耳打ち 恋人の葦木場君

 
 周りよりも背が高いのは昔からで。少し気を抜くと、話し声が遠くなってしまうから会話を聞き逃すことがよくあった。興味がないわけでも、無視しているわけでもないけれど、物理的に届かない時もある。
 高校時代は天然の一言で片付けられる事も何度かあったけれど、ナマエちゃんと付き合い始めた時にはちゃんと言っておいた。話しかけられて気がつかない時もあるから、人混みとかで話しかける時は合図をして、って。
 手を繋いでいるなら軽く握るとか。電車の中だったりすれば、袖を引くとか。声が届かずにしょんぼりする顔は見たくないから、そんな約束をしたわけだけど、いつの頃からかそれは内緒話の合図になってしまった。

 満員電車で揺られていると不意にナマエちゃんの手がオレの手をキュッと握り返す。何か言いたそうな見上げる視線に気がついて、髪を耳にかけてから身体を屈めた。ガタン、と揺れる電車の中でふらつくナマエちゃんの背中を片手で支えれば、嬉しそうに緩む瞳。ほっとしたように笑うぐらいなら、もっとぺたんこの靴を選んでもいいのに。

「どうしたの?」

 本当は歩きやすいぺたんこの靴が好きなくせに。身長差の事を他人から言われるのが嫌で踵の高い靴ばかり最近は履いている事、気が付かないわけじゃない。

「久しぶりのデート嬉しいなと思って」

 へらりと笑ったと思ったら、寄せた耳元でぽしょりと呟くナマエちゃんの声。わざわざ言わなくても顔に書いてあるから知っているけど、言葉にされるのは嬉しい。

「そうだね。ゆっくり会えるのは三週間ぶりくらい?」
「24日ぶりだよ」

 ナマエちゃんがスマホを取り出してカレンダーのアプリを開く。思いがけないリアルな数字は普段泣き言を言わない彼女なりの寂しさなのかもしれない。
 社会人になって休みがこんなにずれるなんて思わなかったし、少しずつ生まれる生活のずれが価値観の違いに変わる日が来るのかもしれない。電車の扉が開く度に小柄な彼女が流されないように、そっと腕を回す。

「ナマエちゃん、寂しい時はちゃんと電話してよ」
「うん。でも、情けないとこは見られたくないし」

 踵のある靴で背筋を伸ばして。そのくせ、耳打ちが好きで優しく耳元で囁けば口元がすぐに緩んで耳まで赤くなる。甘えたがりのくせに、強がるナマエちゃんはオレをもっと頼りにしてくれればいいのに。

「……オレって頼りない?」
「え、急にどうしたの?」

 不規則に揺れる電車の中はふわふわして。しっかり二の足で立っているのに、どこか不安定な気持ちになるのは、ナマエちゃんはオレが思うほどは頼りにしてくれないからだろうか。
 
「待ち合わせの改札間違えるし、約束の時間寝過ごすし。メッセージ送ってもらっても気がつくのに半日かかるし」
「あ、まぁ拓斗だから普通だと思ってるけど」

 思いつくだけでも割と最低かもしれない。ユキちゃんには少し前にその話をした時に「おまえだから許されてんだろ。フツーの男なら今頃最低!って言われてとっくに振られてんだよ!」って怒られた事を思い出した。

「……オレ、頑張るよ」
「え、何を?パンダ見るのに並ぶのを?」
 
 今日のデートは動物園。突然パンダが見たいと言い出したナマエちゃんは不思議そうな顔をする。オレ、知ってるんだけどね。疲れたり、癒されたい時にナマエちゃんが動物見たり、触りたくなること。

「まぁ、それも頑張るけどさ」

 ナマエちゃんが髪をかき上げると揺れていたイヤリングが髪に引っかかってぽろりと外れる。襟元に落ちたイヤリングを指先で摘まんでナマエちゃんの顔の前で揺らせば、ほっとした表情が浮かんだ。
 多分、小さな事でもいいんだろう。不意打ちで外れたイヤリングを拾ってあげられる距離にいたいし、疲れて座り込んだら迎えに行ける関係でいたい。
 イヤリングで少し赤くなった耳朶を指先で擦れば、ふにふにと柔らかい感触。目的地までの距離を確認すれば、あと5駅くらいだった。

「……ナマエちゃん、オレと一緒に暮らさない?」

 触れていた耳朶から指を離して、そっと唇を近付けて小さな声で囁く。扉の前に立つ彼女はオレの片腕の中にいるから、どんな顔をしていても誰からも見られたりはしない。目を丸くして、金魚みたいに口をパクパクさせる姿に思わず吹き出してしまいながら、赤くなった耳元にもう一度囁く。

「オレと一緒に暮らそうよ」

 本当は甘く噛みたい衝動を飲み込んで、ナマエちゃんの耳朶にほんの一瞬、唇を掠める。繋いだ手にぎゅっと力が籠ったから、返事をくれると思って顔を寄せたら何故か耳を引っ張られた。

「ナマエちゃん、痛い」
「……なんで、こういうとこで言うの」

 真っ赤になったナマエちゃんは多分怒っているんだろうけれど、滲み出る嬉しさが顔に出ているから多分拒否はされないんだと思う。目的地まで、ふわふわ揺れる足元を少しでも固めておきたくて。踵のある靴でふらふらしているナマエちゃんを支えてあげたくて。

「だって、ナマエちゃんと一緒にいたいから」

 甘く、優しく、繰り返す耳打ち。卑怯かもしれないけれど、1番コレが君に効くお願い方法だって知っているからオレはナマエちゃんが頷いてくれるまで、やめるつもりはないんだけどね。
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