銅橋との初キスまでは6ヶ月
高校生の初キスは大体付き合って1ヶ月が目安だなんて最初に言い出した奴はどこの誰だ。そいつに聞いてやりたい。その数字はどこから出して何調べなのか。統計とったのか、リアルな声は聞いたのか。
「銅橋君、私達って付き合ってそろそろ半年だよね」
ミョウジが何を言いたいのかわからないほど鈍いわけじゃない。潤んだ瞳に見上げられてその気にならないわけじゃない。
艶々とした唇は物言いたげに薄く開いてオレを見上げる。精一杯背伸びするミョウジを宥めるみたいに肩を押さえれば、不満げな顔をされて気まずさに視線を逸らす。
「だから、学校はダメだって言ってんだろ」
「じゃあ。どこならいいの?」
泣き出しそうな顔でミョウジがオレを見上げるから、なんて言うのは情けない男の言い訳で。左腕を遠慮がちに掴むミョウジの視線に耐えかねてボソリと呟いてしまった。
「……どっか人のいない他の場所」
付き合い始めて約6ヶ月。一瞬、黙ったミョウジとの間に気まずい空気が流れた。寮に入っているのもオレだし、部活が忙しくて放課後も週末も遊んでやれないのはオレの方なのに。言い訳みたいな言葉を口にした事を後悔して思わず頭を掻きむしれば、ミョウジは数秒の沈黙の後、覚悟を決めたように制服の肘を引っ張った。
「じゃあ日曜日、私の家で一緒にテスト勉強しよ?」
駄目?とオレを見上げる遠慮がちな上目遣い。オマエ、それこの流れで言うかよ、と思いながらも精一杯の勇気で一方的に繋がれた小指を振り払えるわけもなかった。
人の良さそうな笑顔が良く似たミョウジの両親の顔が脳裏をよぎる。初めてミョウジ家に行ったのは付き合い始めて1ヶ月くらいの頃。弁当を何度も作ってもらっている手前、挨拶くらいはしておこうと似合わないケーキを持参すれば妙に歓迎されたことは衝撃だった。
泉田さんみたいに礼儀正しいわけでもなく、真波みたいに人あたりがいいわけでもなく。無骨で無駄にでかいオレみたいなのが娘の彼氏で嫌じゃねぇんだろうかと思ったけれど、直接聞くわけにもいかなかった。
下手したらオレが出場するレースに家族全員で観に来ようとする不思議なミョウジの家族。
場所の選択間違えてねぇかと思わない訳でもなかったが何を言っても自分の首を絞めるだけだから、もう黙っていたほうがいい。
付き合い始めて6ヶ月。これまで全くきっかけがなかったわけじゃない。なんとなく良い雰囲気になり、後少しでキスをする的な空気になるとなぜか邪魔が入る。7割は真波のせいで残りの3割はその他諸々が原因でオレは学校内、および箱根学園の敷地内では絶対にキスはしないと心に誓うようになったのはいつ頃からだろう。
ミョウジの家は学校からロードバイクなら20分程度。あれこれと思い悩むうちに、約束の週末がやってきた。菓子折り片手にインターホンを鳴らせば、ミョウジがリビングのカーテンを開けて手を振っていた。
ロードバイクを担いで階段を上れば、玄関から出てきたのはミョウジの両親だった。
「お久しぶりです」
「銅橋君、いらっしゃい。今日はお夕飯食べていける?」
「あ、いや。テスト前なんで寮に戻ります」
「ナマエの我儘に付き合わせてごめんな。今度、またレースがある時は教えてくれよ」
にこやかに歓迎される事も、楽しみにしてるからなんて親父さんに背中を叩かれる事も。どこかくすぐったくて曖昧な笑みを浮かべてしまう。
そのままオレに手を振ったかと思えば、ミョウジの両親は車に乗り込むとどこかへ出掛けてしまった。は?嘘だろ?娘の男が家に来ているのに普通出かけるか?
「……おい。親父さん達にオレが来るって言ってなかったのかよ」
両親と入れ違うように玄関の扉を開けたミョウジはするりとオレの腕を掴むと家の中へと引き入れる。玄関の中に入れば、番犬の仕事を放棄した犬が千切れそうなほど尻尾を振ってオレを出迎えていた。
「昨日の夜に話したよ。うちで一緒にテスト勉強するから銅橋くんが来るよって」
「で、親父さん達は出掛けるって?」
「うん。二人で映画見に行ってくるって」
「……何か言われなかったのか?」
大丈夫か、この家。もはや図書館にでも移動しようかと靴を脱ぐことを躊躇えば、ミョウジが一段高い位置からオレの服を引っ張って牽制する。制服の時とは雰囲気が少し違って、ふわりと甘い香りがした。
「戸締りよろしくね、って言われた」
一瞬、能天気に笑うミョウジの両親の顔が頭に浮かぶ。思わず理解し難い行動に米神を押さえれば、ミョウジの腕がするりとオレの首に回る。驚いてミョウジを見れば真っ赤な顔。
艶々した唇と物言いたげな潤んだ眼差し。一方的に寄せられた信頼と期待に挟まれて、靴を脱ぐことすら出来ずに立ち尽くせば、ミョウジがオレの耳朶に指先で軽く触れた。
ほんの少しだけ触れられた箇所から熱が広がる気がして、ミョウジの細い指先が期待するようにオレの唇に触れる。おい、早過ぎんだろ。ミョウジ落ち着け。
「図書館に行くとか……帰るとか言わないで」
思考を先読みされて、言葉もだせず。首に回された腕に誘われて頭の中はすでに真っ白になっていた。
「……銅橋君、キスしてもいい?」
いつもよりずっと甘い声の誘惑に、場所を考えろとはもう強がることは出来なくて。数秒身動き取れずに固まった後、ようやくミョウジの指先を握り返した。
帰らない意思表示を込めて、そっと玄関の鍵をかける。おい、あからさまにほっとした顔すんな。無防備な顔で見るな。
「あのな。キスしたかったのが自分だけだと思うなよ」
段差があるせいでいつもよりも視線が近い。ミョウジの細い身体を抱き寄せたものの、どれくらい力を込めても大丈夫かなんてわかるはずもなく。
誘うみたいな唇に引き寄せられるように吸い付けば、想像以上の柔らかさと甘さに頭の中がクラクラする。散々我慢した挙句、靴を脱ぐことすら待ちきれない初めてのキスに頭の中がフリーズして。
このまま唇を離したら、自分が何を言い出すのかわからないし、何を言えばいいかもわからない。本能のままに柔らかい下唇を軽くついばみながら、とりあえず壊さないように大切に抱きしめることだけを考える。
付き合い初めて6ヶ月。ようやく重ねた唇を離したら、とりあえずこの後はリビングで机を挟んで勉強する以外、理性を保てない様な気がしてミョウジの部屋には一歩も入らないようにしようと自分自身に言い聞かせた。