夏休みに東堂くんの誕生日を祝う話

 8月8日は東堂くんの誕生日。名前に八が入っているから覚えやすいだろう、と明るい笑顔で教えてくれたのはクラス替えをした四月の出来事だった。くじ引きで隣の席になった東堂くんは、白い歯を見せて「良かったら覚えておいてくれ」と照れたように笑った。
 思わず、眩しすぎる笑顔に視線を逸らしてしまって「気が向いたらね」なんて、可愛くない返事をしてしまったのは失敗だったと思う。
 ただのクラスメイトの私が覚えていなくても、東堂くんの誕生日はたくさんの人が覚えている。1.2年生にもファンクラブはあるし、同学年の女子生徒も彼のファンは多い。ロードレースの大会になれば横断幕も掲げられるし、手作りの応援団扇を持った女子生徒がたくさん沿道に並ぶ事を知っている。どう考えても、私一人が覚えていなくたって平気だと思うけれど、なんとなく8月8日が近くなると落ち着かなくなってしまった。
 
 気がつけば、8月8日の当日、私は箱根学園に足を運んでいた。夏休みなのに。バスの定期も切れていたのに。部活でもなく、なんの予定もない癖に、制服を着て学校に向かってしまったのはどうしてだろう。待ち合わせをしているわけでもないのに、どうして学校に来ちゃったんだろう。きっと東堂くんは学校にいる。自転車競技部は夏休み中もほとんど部活で、誕生日も部活なのだと終業式の日に東堂君に教えてもらったから。
 でもいきなり、部活中の所へ突撃出来るわけでもなく、呼び出すのもおかしい。ただのクラスメイトの癖に、私は何をしているのだろう。バス停から降りて坂道を登り、正門に着く頃には汗が額に滲む。日傘はほんの少しだけ太陽を遮ってくれるけれど、35度を超えるような温度の中では焼石に水だった。
 フラフラしながら、何台もロードバイクが通り過ぎる度に足を止めて振り返ってしまう。通り過ぎるのは一瞬なのに、東堂くんではないとわかる度に溜息が出てしまう。彼のロードバイクは白くて綺麗だ。赤い文字が目を引き、音もなく気がついた時には視界から消えてしまう。その一瞬に目を奪われる女子生徒が一体、どれだけの数がこの学校の中にいるのだろう。

「ナマエさん?」

 聞きなれた声、よく通る声、ブレーキの音もなく、気がついた時には真後ろに人の気配。振り返れば、白いリドレーに跨っていたのは東堂くんだった。ロードバイクの名前なんて知らない。唯一覚えたのは、東堂くんの白くて綺麗なバイクはリドレーという名前らしい。

「ナマエさん、今日は部活なのか?」
「あ、えーっと、そういうわけじゃないけど」
「それなら何か忘れ物か?さては課題でも置きっぱなしににしたのか」

 柔らかく笑った東堂くんの笑顔を久しぶりに見た。太陽みたいに明るくて、澄んだ空みたいに爽やかな笑顔。額に滲む汗を指先で払うと涼しい笑顔とは裏腹に飛び散った汗は驚くような量だった。

「東堂!テメェサボってんじゃねーヨ!」

 綺麗なチェレステカラーのロードバイクと一緒に通り過ぎたのは去年同じクラスだった荒北で。怒鳴り声と一緒に一瞬で通り過ぎていくから思わず笑ってしまった。

「荒北がうるさくてすまないな。ナマエさんも暑いから気をつけて」
「うん、あの……東堂くんも部活頑張ってね」
「もちろんだ」
 
 東堂くんは白いリドレーのペダルに足をかけて、そのまま踏み込もうとする。思わず、このまま音もなく通り過ぎるのだろうと思ったら、無意識に一歩距離を詰めてしまった。

「ごめん!東堂くん。これ、もらって」

 白いリドレーの行く手を塞いで、慌ててカバンの中から紙袋を取り出す。

「誕生日おめでとう、東堂くん」

 紙袋の中身は悩みに悩んで買った無難なスポーツタオル。大した物でもないのにわざわざ夏休みに学校に来てまで渡している事実がひどく恥ずかしい。

「……ナマエさん、わざわざこの為に?」

 東堂くんは切れ長の瞳を伏せると紙袋をすぐに受け取ってくれた。涼しい表情からは感情が読み取れなくて、思わず恥ずかしくて早口になってしまう。

「だって8の日って言ってたから。尽八の8だからって言ったじゃない?思い出しちゃって」
「……覚えていたのか」

 だって、覚えておいてくれと言ったのは東堂くんだよ、とは言えるわけもなく。
 
「大した物じゃないけど、良かったら……どうぞ」
「いや、嬉しいよ。ありがとう」

 柔らかく微笑んだ表情に、思わず顔が緩んでしまいそうになって。ただもう、ありがとうの一言に嬉しくなってしまったから、その場から早く逃げ出したくなった。

「じゃあ、あの!部活頑張ってね」

 背中を向けて、歩いてきた坂道を下ろうと歩き出す。自然と足取りが軽いような気がするのは、東堂くんがサラリとプレゼントを受け取ってくれたからかもしれない。ただのクラスメイトの癖に、わざわざ夏休みに学校まで来るとか、深読みされたくないし、出来るだけ長居はしたくない。何かを望んでいるわけじゃないし、何かを期待したわけでもない。

「ナマエさん、この後の用事は?」
「別に、特に何も」

 間違えた。用事がないとか言ったら、東堂くんの誕生日プレゼントを渡しに来ただけだと言っているようなもので。思わず、ポロリと答えてしまった自分の単純さに空しくなる。

「あと1時間だけ待っていてくれないか。バス停の前のファミレスがあるだろう?今日はもうすぐ部活が終わるから。もちろん無理にとは言わない。もし、ナマエさんが良かったらなんだが」

 帰る、って言うつもりだった。バスの時間があるからと。けれど、頭の中で思い描いた言葉とは裏腹に無意識に頷いてしまったのは自分でも驚いた。

「そうか!終わり次第、すぐに行くから待っていてくれ!」

 約束だ、と東堂くんが口角を上げた瞬間、風が目の前を通り過ぎる。白いリドレーが音もなく加速して、目の前を通り過ぎると心臓が大きく跳ね上がる。

「……どうしよう」

 遠ざかる背中を見つめながら、一時間後に自分が東堂くんに何を言いたいのか考えてしまう。

『好きです』

 頭の中でグルグル回る四文字以外の言葉を必死に探しながら、約束のファミレスまで早足で歩く。一時間後、サイクルジャージのまま、ファミレスに飛び込んできた東堂くんが満面の笑みを向けてくれた瞬間。やっぱり頭の中は真っ白になった。

「……東堂くん、あのね」
「ナマエさん、すまない!」

 
目の前の席に座ったと思ったら、急に東堂くんが声をあげて立ち上がる。慌てた顔も、耳まで赤くなった表情も、見たことがなくて、多分一生忘れられない衝撃だった。

「……慌ててきたから、財布が部室に置いたままだ」

 口元を片手で隠しながら、真っ赤になった東堂くんが呻いた言葉に一瞬、頭の中がフリーズする。

「すまない。ナマエさんがオレの為に来てくれたのが嬉しくて」

 サイクルジャージを触りながら、スマホも忘れてきたと眉毛を下げた東堂くん。向かいの席に真っ赤になりながら静かに座った彼の照れたような表情に、結局、私の口から無意識に飛び出したのは「好きです」の四文字だった事は言うまでもない。
- 31 -
[*前] | [TEXT] [次#]
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -