眠れない夜、東堂と飲むホットミルク

 長い睫毛に整った顔。寝顔すら綺麗な恋人の顔を見つめながら、どのくらい時間は経ったのだろう。元々、眠りは浅いし寝つきも良い方ではない。特に秋からは手足が冷えやすくて、余計に寝つきが悪くなる。
 久しぶりに泊まりにきてくれた尽八の腕の中で彼の鼓動を聞いていたらウトウトと幸せに眠れそうな予感はしていたのに。上の階の住人が何かを落とした鈍い音で目を開いてしまったら、完全に眠気が遠のいてしまった。

「ナマエ、眠れないのか」

 落ち着かなくて何度も寝返りをうつ。どうにも眠れず、尽八の腕から抜け出すと、するりと伸びた腕に背後から抱きすくめられて驚いた。

「ごめん。起こしちゃった」
「いや。なんとなく離れる気配がしたから眠れないのかと思って」

 どこかあやすみたいに背中を撫ぜてくれる手が暖かい。元々、尽八は子供の頃から規則正しい生活をしているらしくて、寝つきもよければ寝起きもいい。朝もすっきりと目が覚めるし、目覚めた瞬間から爽やかでいつも余裕がある。

「起きるならオレも付き合おう」

 髪を掻き上げて、微笑む尽八の姿は夜中に起こされた人には思えないぐらい落ち着いていて。フローリングのひんやりとした冷たい感触がなければ、思わず顔が緩んでしまっていた。

「1時か。今日は休みだから、のんびりしよう」

 冷えないようにとカーディガンを羽織らせてくれる尽八に促されてリビングに向かう。ソファーにゆっくりと体を沈めると、温度を確かめるみたいに両手を包まれた。

「尽八、先に寝ていいよ?」
「まぁ、たまには夜更かしも悪くない」

 相変わらず冷たい手だな、と苦笑する彼がキッチンに向かうと冷蔵庫を開ける音がして、少し経つと今度は電子レンジの音。戻ってきた尽八がテーブルに置いたのはホットミルクだった。

「あったかい」

 両手でマグカップに触れると暖かくて心地良い。ゆっくりと口をつければ、ほんのりと甘くて自然と体の力が抜けていく。

「普段は寝付けない時、どうしているんだ?」
「音楽聴いたりとか、動画見たり。ベッドの中でゴロゴロしてるけどなかなか眠れなくて」
「そうか。体が冷えやすいのかもしれないが、なかなか眠れないのは辛いな」

 普段よりも落ち着いたトーンでゆっくりと話す尽八の声が心地良い。いつもはもっと賑やかな人なのに、まるでベッドの中にいるみたいで、もっと触れたくなってしまう。無言のまま、少しだけ甘えるみたいに寄り添えば、尽八は察してくれたのか背後からそっと抱きしめてくれた。

「あったかいね」
「ナマエは体温も低いんだろうな。もっと体の温まる物を食べるといい」

 背中から伝わってくる尽八の体温が心地良い。ゆっくりとお腹を撫ぜる長い指は優しくて、ホットミルクと一緒に体の芯から温めてくれるみたいだった。

「だが、寝る前のスマホはダメだ。余計に刺激になる」
「でも、寝られない時間って結構辛くて」
「それなら尚更だな。脳に刺激を与えすぎるのは余計に目が覚める」

 穏やかな声のトーンで語られる正論に、寝られなくて悩んだ事がないんだろうなぁ、なんて思わなかったわけじゃない。けれど、時々耳元で欠伸を噛み殺しながら、この時間に付き合ってくれる尽八の優しさが嬉しい。

「じゃあ、どうすれば良いと思う?」

 少しだけ振り返って尽八の顔を見上げれば、一瞬浮かぶ困惑の色。真剣に考えてくれる優しさに甘えながら、ぴったりと寄り添うと体も心も満たされる。

「そうだな。朝は規則的な時間に起きる」
「うん」
「3食バランスよく食べて、適度に運動する」
「他には?」
「ストレスを溜めない」

 真顔で語る姿に尽八の日常が垣間見えて思わず笑ってしまう。相変わらず真面目というか、きちんとしているというか。

「笑い事じゃないぞ。ナマエは朝、ちゃんと食べないだろう」
「だって、お腹空かないから」

 子供みたいな言い訳に逃げれば、耳もとで特大の溜息。ホットミルクをゆっくりと味わえば、自分が作るよりもずっと美味しかった。

「……よし、わかった」

 体に回されていた尽八の手に、マグカップごと両手を握り込まれる。重なった指先が絡みついてきて、思わず振り返れば、背後からの抱擁が強まった。
 至近距離で伏せた目元にじっと見つめられて、思わず心臓が跳ねる。
 
「一緒に暮らそう」

 耳元で囁かれた甘い声は思ってもいなかった言葉で、思わず目を見開けば尽八は困った顔で笑っていた。

「ホットミルクぐらいなら、オレでも作ってやれるしな」

 尽八に包まれた手の中には甘くて暖かい、幸せの香り。優しく笑う尽八の声を耳元で感じながら静かに頷けば、吸い付くようなキスが首筋に触れた。もう完全に眠気はどこか遠くへ行ってしまって、今夜はもう眠れそうにない。
 眠れなかった深夜の甘い時間。目はすっかり覚めてしまったけれど、夢じゃないことを確かめるみたいに、もう一度マグカップを口元へ運べば、やっぱり幸せの味がした。
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