発熱彼女と同棲隼人
繰り返す微熱に倦怠感。なんとなく体調が悪い事が続くと気持ちが滅入ってしまって、自己管理が出来てないのかな、なんて自己嫌悪に落ち込む日だってある。
「……痛み止めどこだっけ」
鈍い頭痛と倦怠感。体感的に熱が上がってきた自覚はあるけれど体温計を探す気力もない。今日は隼人が出掛けている事に少しだけ安堵した。ベッドまで歩く気力はなくてソファーへと身体を投げ出すともう一歩も動きたくはない。手足も鉛みたいに重たいような気がして、スマホに触れるのすら億劫になる。
『ナマエはいつも元気だな』
隼人はいつも私の事を元気だと言ってくれる。ナマエの元気な顔を見てるとオレも元気になるよ、なんて白い歯を見せて爽やかに笑う恋人の言葉が嬉しくて、むしろその言葉が私の元気の源だったりするのだけれど、隼人にそれを伝えたことはない。だからこそ、弱った姿は見せたくないし見られたくもないのが本音だった。
こんな風にソファーで転がって弱っている私の事なんて知らないで欲しいし、知って欲しくはない。一緒に住んでいるのだから見られたって構わないでしょ、と友達は言うけれど私にだって譲りたくないものがある。
しばらく寝ていたら少しは動けるかな、なんて甘い考えで目を閉じて30分。思わず悪寒で震えた体を抱き締めて無意識にカチカチと音を立てる歯を食いしばった。
無意識の涙で滲んだ視界。ぼんやりと視線を動かせばガラストップのテーブルの端には体温計。指を伸ばして辛うじて引き寄せて、熱を測りはじめると予想通り数字は勢いよく上がり続ける。
「……38度?」
まだ悪寒は止まらないから上がりきってはいないのかもしれない。羽織る物が欲しい、でも動きたくない。解熱剤が欲しい、だけど家に残りがあったかわからない。
人は体が弱ると無性に寂しくなってしまうのもある。せめてベッドで転がるべきだったと思いながら、目を閉じる以外にもう何もできる事はない。
少し前から本当は体調が悪かった。季節の変わり目で気をつけていたのに、本格的に体調を崩してしまった事を、隼人には黙っておこうと思っていた。今日は久しぶりに高校時代の部活仲間で集まるんだと嬉しそうに話していたし、もしかしたら泊まってくるかもと言っていたから。
笑顔で楽しんできてねなんて送り出した手前、こんな姿は欠片も見られたくないから、今日は朝帰りで構わない。口の悪いあの人も、寡黙な鉄仮面みたいなあの人も、黙っていれば美形の人も。隼人の高校時代の友人は個性豊かで面白い人ばかりな事を思い出す。こんな時でも隼人の事を考えるだけで、ちょっと心が軽くなるから不思議だった。ゆっくり目を閉じて、どうせ動けないのならと考える事を放棄する。少し眠ればきっと薬を探すくらいは出来るはず。
ソファーに沈む震える身体。熱を帯びた首や体幹とは真逆に冷たい手足で抱き締めていたけれど、途中から記憶がないのは眠ったからなのか、意識がなくなったのかはわからなかった。
「ナマエ!?どうした?え、熱?」
ガタガタと大きな物音が聞こえて、大きな手が額に触れる。甘い香水とお酒、揚物の混じった匂いが鼻先で揺れた。
「めちゃくちゃ熱いな。こんな所でなんで寝て……。あ、動けねぇって事か!?」
いつもは柔らかく話す隼人の珍しく焦った声。ソファーに足をぶつける振動や荷物を放り出した音で彼の慌てぶりがわかる。半分意識が朦朧とする中、ふわりと自分の体が抱き上げられた浮遊感にゆっくりと目を開く。目の前には心配そうな隼人の顔。
「……おかえり、隼人」
「おめさん、他に言うことあっただろ?」
軽々と抱き上げる腕に体を預ければ、お酒のせいかいつもよりも隼人の鼓動が早い。熱が上がっているせいか、それよりもずっと早鐘を打つ自分の鼓動が苦しくて思わず胸を押さえれば、優しく寝室のベッドへと運んでくれる。
「薬、飲んだ?」
大きな掌が労るように汗で張り付いた前髪を直してくれる。ゆるゆると首を振れば、隼人は少し困ったように笑うと静かに頷いた。
「あー、どこにあるんだったかな……」
困惑する声が遠ざかるとポツンと1人取り残されたベッドの中で寂しさが募る。怠い右腕でスマホを持ち上げて画面を見れば深夜2時。きっと楽しい気分で呑んでいた筈の隼人に申し訳なくて情けなくなる。
リビングへと足早に向かった隼人が戻ってきたのは15分後。両手に水と薬、それからアイスノンのタオルを小脇に抱えていた。
「悪い。どこにあるのかわからなくて遅くなった。体、起こせるか?」
「……うん。大丈夫」
ひんやりしたアイスノンが起き上がった隙に差し込まれて。ぐらぐらと揺れそうになる身体を隼人に預ける。
「ん、1回2錠な」
薬のパッケージを確認した隼人はシートから錠剤を取り出すと私の口の中へと押し込む。苦味で眉を顰めればすかさずグラスを差し出されて、支えながら何とか飲み込む。よく冷えた水が心地良くて、思わず喉を鳴らしてグラスを飲み干した。
「着替えるなら手伝おうか?」
「……明日にする。動きたくない」
「わかった。オレ、とりあえずシャワーだけ浴びてくるから」
濡れた唇を親指で拭うと、隼人は少し不安げな顔で部屋を出ていく。隼人が帰ってきた事に安堵する反面、情けない所を見せてしまった事が悔しくて。ひんやりと心地良いアイスノンに火照った頬を押し当てれば、いつのまにか眠りに落ちていたらしい。
何度も浅い眠りで目覚めては、そのまま眠りに落ちる事を繰り返した宵闇に。隼人の柔らかい声は心地良い。
「もっと頼ってくれよ」
「……頼むから、もう少し甘えてくれ」
夢現に聞こえた隼人の声はゆっくりと体に染み渡るような気がする。怠い体も軋む関節も。大きな手が気付けば優しく触れては摩ってくれるから、目覚めてもすぐに眠れた気がした。カサついた唇なんて、触れて欲しくはないと思うくせに。時折、唇をなぞる指先を無意識に啄めば、普段は口にできない弱音が零れ落ちる。
「……帰ってきてくれてありがと、隼人」
体調を崩した情けない自分。隼人の楽しみの邪魔をしたくないのは本音だった筈なのに。優しく抱き締めてくれる両腕が心地良すぎて、本当は傍にいて欲しかったのだと今なら言えるような気がした。