にしまって」
「でも」
「……受け取ったなら、ちゃんと責任持って。ここだと目立つから早くしまって」 

 ナマエちゃんに急かされて、慌てて鞄の中へ紙袋ごと仕舞う。ナマエちゃんは視線を伏せると「……またお昼の時に話そう」と呟いた。そのまま足早に教室へ向かった彼女を追いかけようとしたけれど、何を言っても言い訳になるような気がして後ろ姿を見送った。誰もいない廊下の隅でこっそりと紙袋の中を確認したら、ナマエちゃんが美味しいと言っていたブランドのチョコレートが入っていて、女の子らしい文字のメッセージカードが添えられていた。
 たった一言、「好きでした」の言葉。名前は書かれていないから、一年生なのか二年生なのかもわからない。けれど、過去形で綴られた言葉は明らかにオレとナマエちゃんが付き合っている事を知っていたし、実際に彼女がいると告げても驚いた顔もしなかった。
 見知らぬ女の子の赤い顔とナマエちゃんの静かに物言いたげな視線が頭の中をぐるぐると回る。重い足取りで教室に向かい、1番後ろの窓際の席へと沈めば、今日に限って一限目から抜き打ちの小テストはあるし、二限目も三限目もぼーっとしすぎて何度も先生に当てられた。その度にバレンタインで浮かれてんなよ!と隣のクラスのナマエちゃんと付き合っている事を知っている周りから揶揄される度に胸がチクリと痛んだ。
 

「ナマエさんからはもう貰ったのかい?」
「……トウちゃん、オレにバレンタインの話はしないで!」
「珍しいね。喧嘩でもしてるのかい?」
「喧嘩の方がよっぽどいいよ」

 お昼時間にいつもの待ち合わせ場所へ向かう前に、せめてものご機嫌取りにと売店でシュークリームを二つ買う。売店の前で鉢合わせたトウちゃんは悪気なく声を掛けてくれたのに余裕がなさすぎるオレは半分八つ当たりみたいに返してしまう。困惑した顔でオレの背中を慰めるみたいに叩いてくれたトウちゃんに「大丈夫だよ、君達は仲が良いから」と言われて半分泣きそうになりながら、ナマエちゃんの待つ階段へと向かった。
 屋上へ続く階段は陽当たりが良くて二月でもポカポカと暖かい。毎日ではないけれど、時々約束をしてナマエちゃんと一緒にお昼ご飯を食べるようになって、そろそろ半年ぐらいになる。いつもなら浮かれて2段飛ばしどころか3段飛ばしで向かうのに、今日は思わず1歩ずつ階段を登ってしまう。動揺しすぎて紙袋を入れた鞄ごと持ってきてしまったオレはやってしまった、と思ったけれどもう遅い。

「拓斗」

 階段の上で膝に頬杖をついているナマエちゃんがオレを見下ろす。声はいつもよりも冷たい音で、表情も固い。思わず無言で駆け寄って、ナマエちゃんの体をぎゅっと抱きしめる。ごめんね、も何だか違う気がして口には出せず、何を言えば良いのかもわからない。ただ、ナマエちゃんの形の良い丸い頭を抱き寄せて、そっと額にキスをした。しばらくそのままされるがままになっていたナマエちゃんが軽くオレの体を押し返して溜息をつく。

「……ナマエちゃん」
「あのね、別に怒ってるわけじゃないから」

 眉間に皺を寄せて、困ったように眉毛を下げたナマエちゃんは小さく深呼吸をすると、鞄の中から紙袋を取り出してオレの前に差し出した。朝、女の子がくれたパッケージと色違い。チラッと中を覗き込めば同じではないけれど似たような箱が入っていた。ナマエちゃんも被ってしまった事に気がついているみたいで苦笑いを浮かべる。コテン、と持たれた体がちょっとだけ甘えてくれているように思えて単純に嬉しい。

「私も拓斗が大好きだよ。好きって言うのって勇気がいるんだよね」
「うん……オレもその気持ちはわかる」

 隣に座る彼女に好きとなかなか言えなくて、年下の真波にまで「葦木場さん、いつまでお友達ごっこしてるんですかぁ?」なんて面と向かって言われたり、付き合うまでのやり取りを思い出せば情けなくて気が遠くなる。

「……手紙入ってた。好きでした、って書いてあってオレとナマエちゃんが付き合ってる事も知ってたみたい」
「知ってる子?」
「わからない。先輩って呼ばれたから年下だと思う」
「拓斗って割ともてるのに全然気がつかないよね。そういうところも好きだけどさ」

 ナマエちゃんはどこか呆れたみたいに笑うとオレの膝の上に紙袋を押し付けた。ナマエちゃんは貰ったチョコレートをどうするのかとか、一切言わなかったけれど、オレは鞄の中に入れたままにしている存在を黙ってはいられなかった。

「このチョコレート、返した方がいいのかな」
「相手わからないのに?」

 痛い所を突かれて、思わず口を閉ざしてしまう。ナマエちゃんは困ったような顔をしたけれど、そっとオレの手を繋いだ。

「渡すのだって勇気がいるんだからね」

 案にそのまま受け取っておくべきだと言われた気がして、けれどそれは聞けなくて。ナマエちゃんはどうして欲しいとかそれ以上は何も言わなくて、ただオレの手をぎゅっと握る。ただ、いつもよりもたくさん口にする「好き」が彼女なりの複雑な感情表現だと思うと、愛しくて寄り添ったまま何度でも聴いていたくなる。

「オレもナマエちゃんの事、大好きだよ」

 声を掛けるだけで緊張して、見ているだけでもドキドキする。そういう気持ちはすごくあったかくて、大切にしたい感情だ。柔らかいピアノの音みたいに少しずつ重なって、気持ちが溶けあった時の幸せをオレはナマエちゃんから教えてもらったんだと思う。

 名前も知らない女の子がくれた「好きでした」の気持ち。応えることは出来ないけれど、オレもその気持ちはすごく良くわかるから、もしもあの子を見つけた時は「ありがとう」と「ごめんね」がちゃんと言える男になりたい。
 高校最後のバレンタイン。お弁当を食べるタイミングをすっかり無くして、オレとナマエちゃんは慌てて並んでシュークリームを食べる。甘くて優しいクリームを指先で拭いながら、ナマエちゃんが伏せた視線の先にある鞄の中に入れた色違いのパッケージに入ったチョコレート。込められた思いはどちらもオレに向けてくれた感情なのだから、甘くてもほろ苦くても誰にも見つからないように、こっそり寮の自室で食べようと思った。
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