いつも欲しいものをくれる 仕事の先輩な東堂さん

 たまには愚痴を吐くこともあるけれど、自分が好きで選んだ仕事に後悔はない。それでもミスをしてしまったり、うまく対応出来なくて誰かに迷惑をかけてしまった時はなかなか立ち直れないし、この仕事向いてないのかな、なんて思ってしまう。別に1人でも立ち直れる。誰かの慰めなんていらないし、自分なりに処理もできる。けれど、やっぱりすぐには切り替えられなくて溜息の一つや二つ、零してしまう時がある。

「なに、ミョウジはよくやっているよ」

 就業時間を終えて、いつもなら定時で帰る事を喜ぶ私が黙ってパソコンに向かう。小さくてもミスはミス。報告書を睨みながらキーボードを叩けば、不意にモニターに影が映った。

「……東堂さん」
「過ちは誰にでもある。ミョウジはそれをちゃんと次に活かすだろう?」
「でも、ミスはミスなので」

 隣のデスクの東堂さんは新人の頃から色々と教えてくれた先輩で。仕事も出来るし、顔も良いし、言葉遣いも丁寧で字も綺麗。ミスの話は知らないと思っていたのに、いつのまに彼の耳にも入ったのだろう。
 穏やかな笑顔で先に帰るスタッフに手を振る東堂さんは綺麗に片付いた隣のデスクに静かに座る。横からモニターを覗き込む瞳は真剣で、一瞬近づいた顔の綺麗さに思わず目を伏せた。
 優しい東堂さんは、いつもフォローに回ってくれる。自由にやれ、思うままにやれ、なんて背中を押してくれるのに、いつだって何かあればすぐに手を貸してくれる優しい人だった。失敗は己の糧に、後悔は次の原動力に。そんな言葉をくれる先輩の真っ直ぐに伸びた背筋に憧れた。

「東堂さん、先にあがってください」
「まぁ、そう邪険にするな」

 寂しいだろう、なんて柔らかく笑う東堂さんの指先がモニターの一箇所を指差す。あぁ、これは彼の癖だ。もう少し、何かが足りないという無言の教え。自分の書いた文字を目で追いながら、頭の中を整理する。
 トン、と軽く叩かれた肩。見た目よりもずっと男らしい東堂さんの手が肩を叩くのは頑張れ、の意味だと思っていたのに。入職して半年が経った頃「違う。頑張りすぎるな、肩の力を抜け」の意図だと苦笑いで訂正された。

「ミョウジ、アイスティーでいいか?」
 
 優しい声で聞いたくせに、東堂さんは返事を待たない。音もなく廊下へと歩いていった面倒見の良い先輩の鞄はデスクに置いたまま。私のキーボードを叩く音だけが虚しく響く、静まり返った空間。

「……手のかかる後輩、なんだろうなぁ」

 思わず溜息をつけば、憧れの東堂さんの優しさに甘えたいような、甘やかされたくなくて突き放されたいような。悔しさを込めて、次は絶対にミスをしない、という意気込みを込めてエンターキーを叩けばデスクの端には冷たいペットボトル。

「違うな。可愛い後輩の間違いだ」

 背後から不意うちの優しい声が耳元をくすぐる。一瞬、頬に触れたさらりとした髪は東堂さんの髪で、長い指先が拳を握りしめた私の右手を優しく開く。

「まぁ、今はそういうことにしておいてくれ」

 右手に乗せられたのは小さなチョコレート。甘すぎない、けれど紅茶と合わせると美味しい、私の1番好きなもの。耳元にはまだ、東堂さんの息遣いが静かに聞こえていて、振り返ったら憧れの先輩との関係が何か変わるかもしれない。けれど、それは今日じゃない。情けない顔は見せたくはない。自分で自分を責めたい日なのに。
 一番認めて欲しい人に、優しく頼って欲しいと囁かれて思わず涙が滲む視界に報告書が歪む。

「ミョウジ、おまえはよく頑張っているよ」

 耳元で繰り返される柔らかい声は脳に直接響いてくるみたい。目を閉じたら、明日からはもっと頑張れる気がして、拳を握りしめたら背後で東堂さんが困ったように笑う。

「……そんなおまえが愛おしい、と言ったら振り返ってくれるか?」

 思いがけない言葉に弾かれて振り返れば。いつもよりもずっと優しい目をした東堂さんの顔。このまま、優しい腕に飛び込みたい衝動を飲み込んで、ゆっくりと大きく深呼吸をする。

「また今度、仕切り直していいですか」

 今日は自分を甘やかさないって決めているので、と絞り出した声は震えてしまって情けなかったけれど。綺麗な顔をした東堂さんが目を丸くして、赤くなっているであろう私の耳に一瞬だけ唇を寄せる。「待て、と言うならいつまでも待とう」と囁いて体を離した東堂さんは、もういつもの頼りになる涼しい顔の先輩に戻っていて。
 私だけが茹で蛸みたいに赤くなっていることが少しだけ悔しくて、明日はもっと頑張ろうと思った。
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