社会人の荒北くんが誕生日を祝ってくれる話

「で、結局欲しい物はなんなのォ?」
「荒北くんがくれるなら、何でもいいよ」

 へらり、と笑ったナマエは軽やかな足取りでオレの前を歩く。高いヒールでスキップとか見てるだけでヒヤヒヤするのに人の気も知らねぇで、浮かれた足取りに腹が立つ。毎年、毎年、聞くオレも脳がネェけど、毎年、毎年、同じように何でもイイって言うナマエもどうかしている。

「オマエ、そういう事ばっかり言ってるとマジでそのうち適当なモンにすっからナァ」
「えー、たとえば?」

 何だよ、そのキラキラした瞳。なんか期待してくるのマジでやめてくれナァイ?
 放っておいたら、そのままフラフラとどこかへ行きそうな名前の手を掴んで引き寄せる。調子に乗って腕に絡みついてきたけれど、今日はまぁ、よしとするか。ヒールが高ぇし。転んで泣かれても気分悪いし。

「ベプシとタケノコの里」
「いつもわけてくれないから、それでもいいよ?」
「安上がりな女ァ」

 誕生日なのに仕事の休みもとらねぇし、飯もいつもの居酒屋でいいとか言うし。そのくせ、きっちりお互い定時に仕事終わらせて待ち合わせしているから、結局は似たモノ同志なのかもしれない。

「今日はソッチじゃネーヨ」

 いつもの居酒屋の方角へ向かって歩き出そうとするナマエの手を繋ぎ直す。去年やった指輪はきっちり右手の薬指にハマっていて。指でさすればそこだけ、少しひんやりとしていた。そういえばふざけてやった「何でもお願いを聞いてやる券」の使い方はマジでくだらなかった。
 膝枕、スイーツバイキング、ビアンキに跨った写真を撮らせろ、愛してるって言って欲しい、あと最後の一枚はなんだっけ。

「どこまで行くの?荒北くん」
「ちょっと、ソコまでェ」

 柔らかい手をフニフニと握りながら、時折交わすくだらない会話。クソ暑い時間に手を繋ぐとからしくねぇなぁと思いつつも、今日は誕生日だから仕方がない。

「ナマエ、ほんと欲がないネ」
「そうかなぁ。結構強欲だけど?」

 お願い券なんて使わなくても、して欲しい事は言えばいいし、やりたい事も言えばいいのに。口を開けば荒北くん大好きとかバカの一つ覚えか。

「あー、蝉がウルッセ」
「まぁ、夏だしね」
「オマエみたい。荒北くん、荒北くんギャーギャー五月蝿くて」
「ひどくない!?蝉と一緒!?」
「エッチの時はそうじゃナァイ?必死にしがみついて名前呼んでるとことか」
「……最低!」

 意外と力を込めたナマエの左ストレートを鳩尾に喰らう。真っ赤な顔が可愛いなんて思いながらも、意外と重い一撃に飯の前で良かったと思った。

「馬鹿力か!冗談に決まってンだろーが!」
「言っていい冗談と悪い冗談があるの!お母さんに、教えてもらわなかったの?」

 もう!と怒った顔で頬を膨らませて。そのくせ繋いだ右手は振り払わない所がナマエらしい。なんだかんだ言いながら、ナマエはオレに甘い。ナマエにとって、オレは高校の頃から大好きな荒北くんのままで、少しもその気持ちが欠けることはないと思わせてくれる。大学に入っても、社会人になっても。いい加減「荒北くん」呼びから卒業して欲しいと思いながらも、昔から変わらないデレた顔でオレを荒北くんと呼ぶナマエが好きだった。

「好きな子は虐めたくなるタチだからァ」

 拗ねて膨らんだ頬にワザと音を立ててキスをすれば。真っ赤な風船がみるみる萎む。ナマエほんと、大丈夫?オレに対してチョロすぎるんじゃナァイ?

「……そ、そういうこと言えば私が許すと思ってるんでしょ」
「まぁ、そのニヤけたツラ何とかしてから言い返してネ」

 何年経っても変わらない、ナマエとの関係。歳を重ねて、離れていく恋人同士なんて山ほどいるのに、ナマエは少しもブレたりしねェ。全力でオレのことが好きで、それが真っ直ぐに伝わってくる。時々重くて、けれどそれはもうクセになってるから心地良い。

「オラ、膨れっ面してたらみっともねェぞ」
「荒北くん!?ここは……!!」

 駅から蝉の声を聞きながら歩くこと15分。ナマエの手を引き止めて、立ち止まったのはフレンチのコースが死ぬほど美味いと噂のホテル。その分値段も高くて、予約の段階で何度も今月の食費を考えた。本当は雑誌を見ていたナマエが行ってみたいと言っていたのは1人2万円のコースがある駅の反対側にある別のホテル。「ンな金額払えるか!クソが!」とスマホをベッドに投げたのは数ヶ月前の出来事だった。

「……ここはお一人様、1万2000円のお店では!?」
「オメーもぶち壊す様な事言うな!バァカ!」

 なぜか尻込みするナマエの手を掴んでホテルへと引き摺り込む。マジでクーラーが気持ちいい。最上階にある店へと向かう為にエレベーターへと乗り込んだ。
 赤くなったり、青くなったり、忙しいナマエは目を白黒させてオレの顔を何度も見る。

「荒北くん!なんで!?」
「ア?誕生日だからに決まってんだろーが」
「でも、こんなの聞いてない!」
「言ったらつまんねーもん。そういう右往左往したツラが見たかったんだから、いいんだヨ!」
「でも、荒北くんのお財布空っぽにならない!?」

 心配しているのだろうが、あまりにも失礼な物言いで。思わず脳天にチョップをかませば、ナマエはきゅっと唇を閉じた。

「オイ、こういう時は何て言うかわかンだろ?」

 エレベーターが止まる直前、触れるだけのキスをする。物欲しそうなナマエの唇は「……荒北くん、大好き」と震える声で呟いた。ありがとうとか、他にも言葉はあるだろうに、出てきた言葉はあいも変わらず「荒北くん、大好き」で思わず吹き出してしまった。

「ン、よくできましたァ」

 誕生日おめでとう、と右手を繋ぎ直して薬指の指輪に触れる。今年の誕生日プレゼントはまだ鞄の中。ネックレスだから、本当はメシを食う前に付けてやろうと思ったけれど、大泣きされると困るから、後でゆっくり泣かせてやろうと思った。
 そういや、思い出した。去年の「何でもお願い事を聞いてやる券」の最後の願いごと。

『ずっと一緒にいてね』

 そんなの当たり前なンだヨ、バァカ。
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