高校生な泉田君の初めての口付け

 きらきらと輝く真っ直ぐな瞳。彼女が向けてくれる好意に恥じない男でありたいと願うようになったのはいつからだろう。たとえば、憧れた新開さんのような華やかさもなければ、共に歩んできたユキのような器用さも持ち合わせていない事は自覚している。決して面白い男でもなければ、気の利いた言葉もうまく紡げる恋人ではないだろう。
 己を鍛える事、箱根学園自転車競技部のスプリンターとして、主将として、泉田塔一郎が発した言葉に嘘も偽りも後悔もない。背負った責務も、受け継いだ憧れの4番も決して軽い物ではなかった。全力でペダルを踏み、走り続けた三年間だった。
 部を引退して、次の世代へと引き継いだ後。やっと自分の気持ちと向き合った時、思っていた以上にミョウジさんがボクの事を想ってくれていた事を知った。
 そして、想像していたよりも、ずっと長い時間待たせてしまっていた事も。

『泉田さんが好きです』

 ミョウジさんは真っ直ぐな目で、ボクを好きだと言ってくれる。憧れであり、恋であり、あなたに相応しい人間になりたいと、柔らかく微笑む彼女はボクには勿体ないくらいの相手だと思った。
 恋人という関係になった後も。受験生のボクを気遣う彼女は本当に優しい人だと思った。そんなミョウジさんが一度だけ、我儘を言った事があるとすれば。図書室で腕相撲をして、勝った方からキスをしましょうと提案された時だろう。あの時は頭の中が真っ白になってしまった。真っ赤な顔でボクを見上げる瞳はいつもよりも熱を帯びていて、繋いだ手は小さくて暖かかった。
 彼女はボクには勿体無いほどの恋人で、なおかつ一学年年下で。大切に慈しみたいと願うからこそ、安易に触れる事などできなかった。

『時と場所くらい、ボクに選択権をくれないか』

 あの時、思わず口走った言葉が己の首をこんなにも絞める。ミョウジさんと過ごすのは、お昼の時間か、あとは図書室。「泉田さんの受験が終わってからでいいです」と言い張るミョウジさんとはデートというほどの時間は過ごしていない。時も場所も。選べるほどの選択肢もないくせに、なぜあんな愚かな言葉で彼女の勇気を退けてしまったのだろう。

「……泉田さん」

 いや、あの時はそうする他に答えようがなかったと思う。何度考えても、あの流れでミョウジさんに触れていたら、まるで自分の意思ではない事になってしまったかもしれない。

「泉田さん!」
「え?」

 不意に頬に触れた柔らかい手。驚いて目を見開けば、目の前にはウサ吉を膝に抱いたミョウジさんがいた。

「泉田さん、大丈夫ですか?体調悪いです?」
「あ、いや……」

 心配そうにミョウジさんはボクの額へと手を伸ばす。不意に近づいた彼女の唇に思わず視線を向けてしまって、同時に額に触れたひんやりとした感触に体が熱を帯びた。
 あぁ、そうだ。ウサ吉の小屋を掃除すると言ったら、ミョウジさんも一緒に行くと言ってくれたのだ。掃除をする間、彼女の膝に抱かれていたウサ吉は優しい手に撫でられて、心地良さそうだった。

「受験勉強でお疲れなんじゃないですか?顔、少し赤いですし」
「大丈夫だよ。気にしないで」

 指摘された赤い顔。意識すれば頬に熱が帯びるのは至極当然で。何とか誤魔化そうと笑えば、ミョウジさんは不思議そうにボクを見上げる。

「……何か悩みごとですか?」

 真っ直ぐな瞳はどこまで真実を見抜くのだろう。おそらく一瞬の迷いを逃さないのはマネージャーとして、選手の変化を機敏に察する能力に長けているからなのか。

「違うよ」
「私じゃ、頼りにならないから?」

 拗ねたように一瞬尖る唇が。少し寂しそうな声で「黒田さんに相談とかしないんですか」なんて、微妙に的を得たアドバイスをくれるものだから、困惑してしまう。

「いや、ユキにはもう……」

 思わず口走りかけて、慌てて視線を逸らす。何を馬鹿な事を言いかけているのか。確かにユキには一度、相談した事があった。真っ赤になって、コロッケパンを吹き出したユキの答えは「相手がいいって言ったらだろ。後は何とかなる」と何の解決にもならないものだった。

「やっぱり、何か悩んでるんじゃないですか」

 ウサ吉の背中をゆっくりと撫でる優しい手。私じゃ力になれないのかなぁ、なんてため息をついた彼女には、ボクの考えている事など知られたくはなくて。
 あの可愛らしい手に腕相撲で負けていたら、こんなにも悩むことはなかったんだろうか、なんて思わず卑怯な事を考えてしまった自分を恥じた。

「ミョウジさんは、動物は好き?」

 ウサ吉を彼女が優しく撫でるように。ボクもミョウジさんの髪にゆっくりと触れる。ウサ吉と揃って、向けられた視線があまりに可愛らしくて、思わず頬が緩んでしまった。

「好きですけど。急にどうしたんですか?」
「春休みにどこかへ出かけないか、と誘いたくて」

 向けられる、きらきらした瞳に映るボクは彼女にとって、どんな風に映るのだろう。

「デートだと考えた時に動物園や遊園地くらいしか思いつく場所がなくて、申し訳ないとは思うんだけど。こういう事には疎くて、すまない」

 もう少し、調べては見るつもりなんだけど、と言い訳がましい言葉を付け加えたにも関わらず、ミョウジさんに広がったのは満面の笑顔。

「最初は動物園に行きましょう!嬉しい!」

 ウサ吉を抱いていなかったら、その場で跳ねそうな幸せそうな笑顔。彼女はいつもそうだ。さして面白いとは思えないボクと過ごす時間の中でも、本当に幸せそうに笑ってくれる。

「桜が咲く頃、二人で一緒に出かけよう」

 一瞬、思い描いた近い未来の情景。ピンク色の花弁の舞う中で、きっと君はとても綺麗に笑うのだろう。約束ですよ、とミョウジさんが小指を差し出した笑顔がとても可愛くて、愛らしくて。

「ミョウジさん」

 細い指先に指を絡めて引き寄せて、思わず口走ってしまったのは、本当はもう少し未来で告げるはずの言葉だった。

「……君の唇に触れてもいいだろうか」

 彼女の指先にゆっくりと許可を願うように唇を落とせば。一瞬、目を見開いたミョウジさんが、頬を染めてゆっくりと頷く。繋いだ指先を少しだけ引き寄せて。震える唇に、そっと重ねれば柔らかくて優しい感触に全身の力が抜けそうになる。
 唇を重ねたのは、ほんの数秒。ふと、ゆっくりと唇を離した瞬間、今この瞬間に自分がどんな顔をしているのか、不安になってしまった。
 両手で彼女を抱きしめて、腕の中に閉じ込めて仕舞えば、自分の顔を見られないだろう。けれど、ミョウジさんの腕の中には新開さんから預かっている大切なウサ吉がいる。

「……泉田さん?」
「少しだけ、このままでいて欲しい」

 自分でも何となくわかる程度に。情けなく緩んだ顔を彼女には見られたくなくて、彼女の目元を掌で覆えば、愛しい唇が弧を描いてボクのことが大好きだと告げた。

 ミョウジさんの腕の中で、ウトウトと眠たそうにしているウサ吉に問いたい。ボクは今、どんな顔をしているのだろう。
 それから、このままもう一度。煩悩に抗えなくて、目の前で優しく微笑む唇に口付けるような情けない男でも、彼女はボクを許してくれるだろうか。
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